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ネットフリックス「魂の解放 ラテンアメリカのロック史」鑑賞ガイド  ”英語でないロック”の巨大な文化がここにも!

どうも。

去年の年末のことになりますが、最後の数日、僕はこれに見入ってました。

日本でも「魂の解放 ラテンアメリカのロック史」の邦題でネットフリックスで公開されていましたドキュメンタリー「魂の解放 ラテンアメリカのロック史」、これをずっと見てましたが、もう、これは本当に素晴らしい仕事だと思います!

「英語だけでなく、ほかの言語にも大きなロックの世界がある」。そうしたことはみなさんもお分かりですよね。日本に大きな邦楽ロックのカルチャーがあること。これはもう周知の事実です。

ただ、英語、日本語でもそうであるように、スペイン語にも大きなロックの文化がある。そのことが改めてこの全6話のシリーズでは証明されています。

スペイン語って、どれくらいの人に話されているかわかります?これ、かなりの数ですよ。

このウィキの資料によると、スペイン語の話者は全世界で中国語、英語、ヒンドゥー語に次いで世界第4位(日本語は第9位)の4億2000万人の人がしゃべっています。中国語とヒンディー語が実質、中国とインドでしか話されていないことを考えると、英語についでもっとも話者が多い言語です。公用語にしている国の数も21カ国。ここ数年、スペイン語の曲が世界ヒットになりやすい背景にはこうした事情があります。

 このドキュメンタリーは、そのスペイン語を使う国の代表であるメキシコ、アルゼンチンといった中南米の国が、いかにしてスペイン語でロックを歌うようになったか。また、これらの国でロックを歌うというのが歴史的にどういう意義を持っていたのか。これらに迫る6話の感動的なストーリーです。

 僕はですね

2018年のサッカーのワールドカップのタイミングで「非英語圏のロック・アルバム」という企画を、前のブログでやっていまして、これに準備するためにラテン・アメリカのロックの歴史はかなり勉強してたんですね。その甲斐あって、今回のこのシリーズ、話の中心の流れはしっかり把握できたんですけど、それでもはじめて聞く話が多いです。ですので、正直な話、初心者には難しい内容ではあります。あと、南米の地理だけでなくメキシコの地理、あと、南米の政治の歴史を把握してないと一回だけではとても把握できない内容であることも確かです。

ですが

それでも見る、知る価値は大いにあるシリーズです!


それはやはり、実際に耳を傾けて聞き応えのある曲とアーティストが多いし、国の動乱と背中合わせで生み出された紆余曲折の歴史は同じ地球の住人として知るべきことだとも思うので。

なので、ここでは、今日、これを読まれた方にとって、入門しやすいようなことをここで書き記しておきたいと思います。

これは「非英語圏ロック」の特集のときにも書いたことなんですけど、アメリカ以外の国でロックに最初に飛びついた国はメキシコなんです。これがなぜ起こったか。それはメキシコがアメリカの隣国というだけでなく、1957年にテキサスのメキシコ系少年、リッチー・ヴァレンスがスペイン語でロックンロールを歌って、それが局部的にヒットしたからなんですね。そのことは1987年、当時大ヒットした映画「ラ・バンバ」でも描かれたことです。

リッチーは1959年2月にツアーで移動中、バディ・ホリーと同じ飛行機の墜落事故で世を去ってしまうのですが、メキシコではリッチーに触発され、スペイン語でアメリカのロックンロールをカバーする動きがおきます。それが

ロス・ティーン・トップスをはじめとしたロカビリー・バンドのブームです。ロス・ロコ・デ・リモ、ロス・レベルデス・デル・ロックなどのバンドが人気を博したのですが、これ、なんとビートルズによるブリティッシュ・ビートより4〜5年も早い、人類最初のバンドブームなんですよ!そのことが改めて最初に語られます。

