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連載「Girls In The Band〜ガールズ・ロック、バンドの歴史(洋邦対応)」③価値観逆転!その後の女性ロックのルーツの90s

どうも。

では、連載企画、進めてまいりましょう。

ガールズ・ロック、ガールズ・バンドの観点からロック史を紐解く「Girls In The Band」。今回はその第3回。今度は、現在の女性のロックにつながる
地点になってます90年代、オルタナティヴ・ロックの時代のガールズ・ロック、これに迫ってみたいと思います。

①80s末に、これまでと異なるダークで内向きな流れ

これ、①と銘打ってはいますが、僕の気持ちの中ではむしろ「ゼロ章」に近いです。

前回のテーマとなった70年代後半から80年代にかけてという時代は、ある種の躁状態というか、世界的にかなり賑やかで見かけ上はハッピーに見える時代でした。そんな時代、音楽の主張もド派手になりがちでした。それは、どんなに暗いことを歌っていようが見かけ上の表現は視覚的に盛ったものでした。

ただ、それが80s末に、そんな時代の喧騒から浮かび上がるように、素朴でかつ内向きでダークな感覚というものが女性のポップ・ミュージックから見られるようになってきました。

https://www.youtube.com/watch?v=AIOAlaACuv4

スザンヌ・ヴェガによる虐待の子供の心情を歌った「Luka」に、どうしようもなく絶望的な状況から一縷の希望を必死に託したトレイシー・チャップマンの「Fast Car」。こうした、向き合うのも辛いようなリアリティに満ちた曲が全米シングルのトップ10に入ることというのはそれ以前の10年くらいではまずなかったことです。

そしてアイルランドからはスキンヘッドの女性ロッカー、シネイド・オコーナーが登場します。

彼女のお姉さんだか妹が母親から醜いと公言され、自分を人前で美人扱いする母親の行為を道義的に許せず、美人とされることでたびたび性的な嫌がらせも受けてきた。そういうことに対する反抗から頭を丸めた、というのが真相だるようですが、そうした現在で言うところのポリコレ、コンプライアンスを精神的に先取った鋭敏な反骨精神。そういうものも、世界的なバブル末期のこの頃に静かに生まれつつあったわけです。

そして90年代には入ってすぐにはトーリ・エイモスのような、鬱やレイプ被害を題材にするシリアスで極めて重いシンガーソングライターなども台頭するようになります。

②「アンダーグラウンドの地殻変動の主役」のバンドに2人のキム

そして、「次の時代のロック」をいち早く存在がアメリカは東海岸のインディ・シーンから登場してきます。

その一つが

https://www.youtube.com/watch?v=xJncHEZ3URs

まず、ボストンのシーンから出てきたピクシーズ。アメリカでウケる前にイギリスでそのギター・サウンドが大人気となり、その影響を逆輸入的にアメリカに届けることになる彼らには、2人目のフロント、ベーシストのキム・ディールの存在が光っていました。

そしてニューヨークのアンダーグラウンドのカリスマで、80年代末の時点でアメリカ・インディ・シーンのリーダー的存在だったソニック・ユース。このバンドのベーシストも、キムでした。キム・ゴードン。フロントマン、
サーストン・ムーアの年上の妻です。

 アンダーグラウンドのシーンで一目置かれるカリスマ・バンドの主要目バーに2人女性がいるというのは、ロックに商業的な成功ではなく、本格的なオーセンティシー(信頼性)を求める向きにとっては、これは非常に重要なことでした。

 両キムの中でもとりわけキム・ディールの方には女性インディ・バンドのシーンもありまして、スローイング・ミュージズやベリーといった好バンドの存在もありました。

キム・ディール自身も

ピクシーズ解散後に妹のケリーと作ったバンド、ブリーダーズでも「Cannonball」のヒットを出してカルト化しています。

 80年代という時代は、女性のロック・アーティストもある種ポップスタートして業界がちやほやしていたところがあり、でも、商業的にそれが角をとってしまい人気と引き換えにアーティストとしてのエッジを奪っていたところがありました。

