見出し画像

テリー・ホール突然の死。多彩に時代を駆け抜けたスペシャルズの創始者

どうも。

また信じられない訃報ですね。


スペシャルズの創始者、テリー・ホールが亡くなってしまいました。まだ63歳。ショックです。

テリー・ホールと言って多くの人がすぐに思い出すのが


ザ・スペシャルズですね。

1979年から80年にかけて、イギリスでネオ・スカのブームで一世を風靡しました。

このネオ・スカは絶妙なタイミングでの登場だったんですよね。この当時はイギリスではザ・ジャムを中心としたネオ・モッズのブームがありました。モッズというのは60年代のロンドンのワーキング・クラスの怒れる少年少女で、平日昼間はたっぷり働いて、週末に華やかにダンス・パーティで盛り上がる、そんなライフ・スタイルだったんですが、彼らが好んだものがロックンロールと、アメリカからのソウル・ミュージック、そしてイギリスにも移民が多かったジャマイカからのスカだったんですね。

 モッズがジャムによってリバイバルされた横でこのスカ・リバイバル。そして、同時にこの当時はまだ、スカの行進であるレゲエのスーパーヒーロー、ボブ・マーリーも健在で強いリスペクトを浴びている時代。かなり時代とシンクロしていたわけです。

短期間にこういう名曲を発表し、時代をリードしたわけです。

世はパンクロックから少し経過した頃。ボブ・マーリーの歌詞もそうでしたけど、社会の同胞のために歌う、戦う言葉に共感が集まった時期でもありました。大体、白人と黒人の共存するバンド編成というのが異例でしたからね。これが白と黒を意味する2トーンの語源でもありましたけどね。

 僕自身はですね、洋楽の聴き始めが1980年の秋ではあったんですが、ちょっと間に合わなかったんですよね。イギリスの音楽に興味を持ち始めるのが1981年の終わりから82年にかけて。ニュー・ロマンティックはすごく入ってきてたんですけど、まだ小学6年生にはスカまでは入ってこず、その頃にはテリー、スペシャルズを脱退してしまってたんですよね。

 なので、僕が知ったテリー・ホールって

このファン・ボーイ・スリーと言うバンドだったんですよね。こっちも黒人との混合バンドでしたが、こっちはもうズバリ

もう、バリバリのニュー・ウェイヴという感じでしたね。スカのイメージは僕個人的にはなかったです。

この曲で組んでいるのが

若き日のバナナラマ。のちにユーロビートで大当たりしましたけど、このMVでも少し見られるように昔、パンク・ファッションでして。なので、子どもの頃、硬派なのかと思ってたくらいです。

このファン・ボーイ・スリーでも1983年までに4曲の全英トップ10を出します。デュラン・デュランに夢中になった当時の僕には、テリー・ホールって、もうこっちのイメージでした。それくらい、本当に売れっ子だったんですよね。

ただ、それもテリーは解消しまして

今度はカラーフィールドというバンドを作りまして

こっちはネオアコのファンからすごくウケよく、そっちの人にとっては彼は「カラーフィールドの人」でした。本当に多彩でした。

90年代にはユーリズミックスのデイヴ・スチュワートとのユニットのヴェガス、そしてソロなんですけど、この頃になると商業的には恵まれなくなります。ただ、97年のソロ・アルバムは評判そのものはかなり良かったんですけどね。

 そこから話を聞かなくなったなと思っていたのですが

2010年代にスペシャルズを再結成。発表した2枚のアルバムもそれぞれ全英1位、全英2位と好評だった矢先の死でした。死因がまだ、病気だったこと以外に知られてはないんですけどね。

20歳で時代の寵児になり、早熟に多才ぶりを発揮し、その後の商業的な不信でやや過小評価になっていた後、こうやって復活の兆しもあっただけにすごく惜しいです。まだまだ、スペシャルズやそのほかの作品でも誰かを喜ばせる、彼らしい味のある音楽を届けてくれるだろうと思っていましたからね。本当に残念です。RIP



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?