このメキシコでのロカビリー・バンド・ブームが飛び火したことで、南米規模最大のロック国になりはじめたのがアルゼンチンでした。アルゼンチンはメキシコのバンドの招聘をはじめ、国内ではエルヴィス・フォロワーみたいなシンガーがまずは多くでます。ビートルズの時代になると、なぜかメキシコやアルゼンチンではなくウルグアイやペルーといった小さな国でブリティッシュ・ビート型のバンドが出てくるようになるのですが、アルゼンチンは隣国ウルグアイでのバンドブームも取り込んでシーンを広げていきます。その結果

1967年に国産のガレージロック・バンド、ロス・ガットスがヒットすると、ここから一気に新しいロック勢が台頭します。

60年代末にサイケデリック・ロックのバンドブームがおきます。その中心となったのがアルメンドラ。この静止動画の右に出てくる美少年ルイス・アルベルト・スピネッタはまだ18歳ですよ。スピネッタは、アルゼンチンでいうところの「ルックスのよい細野晴臣」みたいな人で、プログレとフォークロックあわせたみたいな短命のバンドを次々作って影響力を与えていきます。

そして70年代に入ると

チャーリー・ガルシアという、メガネとちょび髭がトレードマークの人がカリスマになります。フォーク・デュオのスイ・ジェネリスで国民的人気となり、70年代半ばに組んだバンド、セル・ヒランは、当時のアルゼンチンでもっともすぐれたミュージシャンを集めた、当時のスーパーバンドです。チャーリーはメロディにクラシックの影響があって曲がとにかく美しいんですけど、コード進行的にも10ccとかトッド・ラングレンの影響強いので、テイム・インパーラとか好きな人、セル・ヒランはかなりおすすめです。チャーリーは80sからソロでそっちではニュー・ウェイヴ色濃くなってそこでも成功。スピネッタと並ぶアルゼンチンの2大ロックの父です。

ただ、70sは中南米にとってロックは試練でした。

サイケデリック・ロックのブームはメキシコでも起き、ウッドストックに触発された人たちは1971年に「アヴァンダロ・フェスティバル」という、いまだに「メキシコのウッドストック」と呼ばれている、25万人を集めたフェスを成功させます。

ただ、1968年にメキシコ五輪前から爆発していた学園紛争の関係もあり、メキシコ政府がロックを「若者への脅威」として恐れ、このフェスの後、なんと法的にロックを禁止してしまったんですよね!これでメキシコのロックは、地下室みたいなところでしか活動できない日々が続きます。

そして1973年9月11日、チリで左翼政権を打倒する軍のクーデターが勃発。極右独裁者ピノチェト政権が誕生します。ピノチェトがどれくらい最悪の大統領だったかは「ミッシング」という、80年代のジャック・レモンとシシー・スペイセクが出た傑作映画でも見ることが可能ですが、政府に反対した人たちが万単位で虐殺されています。

その中で

南米伝説のフォークシンガー、ヴィクトル・ハラもこのクーデターで軍に逮捕され、殺害されてます。こうしたこともあり、南米人のあいだでは右翼独裁政権に対して強い嫌悪感があります。この動画の曲「自由に生きる権利」は2018年にチリで巨大なデモが起こった際もテーマソングでしたね。

そしてアルゼンチンはもっと複雑で。この国では73年に選挙の結果、軍事独裁政権が終わって、かつての国の英雄だった、あのミュージカル「エヴィータ」のだんなさんでも有名なペロンが20年ぶりくらいに大統領に復帰してたのが1年も経たずに病死。その混乱に乗じて2年後にはまた軍事政権に戻ったんですけど、このヴィデラと言う大統領がピノチェト並の鬼でして。政治犯と見なされ逮捕した人たちをヘリコプターから投げ出して処刑するとか、非人道の極みやってます。

なんでこんな非道なことが許されたのかというと、当時アメリカが「南米に第2のキューバを作らせない!」と躍起になって、中南米の軍に手を回して協力してたからです。この爪痕、南米では強く、いびつな形で残り続けてますね。

