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世界と自分とドアの鍵

「仏教の教えに沿って修行していくと、何がどういう風に変わるんだろうか?」

もしかすると、この動画『New Heart New World : Phra Pisal Visalo』の中に、その答えがあるかもしれません。

タイの団体New Heart New Worldの作成したこの動画には、タイ仏教翻訳家 浦崎雅代 さんが主宰する 気づきの瞑想(チャルーン・サティ)オンラインコミュニティ有志により、日本語キャプションがつけられています(私もお手伝いさせていただきました)。

豊かな自然に囲まれたスカトー寺で、パイサーン師が語られる言葉は平易で、すーっと心に染みこんできます。

心が広くなり、あらゆるすべてのものが
自分自身と関係していることに気づくようになる

今、新型コロナの時代にあって社会の「分断」が危惧されている中、自分個人で何ができるんだろう…という、無力さを感じることが時折ありますが、こうした言葉に元気づけられます。

ブッダはこう言っています
幸せを与える人は、幸せを得られる人である」と
幸せを他の人にあげる時、あなた自身も幸せを手にすることになるのです
私たちがやるべきことは
自分の目的と他の人の目的を、ともに調和させていくことです
これが、善き行いということなのです

また、「仏教の “目覚め”(悟り)ってどんなもの?」というのも、仏教に関心がでてくると気になります。

こちらの動画では「無明」と「目覚め」について語られています。

多くの人は、「あれが欲しい」「これがないと…」「これはこうでなきゃいやだ」…という思考や感情にはまり込んで苦しんだ経験があるのではないでしょうか。

さて、そうした苦しみから抜け出し、自由な、幸せな心になるには…?

幸せは自分の心を目覚め
させることから始まります
自分自身を知ることがスタートです
目覚めは はまりこみや無知を終わらせる大切な土台です
真実を観る目を曇らせる はまりこみを止めてくれるのです
誰に対しても自分の敵だと 思うことがなくなります
「この私はない」ことを気づくようになると
心が愛と思いやりで満たされます
心が広く大きくなります
自分とすべての物事の繋がりを感じるようになります
一度自分の内部を見つめ 何もないことを知る
これが智慧です
一度自分の外に目を向けると
すべてが自分であることが分かります
これが慈悲の心です
私はこれが目覚めに関する一番の解釈だと思います

ひとつ目の動画でも語られた「心の広がり」。これは、実は「自分」を見つめ、知って行くことからスタートする、というお話が印象に残りました。

このパイサーン師の2つの動画を見て、思い出したのが、
大島弓子さんの漫画 『ロスト ハウス』(白泉社文庫)です。

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主人公はエリという大学生の女性。彼女が幼い頃に住んでいたアパートの隣室の鹿森さんは鷹揚な性格で、いつも玄関の鍵が開いていました。仕事で不在がちな鹿森さんの部屋はエリの格好の隠れ場所であり、心の解放区となっていたのですが、ある日鹿森さんの部屋に同居していた恋人が事故で亡くなってしまいます。

傷心の鹿森さんに、エリは何もしてあげることができません。その後まもなくエリ一家は引っ越すこととなり、鹿森さんが心配なエリは一人でアパートを訪れるのですが、既に鹿森さんはその部屋から転居しており、エリの「解放区」は永遠に失われてしまいます。

ところが、成長したエリに思いを寄せる同じ大学の青年から偶然に「鹿森さんはホームレスになった」ことを知ります。

鹿森さんを見つけたのは元の会社の同僚の人でした。鹿森さんが明るい顔で「なるべく全国を歩く」と言っていたことを聞き、エリはその夜あらゆる場所を歩いて、鹿森さんを探すのでした。

「ああ彼はついに
全世界を自分の部屋にしたのだ
そしてそのドアを
あけはなったのだ」

鹿森さんを見つけることはできませんでしたが、エリの心は夜明けが近づくにつれて変化していきます。

わたしは
わたしの前で
世界のドアが
とつぜん開け放たれて
いくのを
感じていた
この世界の どこでも

どろまみれになっても
思いきりこの世界で
遊んでもいいのだ

『ロスト ハウス』のこの最後の場面と、パイサーン師の語られる「世界と自分」の関係が、重なって感じられたのです。

”鍵をかける”というのは、”自分のもの”を守るためではありますが、同時に”他者を受け入れない”ことの象徴なのかもしれません。鍵をかけない部屋の住人 鹿森さんに無条件に受け入れてもらい、全く圧迫されることのない「自由」という安心を得たエリは、その解放区を失ったことから自分の心に鍵をかけ、「人生の目的もなく」「ロボットみたいに生きていく」と、世界への関心を閉ざしてしまっていました。

しかし、「全世界を自分の部屋にした」という鹿森さんの消息を知り、「世界全体が自分の部屋であってもいい」と思えたエリ。同窓生の彼の鍵を握りしめて、朝日の中、彼の部屋へ向かってエリは駆けだしていきます。

仏教の修行、というのも、こうした心の扉を”鍵で開く”ようなことなのではないでしょうか。そして、自分を守るために小さな部屋「解放区」が必要だった子どもが、自分でドアの鍵を開けて外に出ると、実は”全世界”が「自分」の部屋だったことに気づける、そんな瞬間が”目覚め”の第一歩なのかも、と感じました。

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