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特集・1969年(第4回) ロック以外にも芳醇だった69年の世界のヒット曲

どうも。

クエンティン・タランティーノの新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」にちなんだ1969年特集。先週は当時の日本のポップ・カルチャーについて書きましたが、いよいよ今週からは世界のポップ・カルチャー・シーンに迫ることにしましょう。

まず今回は、「1969年といえばロックの黄金年!」と簡単に飛びつく前に、実際にこの年の音楽の流行がどんなものだったかを語ることにしましょう。

この企画をやる前に予告を行った時、これをプレゼントしたことを覚えていらっしゃるでしょうか。

1969年の全米トップ10ヒットを集めたプレイリスト。今日はこれをメインに解説していきましょう。

この年、確かにロック、熱いんですけど、それに負けないくらいにモータウンもヒット、非常に多い年なんですよ。その代表格からまずは聞いてみましょう。

この年、テンプテーションズがやたらヒット連発したんですよね。これは彼らのイメチェン路線の最初ですね。この前は、スーツをビシッとキメたスタイリッシュな感じだったんですけど、ここからファンキーな社会的メッセージ路線に変わります。これ、プロデュースに当たったノーマン・ウィットフィールドが、この前の年に出てきたスライ&ザ・ファミリー・ストーンのロック調のファンク&社会はメッセージ路線にモータウン側がら返答したものなんですけどね。

モータウンというレーベルは、基本、「白人と融和していく明るい黒人像」を打ち出していて、メッセージ・ソングはご法度だったんですけど、社会状況の変化でそうは言ってられなくなります。

モータウンの稼ぎ頭、スプリームスも、少女売春をテーマにした曲を歌ったりね。邦題がこれ、「スラムの小鳩」でしたしね。あと、これまでS60s風のストレート・ヘアにしていたダイアナ・ロスがこのくらいからアフロになってますね。

あと、モータウンはこの年はマーヴィン・ゲイも、10代最後だったスティーヴィー・ワンダーもヒット曲を出していますが、彼らの本領発揮はむしろこの2、3年後ですね。あと、年末にジャクソン・ファイヴのデビュー・ヒット「帰って欲しいの」が売れ始めます。

あと、モータウン以外のソウルだと

アイズリー・ブラザーズが、この年からロックとソウルの融合路線で大物グループになっていきます。これは今聴いてもすごくかっこいい「It's Your Thing」。これを巧妙にパクったのがThe 1975の「Love Me」です(笑)。

あと、これもいかにもこの時代らしいソウル・インストですね。「ソウルフル・ストラット」。これのヴォーカル版と言うのがあるんですが、それを90sに「Am I The Same Girl」という曲名でスウィング・アウト・シスターがカバーしています。

あと、この年ですが、「一世代前の大物のカムバック・ヒット」も目立っています。

エルヴィスのもみあげ路線の始まりがここですね。もう、昔みたいなロックンロールは歌いませんが、この当時の南部ソウル風サウンドで鮮やかな復活を遂げます。60sは安っぽい主演映画ばかりに出てたんですけど、NBCでのライブ・スペシャル以降は音楽に集中し、亡くなる77年まで活動を続けます。

なおエルヴィスですが

世の悪役だった保守派のニクソン大統領の支持を表明して、ジョン・レノンを失望させたりしています。

カントリーの一匹狼、「マン・イン・ブラック」ことジョニー・キャッシュがこの年に大ブレイクしています。この年に刑務所の慰問ライブが大当たりして、その勢いで自分のTVショーまで放送されてたんですよね。それがその番組の映像。これ、ちゃんとソフト化して欲しいんですけどね。

そして、カントリーといえば

この超名曲を忘れてはいけません。グレン・キャンベルの「Wichita Lineman」。これも全米2位まで上がる大ヒットなんですけど、このストリングス・アレンジと郷愁を誘うサビ終わりのおブレイク。僕の人生で屈指のフェイヴァリット・ソングでもあります。

この曲を書いたのは

当時、天才ソングライターと歌われたジミー・ウェッブですね。この当時、まだ20代の前半のはずですけど、ロック、ソウル、カントリー、そしてガーシュウィンあたりも入るのかな。絶妙な融合センスを持った卓越したソングライターで、この当時ヒットを連発させています。この年だとグレンに「Galveston」というもう一つのヒット曲もあるし

このホワイト・ソウルの名曲。、ブルックリン・ブリッジの「The Worst That Could Happen」。これも素晴らしい曲です。これは歌詞も泣けてですね、ジミー・ウェッブ、ラヴ・ソングの名手でもあるんですけど、これはかつて愛した女性が結婚することへの祝福メッセージを歌ったものなんですが、「でも、それは僕の人生最悪のことなんだよね」と言ってシメる、というものです。

あと、この年に話題になったソングライターとしては

これも全米1位ですね。。フィフス・ディメンションの「Wedding Bell Blues」。この人たちは「黒人版ママス&パパス」と呼ばれたように、ソウル色の薄いポップスで人気で、別の回に回しますが、この年、デカいミュージカル・ヒットも出しているんですけど、白人ソングライターの曲を好んで歌っていました。この曲を書いたのは

この人も天才と謳われていました当時22歳のローラ・ニーロですね。彼女は元々ホワイト・ソウル系のシンガーソングライターで彼女自身の作品こそをオススメしたくもあるんですけど、この年、彼女は3曲の提供曲がトップ10に入ってます。「Wedding Bell Blues」、ブラッド・スウェット&ティアーズの「And When I Die」、そしてこれです。

このクラシックスIVもそうですね。この人たちはアーバンな洗練された曲を専門に歌ってたんですが、もしかしたらAORてきなものの走りかもしれません。曲調は全然違いますけどね。彼らもこの年、この「Traces」を筆頭に3曲の全米トップ10があります。

このトミー・ジェイムス&ザ・ションデルズもそうですね。彼らは66年くらいからヒット出してましたけど、69年はこの曲を始め、3曲の全米トップ10ヒットがあります。ロック史で語られないバンドですけど、何気によくカバーされている人たちでもあって、1987年には「I Think We Are Alone Now」がティファニー、「Mony.Mony」がビリー・アイドルにカバーされてどちらも全米1位になっていたりと、そんな話題もあります。

あとですね、このころ、実は意外なまでに軽い、「バブルガム系」とも言われた曲もヒットしてるんですよね。

もう果てしなく一発屋に近いんですけど、そういう中でもいい曲ありました。

上の曲はのちに「アリーMy Love」でも使われていた曲なので、知ってる方いらっしゃるかもしれません。下の曲は「笑ってローズマリーちゃん」ってすごい邦題がついていたりするんですけど、なんかブリットポップの時代のヒット曲みたいに聞こえますね、今だと。

・・こんな風にですね、意外とポップな曲が多かったりもする1969年。Spotifyのプレイリストをじっくり聞くと、結構いろんな発見があるものです。

ではシメは、1969年の曲の中でも、僕の大好きな曲でシメましょう。これは惜しくも全米トップ10をギリギリで逃した曲なんですけど、これもアメリカでは懐メロの大定番の曲。ポジティヴな気分になりたい時にオススメみたいな感じでよく推薦される曲でもあります。

では、次回はいよいよ「1969年のロック」、行きます!

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