 その反面、インディのシーンだと、女性に対してそういう甘さはなく正直な厳しい世界。そこで女性たちは実力で勝負していかなくてh行かないわけですけど、

https://www.youtube.com/watch?v=m1tMfKl5b8M

そんな世界に身を置いた世知辛さとガッツを歌ったリズ・フェアーもインディ・ロック史に残る注目を浴びました。

③女性にロックの表現の可能性を切り開いたシューゲイザー

 今度はイギリスに目を向けてみましょう。

こちらも80年代の末から、ロックを志す女性たちにとって重要な動きが起こっていました。

https://www.youtube.com/watch?v=ek6DvIf0dUs

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの登場ですね。

鼓膜を破りそうなほど巨大なギターのフィードバックを背景としながらも、マッチョな攻撃力はほとんどなく、その轟音のゆらめきの中にファンタジックに浸れるタイプの、当時としては新しいギターロックの表現法。シューゲイザーと呼ばれた、このロックにおいてはそのノイズの波に乗る声は優しく柔和であればあるほど映えやすいものでもありました。

このマイブラのフロント・ウーマン、ビリンダ・ブッチャー以外にもシューゲイザーでは女性が活躍します。

日系人のミキ・ヴェレーニがフロントを務めるLush、それからスロウダイヴも共同のフロントにレイチェル・ゴズウェルを擁してますよね。このようにシューゲイザーの主要バンドに女性の存在はかなり大きなウェイトを占めています。

シューゲイザーのブームそのものは90年代前半のある時期のみだったんですけど、マイブラの91年作「Loveless」が不朽の名作として多大なリスペクトを集めているうちに復活し始めて。さらにスロウダイヴも93年作の「Souvlaki」が同じようにカルト名作化して。スロウダイヴに至っては20年越しのカムバックが成功して、今や90年代前半時を大きく上回るかなり大きなバンドにまでなってしまっています。

この2バンドの時空を超えた伝説化によって、シューゲイザー、戻ってきたし、昨今の女の子たちがバンドに手を染める際の典型的なギター・ロックのフォーマットの一つになっています。

シューゲイザーの場合、マイブラのケヴィン・シールズやスロウダイヴのニール・ハルステッドのように、メイン・ソングライターは男性でもあったりするので、必ずしも女性と結び付けないとならないわけではありません。しかし、それでも女性の声による浮遊感あふれる官能的なヴォーカルはこのジャンルの強い武器になりうることは確かだし、実際問題、女性の参加率を高めたことは事実だと思います。


④ライオット・ガール、グランジ・ガール

そしてまたアメリカに移りましょう。

1991年のアメリカのロックといえば、すぐに思い出されることがあります。それはニルヴァーナがアルバム「ネヴァーマインド」を発表し、社会の動乱と歩調を合わせるように文化の価値観の転覆を引き起こした年です。

その頃に、ニルヴァーナのグランジのように社会的に大きなものにはなりませんでしたが、女性のロック・カルチャーにとって大きなムーヴメントが起こります。それが「Riot Grrrl(ライオット・ガール)」と呼ばれるものでした。

https://www.youtube.com/watch?v=4689gDn5aCo

ビキニ・キルやブラットモービルといったガールズ・ハードコア・パンクのバンドたちが、フェミニズムのメッセージを乗せて女性の怒りやセンシティヴな社会問題に対しての本音をぶちまけたパンクロックを表現していきました。

90年代前半はちょうど第3次フェミニズムが起こっていたタイミングでもあり、その影響もあってそのメッセージにはLGBTの問題にも強く絡むようにもなっていましたね。僕もこの当時よく覚えていますけど、80年代には意識することのほとんどなかったレズビアンの存在やトピックをこの頃からすごく目や耳にするようにもなったものです

で、このムーヴメントに距離が近かった人物こそ

カート・コベインです!

彼は一時期、ビキニ・キルが拠点としていたワシントン州オリンピアに住んでいたんですが、その時にビキニ・キルのドラマー、トビー・ベイルと付き合っていたんですね。かの「Smells Like Teen Spirit」のティーン・スピリットというのがトビが愛用していたデオドランドの名前で、カートがビキニ・キルのヴォーカルのキャスリーン・ハナに会った際にカートに「あんた、ティーン・スピリットの匂いがするよ」と言われたのが語源となっています。