 ということもあり、70年代が中南米にとって苦難の時代なわけだったんですが、80年代にこれが逆転します。


アルゼンチンでは80年代に入り、空前のパンク/ニュー・ウェイヴ・ブームが起こります。これは、軍事独裁政権が下り坂を迎えることで、国民の人気にかなりの火をつけ、ヴィールスやロス・ヴィオラドーレス、さらにスーモといったバンドが出てきます。とりわけスーモはイギリス留学してNMEでも働いてたフロントマンを軸に、じゃがたらにそっくりなファンクやっててかっこいいですね。

落ち目のアルゼンチン軍事政府は、国民の愛国心をたきつけようと、国の外にある島の領土問題を持ち出すことで当時でいうところのネトウヨ的心情をたきつけようとしましたが、そのフォークランド紛争で1982年、イギリスに惨敗。翌年には軍事政権終了です。このフォークランド問題を冷ややかに批判的に見てたことで、この国のパンク/ニュー・ウェイヴの株もあがります。

そして、民主制復帰とともに出てきた大スターが

ソーダ・ステレオ。彼らは出てきた時から桁外れの人気で、その熱気があまりにもすごいものだから、レコード会社側が「アルゼンチンだけじゃなくて、他のスペイン語圏でもうりだそう!」ということになります。これが、「スペイン語ロックの複数国マーケット戦略」のはじまりです。

ソーダ・ステレオの人気は南米全土レベルになり、メキシコでも爆発的な人気となります。そして、それはメキシコにも好都合でした。

この頃、メキシコではロック禁止令の規制がゆるんで、ロックに復活の兆しができ、このボテジータ・デ・ヘレスみたいなバンドが国民的な人気となりはじめていたときでした。

 メキシコのロック界は産業を活性化させようと、当時人気だったソーダ・ステレオをはじめとしたアルゼンチンのバンド、そして同じくブームだったスペイン、そしてピノチェト政権後期から盛り上がり始めたチリのシーンからもバンドを招聘して興行を盛り上げたんですね。

 そうした努力の結果、メキシコの国産ロックの盛り上がりが80s後半からはじまって

カイファーネスやマルディータ・ヴェシンダといったバンドが国民的人気を獲得するバンドになります。

これに引き続いて、メキシコはバンドブームになりまして

カフェ・タクーバやモロトフなどをはじめ、空前のバンドブームがおきます。ちょうどアメリカでニルヴァーナ以降にグランジ、オルタナのバンドが多くで始めた時に似てますね。出てくる人たちも首都のメキシコ・シティだけじゃなくて、第2、3の都市のグアダラハラやモンテルレイ、アメリカとの国境近くのティフアナとか、いろんなところから出てきてます。とりわけ北東部のモンテルレイからのバンドがすごく多いですね。

ちょうどこの時期には中南米のスペイン語圏を結んだMTVラテン・アメリカができた頃でもあり、こうしたメキシコのバンドだけじゃなく、アルゼンチン、チリのバンドももちろん紹介されたわけですが、そこに新たに加わってきたのがコロンビアのアーティストでした。

中でも最大のバンドになったのがアテルシオペラードス。ここのシンガーの、そこの金髪坊主のおねえさんですけど、アンドレア・エチェヴェリアはこの時代以降、南米ではフェミニズム的には非常に重要なアイコンにもなっていきます。今、全然風貌違いますけど、どの時期もきわめて奇抜で強烈なキャラクターです。

また2000年代にラテン・ポップで日本でさえもそこそこ売れたフアネスがエキモシスというメタル色の濃いバンドをやって、期待されながらも売れてなかったこともここでは話されます。

この他にもウルグアイでもバンドブームがおきたりと、2000年代のはじめにかけてまでは中南米、すごくロックの人気が高かったんですが、それが停滞しているよ・・・というところで終わります。その理由としては、2004年にアルゼンチンで起こったライブハウス火災の事件やエレクトロに人気を取られたことなどが理由としてあげられていますが

