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アメリカのメディアで非難殺到!「グリーン・ブック」のオスカー作品賞受賞はどう評されているか

どうも。

今回の話は、「僕がこう思っている」というより、「実際にアメリカのメディアがこんな風だよ」と紹介していると思っているのですが、こういう話をしましょう。

こないだのオスカーの授賞式の速報生ブログをやった後、僕はツイッターでこうツイートしました。

と、実際に書いたら、それがその通りになりましてね。

このローリング・ストーン誌のサイトの記事みたいに「グリーン・ブックが作品賞に輝いたのが最悪だった」。そんな風に称するメディアが相次いだんですね。その理由について語っていきます。

まず一つはですね、これはどうやら日本でも報じられたようですけど、この映画における

この黒人ピアニストのドン・シャーリーと、イタリア系護衛のトニー・ヴァレロンガの、2人の描き方が気に食わない、という意見が黒人に多いというんですね。

これは、1960年代前半、まだ公民権制定前の人種差別の激しい南部をシャーリーがツアーした際の話なんですが、その道中を「白人に守られるのが気に食わない」という意見です。それは、シャーリーの遺族が「父はヴァレロンガ氏を友人などとは見なしていない。こんなのは事実無根だ」と言って非難したことから昨年の秋ぐらいにすでに大きくなっていました。

ただですね

これに関しては制作者側に大きな反論材料がありまして。というのはこの企画、長年にわたるものでして、まず一つはこれ、トニー・ヴァレロンガの息子のニック・ヴァレロンガがドン自身への取材をもとに作ってるんですね。さらに言うと、この上のリンクなんですけど、ドンは別件で自身のドキュメンタリーを制作してまして、その中の音声資料で、トニーとの友情についても語ってるんですね。上のリンクに、この音声もあります。

・・こうなってしまうと、逆に遺族がこの映画を攻撃するのはかなり難しいです。それどころか、「検閲行為だ」として逆に訴え返されることさえ可能です。なぜなら、これは僕がブラジルでの翻訳の仕事で実際にこれに似たケースを翻訳したことがあるんですが、例えば伝記の場合、「ある程度、取材が行われた場合、表現者はその表現を束縛されない」というのが、少なくともブラジルの法律ではありまして、それは欧米圏ほとんど変わらないと思います。だからこれ、「名誉毀損」で訴えても勝つ見込みはほとんどない話です。

で、「白人に守られるのが悔しい」みたいな感情も、矛盾なんですよね。だって、公民権って、何も黒人だけが勝ち取ったものではないわけで。ここを誤解している人が黒人でも多いのですが、白人のリベラルもかなり後押ししているのが歴史的事実です。なので、トニーのような理解ある白人の力はかなり必要だった。それを考えると、「白人に守られるも、なにもない」というものです。

で、実際の話、今回のアメリカ・メディアの「グリーン・ブック」の受賞批判ですが、「白人と黒人の描きかた」という観点で行っているものはあまりありません。

それよりは、

こんな、どんくさい映画が勝ってしまった!

実はこの感情の方がデカいんです。

それを象徴しているのが、この人でした。

スパイク・リーです。彼は今回、「グリーン・ブック」が作品賞を受賞した瞬間、怒って会場を後にした、と言います。そのあとのインタビューで、彼はこう言ってます。

「俺、誰かが誰かを運転する時、必ず負けるんだよ」

これは、こういう意味です。

1990年3月のオスカーの時です。この時、人種差別の激しかった時代の南部で、黒人のタクシー運転手とユダヤ人の老婦人の友情を描いた「ドライヴィング・ミス・デイジー」という映画が作品賞を受賞しました。一方、スパイク・リーは彼自身の最大の代表作「ドゥ・ザ・ライト・シング」がかなり話題になったのに、オスカーでは作品賞のノミネートを逃し、脚本賞のみのノミネートで終わりました。この時、オスカー、かなり批判されたんです。

そして今回、スパイク・リーは「ブラック・クランズマン」で念願のオスカーでの脚色賞を受賞したんですが、作品賞で、またしても「黒人と白人の友情のロードムーヴィーに負けてしまった」わけです。