この逸話だけでもかなりの距離の近さを感じさせますが、カートは大のいインディのガールズ・バンドの愛好者でもありまして

1980年前後のイギリスのカルトなポストパンク・バンドのヤング・マーブル・ジャイアンツやレインコーツが大好きでした。

 そんなライオット・ガールズと同じ時期に注目され、混同されることが多かったのが女性によるグランジでした。

https://www.youtube.com/watch?v=gCjufvdq_1c

L7やベイブス・イン・トイランドがなどが、あまり長い期間ではなかったものの、かなり注目されましたね。

ただ、やはり結果的に女性でグランジといえば

コートニー・ラブ。いうまでもなく、ここでもカート・コベインです。彼が生涯愛した妻のバンド、ホールです。

コートニーの場合はカート以上に言動の本音度が高く、コントロールの難しさに定評があるので「カートの妻」という次元を超えた強烈な人ではあるんですけど、ライオット・ガールとこの人の両方に接近していたというのが、ロックの歴史の流れを変えた革命児の経歴にあるというのはすごく大事なことだと思います。ロックのアイデンティティの一つにそうしたフェミニズムが刷り込まれることにもなったわけですからね。

https://www.youtube.com/watch?v=mS1Ckczz0LQ

1994年4月のカートの死と引き換えるように、ホールの傑作アルバム「Live Through This」が産み落とされているのも、ロック史の一つのドラマですね。

⑤イギリスやヨーロッパの女性たちも活気付く

90年代前半に新世代のロックの女性たちが活気付いたアメリカでしたが、それはイギリスやヨーロッパでも状況は見てました。

https://www.youtube.com/watch?v=KBZoL8wpZzU

イギリスからはまずPJハーヴィーが登場。ニルヴァーナと同時期にスティーヴ・アルビニを迎えたヘヴィなギターロックのアルバムを出し、「イギリスからのグランジの回答」とも思われていた彼女ですが、その後、持てる才能の柔と剛を自在に駆使し、30年経った現在のシーンにおいても絶大の信頼度を誇る作品を作り続けています。

ブリットポップの時代にはエラスティカが登場。スエードのブレット・アンダーソンやブラーのデーモン・アルバーンと浮名を流したジャスティーン・フリシュマンでしたが、実力も彼らに負けない才能の持ち主でしたね。強い歪みの調子外れのギクシャクしたギターリフは、その10数年後のポスト・パンク・リバイバルを先駆けた鋭角さがありましたね。

あと、ギターロックだけでなく、クラブ方面からのインディ・ミュージック・アプローチでも逸材は出てきていました。トリップホップからはポーティスヘッドですよね。不穏さと攻撃性がないまぜになった薄気味悪くもあるディープなグルーブの上を、ベス・ギボンズが綴る焦燥感や不安に満ちた詩情とが稀代のケミストリーを生んでいました。

クラブ・サウンドといえば、アイスランドのバンド、シュガーキューブスの時代からヴォーカル・スタイルとキャラクターが注目を浴びていたビヨークが、ソロ転向後、トリップホップやエレクトロを主体として先鋭的かつ実験的なサウンドと、制限なき自由奔放なファッション感覚で世を魅了していきます。

スウェーデンからは、肩の力が入らない、シンプルでキュートな「スウェディッシュ・ポップ」のバンド、カーディガンズが登場。日本での渋谷系ブームとも連動しながらも国際的に成功していきます。

アイルランドからはシネイド・オコーナーを継承しつつ、それをさらに大衆的に広げたバンド、ドロレス・オリオーダン擁するクランベリーズが登場。

この「Dreams」は市場開放を始めて間も無い中国から飛び出した異才、フェイ・ウォンにウォン・カーワイの代表作「恋する惑星」でも歌われたことでも有名ですね。

⑥アメリカでメガ・セールスを記録した女性ロッカーたち

そして1995年くらいから、97〜98年にかけてくらいでしょうか、アメリカ女性ロッカーたちのメガ・セールスが相次ぐことになります。

きっかけになったのは1994年にヒットしてグラミー賞の主要部門でも受賞したシェリル・クロウだったんですけど、彼女、ロックの殿堂にも入ってるんですけど、今回のこれまでの流れからしたらアダルトにポップ向けすぎてちょっと浮いちゃうかな。

その意味でも95年からの方がいいと思います。アメリカでのニルヴァーナを筆頭としたオルタナティヴロックの本格的なブレイクは91年の秋から1992年にかけてくらいからですけど、3年遅れてそこに女性たちも加わった感じでしたね。