エレクトロなどの他ジャンルとの融合や、ヒップホップでの政治性、さらに女性アーティストをロックに積極的に取りこんでいくことでロックを活性化できれば良いのではないかとの提言をしながら終わる・・・と言う感じですね。最後の方のまとめは、これ、万国共通かな。

これで大体の流れを抑えているかと思います。動画で紹介した人の大半は、さっきも言った「非英語圏の101枚のアルバム」にも選んでます。かなり重要な人たちです。

こういう論旨のことが、もっとたくさんのアーティストの曲や、そのアーティストや関係者たちの証言の数々とともに語られます。それこそ、動画で紹介した本人たちも多数でてきます。さすがに、かなりの説得力はあります。

が!

実はこれ、問題がひとつだけあります。

それは

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全体の流れが、このグスターボ・サントオラージャと言う人の史観に偏りすぎです。この人はですね、70s前半にアルゼンチンでアルコ・イリスというフォーク・ロックのバンドで出てきて、今は映画音楽家として「ブロークバック・マウンテン」とか「バベル」でオスカーにノミネートされてるくらいの大物です。それと同時に彼は80年代にメキシコにわたってプロデューサーになってマルディータ・ヴェシンダ、カフェ・タクーバ、モロトフ、フリエッタ・ヴェネガスのプロデュースで当てるんですが、後半になればなるほど彼の賞賛番組になります。

たしかに関与したアーティストの当て方はすごいんですけどね。でも、だからといって

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「スピネッタとカイファーネスへの言及が不当に少ないのではないか」と言う声は方々で見られましたね。たしかに双方とも、アルゼンチンとメキシコのシーンにおいて最大のアーティスト扱いする人、実際多いですからね。そんな彼らがここでは、言及はされるものの、そこまで扱いが大きくありません。チャーリー・ガルシアやソーダ・ステレオ、カフェ・タクーバやアテルシオペラードスのフィーチャーのされ方からしたら微々たるものです。せっかく貴重な機会なんだから、なんとかしてほしかったですね。

あと、ブラジル在住者として残念なのは、ここにブラジルが全く含まれてないんですよねえ。まあ、言語がポルトガル語なので中南米の中で孤立しているからなんですけど、そのせいもあって、ラテン・グラミー賞とかでブラジル、いつも大苦戦なんですよ。もう、今や中南米、スペイン語圏でヒットが完全に共有されてるから、ブラジル一国だけ完全に蚊帳の外なんですよね。昨今、ブラジルから国際ヒットが出ない遠因もこういうところが少し関係したりしてます。

ただ、今回のシリーズ、細かいところでおもしろいポイントもあって

セールス的にはメキシコ一でアメリカ進出にまで成功してる人気バンドなのに批評家評価がいまひとつで有名な「マナ」というバンドに関して、なんか一生懸命フォローして持ち上げてるんですよ。「他のどのバンドより客は入れてるぞ」とかって言って、結構無理してね(笑)。

それから、今、マルーマとかJバルヴィンでヒットしてるコロンビアのレゲトンをちょっと揶揄してるところがあるんですよね。「それとなく」ではあるんですけど、今回の文脈に音楽自体が全く入ってこなかったですしね。

そして

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エンドロールの際の挿入VTRで、アテルシオペラードスがシャキーラを皮肉ってます。男性の方が「そうだ。シャキーラだって大事だよ」と言うんですけど、これにアンドレアが嫌な顔して「彼ったら、なんでも好きだからね」といって一蹴します。同じ国の大スターに対してやることすごすぎです(笑)。

・・・と、そんな感じですね。

これですね、もうspotifyのプレイリストにすごいのがあって

なんと、この6回シリーズの劇中で使われた曲を全部まとめてプレイリストにした人がいるんですよ!これは便利で非常に役立ちましたね。興味のある人は、まずはここをとっかかりにして聞けばいいと思います。「Rompan Todo」というのが、このシリーズのスペイン語の正式タイトルです。


















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