これに関しては、前述した「白人に守られている」黒人のイメージよりも、もっと映画制作者としての憤りがあったと思います。というのは、スパイクの場合、「もっと激しい差別や暴力のあるクレイジーな世界に切り込んでいく」タイプの映画を作っていて、ストーリー自身も、予想のつかない凝り方もしている。それが、ほんわかした、「なんとなく、心があったまるいい話」で、特に映画として面白いことをやっているわけでもない話の予想もつく、言ってしまえば「セーフ(無難)」な映画より、なぜ評価されないんだ。こっちの方が大きいと思います。実際、今回の受賞結果に対してのそういうレヴュー、僕は読んでいます。

さらに今回、怒っているのはスパイク・リーだけではありません。

前哨戦で圧勝していた「Roma」のファン。そっちの方がむしろ、作品賞を逃したことを怒っているはずです。

実際、こういうジョークも聞きました。

最後に「壁」が立ちはだかってしまった。

これは、この映画が舞台になったメキシコと、トランプがメキシコ国境に壁を築こうとしていることをかけたものです。

しかも、今回の場合、映画の作品の内容に関したことで負けたわけではないですからね。「Roma」が勝てなかった理由。それは、僕が以前から懸念材料として何度か指摘していた、この映画の配給がネットフリックスであることに反抗した人が多かったから。やはり後の報道で聞いたんですけど、映画館と関わりがあるような立場の業界人は「Roma」に票を入れなかったんですって。今のオスカーの決め方って、ノミニー全てを順位付けして、その合計で選ぶので、そうした関係者が「Roma」に最低点の1点をたくさんつけてしまったんでしょうねえ。

そこで今回、この「グリーン・ブック」の勝利、こうも称されているんです。


そう。「クラッシュ」

いやあ、覚えてますよ。2007年2月のオスカーで

誰もが「ブロークバック・マウンテン」の勝利を疑っていなかった瞬間に読み上げられた「クラッシュ」の名。この時、オスカーはそのLGBT嫌悪ぶりを散々に叩かれましたものですが、グリーン・ブック、これとすごく比較されてます!

こういう、「本命じゃなく、無難なものを作品賞として選んだ」ことで嫌われてしまう”オスカー伝説”というのは、実は脈々とありまして

99年に「恋に落ちたシェイクスピア」がスピルバーグの「プライベート・ライアン」に勝った時も散々な言われようで、「クラッシュに並ぶ」とさえ言われ続けてますね。

近年だとこれですね。2011年の「英国王のスピーチ」。これは当日のサプライズではなかったですが、最初独走だった「ソーシャル・ネットワーク」が、「ジジイはコンピューターがわからない」とか、わけのわからない理由をつけられて失速してなぜこれに負けたかも、当時もだし、今さらに疑問を持たれてますね。これは、「英国王」に、あのme Tooで失墜した映画王、ハーヴィー・ワインスティーンが背後に絡んでいたからなおさら言われてますね。

そういうこともあり、「グリーン・ブック」は

対抗馬が足を引っ張られたことで勝てた、ラッキーな無難な映画

みたいな見方を、なんかされちゃってますね。。

僕としてはですね、

えっ、「クラッシュ」とか「英国王」よりはマシじゃね??

と思うんですけどねえ。少なくとも、マハーシャラ・アリとヴィゴ・モーテンセンの掛け合いは見事だったし、監督のピーター・ファレリーの小気味いいコメディ・センスは重くなりがちな題材をうまいこと軽快にもしてましたしね。

あと今年は、「ブラック・パンサー」や「ボヘミアン・ラプソディ」「スター誕生」といった、観客フレンドリーな映画が多くノミネートされて、それでこれまでちょっと行き過ぎな感のあったガチガチなアートハウス色の濃い映画のノミネート路線をうまい具合に緩和もした。それで実際、下がっていた授賞式の視聴率も今回、だいぶ上がったんです。そこに、「グリーン・ブック」のようなフィール・グッドないい、昔のハリウッドらしい話がオスカーを取るのは、なんとなく自然な流れなのかな、とも思いますけどね。まあ、前に何度か書いたように、僕個人の順位付けでは「ブラック・クランズマン」とか「女王陛下のお気に入り」とかの方が僕の好みではありますけどね。

ただ、それを「保守的」とか「後退」とする、ガチな映画マニアや、メディアも少なくない。そういうことなんだと思います。それでも、メディアが騒ぐわりにはアメリカのユーザーの反応が割と落ち着いてる印象もありますけどね。


















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