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小さな漁村の燈火が、大きな狼煙に!日本の海が世界で輝く時代に


好きな食べ物といえば何を思い浮かべるでしょうか?

カレーにラーメン、焼肉と様々な候補が上がる中、30年以上の不動の1位がある。それが「寿司」だ。児童から大人、ご隠居さんまで日本人の約9割が好きと答える「寿司」。ユネスコの無形文化遺産である和食の代表格
でもある。しかも「好きな食べ物 世界ランキング」でも4位とその人気は世界レベルだ。それを支えるのが漁業である。

日本近海で獲れる魚の魚種は3700種。世界で獲れる魚が1万7000種と考えるとその1/4にもなるというのだから驚きだ。1984年には、1282万トンの漁獲量を誇り、日本の漁獲高は世界一であった。しかしそれ以降は伸び続ける世界需要とは真逆で、日本の水産業は衰退の一途をたどっていった。

その主な原因が後継者不足。海外からの輸入や食肉文化の浸透により魚価が低迷する一方、燃料高騰や物価高騰により漁業を営む経費としては増大していった。2019年の漁業者平均年収は234.8万円と非常に厳しい状況というのが現実である。さらに環境問題の観点から漁獲割り当てをされ、漁自体が制限されているほどだ。このままでは事業継続は難しいとして、1人また1人と漁村を離れていく。そして過疎化した漁村ではさらに漁獲量が落ち、収入が減っていくといったマイナスのスパイラルが全国各地で起きているのが実情だ。

そんな漁村の1つが三浦市。三崎のマグロとして有名な三浦市だが、漁業者人口の逓減は止めれなかった。1985年、当時市長であった久野 隆作氏も頭を抱えていた。

「このままでは三浦の未来はない。何とかせねばならない」

と立ち上がり、そこでたどり着いた施策が「海業(うみぎょう)」であった。
「海業」とは、地域の海という資源を漁業や観光業など総合的にとらえて地域の賑わいを創出するという事業である。海はもともと、同じフィールドの中で様々な業種が共存している。漁業を始め、海運業、マリンレジャー、マリンスポーツ、最近ではビーチクリーンの団体など、関係事業も数えれば枚挙に暇がない。それが同じ海というフィールドで各々の活動を行っており、言わばリアルなパラレルワールドが展開されているようなものだ。そして、それぞれの産業が違う目的で事業を展開しているため、相まみえる機会もなく、個別に取り組みを進めてきたという背景がある。そこで久野市長は海を1つの資源と捉え、異業種を連携させることによって地域全体の活性化を目指すという目標を立てた。それが「海業」であった。しかし、海に昔からなじみの深い日本にとっては、各産業の組織体制が確立しており、反対の声も上がったという。最初は小さな燈火程度だったかもしれない。しかし久野市長と市職員のひたむきな努力により1団体1団体と理解を得ながら少しづつ形を成していった。そうして2001年、三浦の人々の思いを乗せてできたのが三崎フィッシャリーナ・ウォーフ「うらり」である。名産のマグロから飲食に至るまで三浦の「おいしい」が詰まった三崎港産直センターだ。「うらり」を皮切りに三浦の海業の取り組みが進んでいった。二町谷地区の整備や県営の海上釣堀、2023年4月には日本で初となる魚の専門学校、「日本さかな専門学校」が建てられたのである。


海業の始まりと言われる三崎フィシャリーナ・ウォーフ「うらり」


2022年4月に開校した、日本初の魚の専門学校「日本さかな専門学校」

この三浦の取り組みは過疎化が進む漁村にとっては、希望の光となった。そうして2023年5月、漁港漁場整備法が改正され、国を挙げて「海業」の振興を本格的に進めることになった。水産庁はもちろん、全国漁業協同組合連合会なども以前より進めていた「浜の活力再生プラン」の新規5ヵ年計画では「海業」をテーマに取り扱っていくことなった。

2023年12月13日、初めてとなる第1回海業推進全国協議会が農林水産省本省で開かれた。県庁職員や県漁連など、会場に200名、オンライン参加も含め470名という規模で、盛大な海業決起集会となった。その地域の1番手としてスピーチしたのが三浦市市長室長の徳江 卓氏。徳江室長は今までの三浦市の取り組みや今後の展望を話し、2024年4月1日より施行となる改正漁港漁場整備法に向けて大きな狼煙を打ち上げた。

衰退していく地域漁村の1人の市長の熱い思いが、40年という時をかけて大きな流れとなり、今、日本を変えようとしている。「日本の海」という宝が再び世界で輝きを取り戻す。その瞬間に私たちは立ち会っているのかもしれない。



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