この年はまず

アラニス・モリセットですよね。彼女もカナダで元アイドルだった過去だったり、同時代の他のアーティストに比べると甘いという指摘もあるにはあるんですけど、ただ、彼女がここで示したロックがあの当時以降のガールズ・ロックの雛形になったのは確かだし、どっちかというと、その後に1000万枚ヒットになった「Jagged Little Pill」に迫れるアルバムを作れなかったっことの方が大きいかな。

続いてガービッジ。ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」のプロデューサー、ブッチ・ヴィグが妖艶なイギリス人女性シャーリー・マンソンを迎えて作った、ゴスでエレクトロなギター・バンド。この当時から流星になり始めたフェスでも人気ありましたね。

そしてノー・ダウトですね。同性から圧倒的なロールモデルにされたグウェン・ステファーニですけど、オレンジ・カウンティのパンク、とりわけスカパンクを代表したアイコンでしたよね。

この3つはあの当時の女性のロックのトリオみたいなイメージでしたけど

この流れに並行して出てきた、当時まだ10代だったフィオナ・アップル。後世の影響力考えたら、結果的に一番ビッグなの、この人かもしれません。ダークネスと退廃とエレガンスが入り混じったヘヴィな心象表現は同時代のマジー・スターと並んでラナ・デル・レイやビリー・アイリッシュに継承されていると思います。

そして、ホールですね。「Celebrity Skin」で示した、暗かったグランジの時代を振り払い明朗なロックンロールは時代への入り口を感じさせたものです。いみじくも彼女自身でそれが続かず、図らずもこのサウンドが2000年代のガールズ・ロックの良くも悪くもテンプレ化した印象も否めませんが。

この時のアルバムはスマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンが大半を手がけてましたが、スマパンといえば女性ベーシストのダーシーの存在も90sでは見逃せないですね。

ただ、この状態は90年代末には変質していくことにはなりました。

⑦日本でも進んだ、女性ロックのオルタナ化

そして、女性ロックがオルタナ化したのは日本でも同様の現象でした。バブルの時代にカラオケブームやタイアップも進んでメインストリームのガールズ・ロックもかなりエッジのないものになってた印象だったんですけど、海外のシーンと直接的に絡む女性たちもたくさん出てきていたんですよね。

カート・コベインのお気に入りバンドでもあった少年ナイフを始めボアダムズ、バッファロー・ドーター、チボ・マット。今から考えたら、彼女たちが洋楽と邦楽の垣根を越えてやったこと、すごかったですよね。ロラパルーザだったり、初期のコーチェラ・フェスティバルとかにも出演してたわけですしね。この辺り、もう少し、評価する声、日本で出てきてほしいなという気はしてます。

あと、やっぱり、ここまであげていった洋楽のこの当時で言うところの女性アーティストの影響ってドメスティックな日本のアーティストへの影響もしっかり出てて

https://www.youtube.com/watch?v=mStC9lqV2S8


CHARA、Judy & Mary、UA、Bonnie Pink、Coccoあたりも、すごく日本のポップ・ミュージックをアップデートしたなと思いますけどね。バンド観点で言うとジュディマリの影響は国内的には大きかったとも思います。

90年代の後半って、例えばフィッシュマンズとかミッシェル・ガン・エレファントとかサニーデイ・サービスあたりがアルバム名盤選の常連になってるいんでょうなんですけど、彼女たちの最上の時期の作品ももう少し評価されていいのかなとはよく思いますね。あの当時、国内のオルタナティヴなカルチャーやファッション・メディアも賑わせたのも確かですからね。

ただ、結果的に今日まであの当時の日本の女性アーティストで語られてるのって

スーパーカーのベース、ヴォーカルのフルカワミキだったり、ナンバーガールのギタリストの田渕ひさ子とか、そういうイメージですよね。彼女たちが、フロントじゃなく、楽器をプレーするメンバーにいて憧れになったのも、女の子のバンド人口増やす理由にもなってると思います。ミキに関してはシューゲイザー女子の走りでもあるのではないかと。

で、90年代の最後に集大成的に締めくくったのが

椎名林檎ですね。

デビュー・アルバムの「無罪モラトリアム」がミリオン売り上げたこともすごいことではあるんですけど、あの当時の世の主流な流れに同調できないタイプの人たちを男性、女性関係なしに引きつけたこと、その後、20数年、ずっと日本のロック・クイーン的立場にあること考えても、存在としては重要でしょうね。



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