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【海業のススメ】岩手県大槌町~肩を寄せ合い、ピンチをチャンスに変える海

「うゎ~!海だぁ~!」

みなさんはこのフレーズ、使ったことありませんか?

おそらく、「日本に生まれた人なら人生で必ず1回は発しているフレーズコンテスト」があったなら、ダントツの第1位に輝くであろうこの言葉。特別な思いを込めて叫んでいる子供たちがいる地域があります。それが今回紹介する大槌町です。海に熱いラブコールを捧げる大槌町が2023年3月8日、全国で12港に海業振興モデル地区に選ばれたのです。


大槌町には、ひょっこりひょうたん島のモデルとなった島(※1)であったり、町のいたるところに湧き水が湧く湧き水の町(※2)であったりと、小さい町とは思えないほどいろいろな魅力があるのですが、全国的に注目されているのがサーモンの養殖です。大槌町は岩手県の海岸線のほぼ中央。リアス式海岸の入り組んだ地形が、サケ、ホタテ、カキ、ウニ、アワビなど数多くの海の幸を運んでくれるのですが、その中でも別格なのが養殖サーモンです。銀鮭、トラウトとのサーモンが取れる大槌町。鮭に関するその歴史は古く400年前にもさかのぼるのです。シロサケを使った冬の高級お歳暮「新巻鮭」の発祥の地で、1997年には天皇皇后両陛下もご臨席もした「第17回全国豊かな海づくり大会」が大槌町で開催されているのです(※3)。かつては秋鮭が大槌川に遡上し、本州一の遡上尾数を誇っていたりと、大槌町はまさに「鮭の町」でした。大槌町のご当地サーモンは、「岩手大槌サーモン」と呼ばれ、養殖サーモン界のニューフェイスにもなっているわけです。最近では大手水産企業の研究拠点として注目の町になっているのです。


この豊かな海を持つ大槌町が海業の振興モデルに選ばれた理由には、養殖サーモン事業がすごいというだけではありません。今大槌町で力を入れているのが藻場の再生事業です。この藻場再生事業からウニの畜養、ダイビング体験、学校教育と大槌町全体を巻き込む新たな取り組みとして全国的に注目が集まっているのです。その基点になったのが東日本大震災でした。大槌町の被害も甚大で、最大22mの大津波がやってきて町を飲み込んでいったのでした。そんな中、復興に取り組んだ1人のダイバーがいました。NPO法人三陸ボランティアダイバーズ代表の佐藤さんです。ダイバーは密漁者と見分けがつかないため、漁師の世界では煙たがれる存在で、法律的にもウェットスーツを着て海に潜ることを禁止している地区があるほどです(※4)。タイでインストラクターをされていた佐藤さんは、地元岩手の被災を知り帰国。三陸ボランティアダイバーズを立ち上げ、失意の底にあった漁師に「何か手伝うことはありませんか」と声をかけては海へ潜り、黙々と瓦礫や漁具の引き揚げ作業を行っていきました。そんなひたむきな姿に地元漁師さんはダイバーへの理解をするようになっていったのでした。そんな信頼関係が築かれてくると、佐藤さんのもとに大槌町からある依頼があったのです。


その内容とは「海の中を調査してほしい」という内容でした。地元の漁師さんは海底の瓦礫がきれいになっていくとある変化に気づきます。震災前には深く生い茂っていたワカメなどの海藻が見当たらなくなってきていたのです。そんな状況を漁師から相談された大槌町は、大槌の復興を海の中から支えた佐藤さんに相談したのでした。大槌のワカメは商品としてだけではなく、ウニやアワビの貴重な餌であり、稚魚育成のゆりかごでもあるのです。そんな大槌町の生命線、ワカメがなくなってしまうのは一大事。そうして海底調査が始まったのです。すると驚愕の事実を発見します。それがウニが膨大に繁殖して海藻を食べつくしてしまう「磯焼け」でした。ウニが増えるならいいだろうというわけにはいきません。海草を食べつくしてしまうどころか、餌のないところで育ったウニは身の入りも悪く売り物にもならないのです。そうして藻場再生事業を取り組んでいくことになったのです。


磯焼けが進む原因の1つが、地球温暖化による海水温上昇。三陸の冬の海といえば本当に冷たく、ウニは5℃を下回ると摂餌活動が急激に減っていきます。そんなウニが休んでいる間、海藻の種苗(※5)が海に広がり、春先にかけて藻場を形成していったのです。このような自然のサイクルの中大槌の海には豊かな漁場が広がっていったのです。それが、最近になって冬場でも海水温がが上がり、5℃以上になることが増え、ウニが休むことなく海藻の種苗まで食べつくしてしまうようになったのです。本来生えてくるはずの時期に、海藻が育っていない。まさに、海の砂漠化が広がっていったのでした。

この状況を打開するには、人の手で藻場を守り育てなければならない。そうして大槌町は官民連携で藻場再生事業に取り組んでいくことになったのです。


ダイバー×漁師という異色のコラボで藻場再生事業は始まりました。当初から漁師全員の理解を得られていたわけではなかったのですが、結果で納得させるという決意で2019年(令和元年)、藻場を再生させるための試験を行ったのです。2021年(令和3年)3月には見事藻場が復活したのでした。するとそれまで不信感を抱いていた漁師の間にも賛同の声が広がり、2021年4月、大槌町藻場再生協議会が立ち上がったのです。厄介者となっているウニの駆除をして、区画をつくり藻場の再生を行っていったのです。協議会発足後に活動範囲を拡大した後も、結果は想定通り、年を追うごとに多くのエリアで磯焼けが改善していったのです。再生した藻場は、ワカメを始めとする海藻商品として売上につながるばかりではなく、二酸化炭素の吸収としてブルーカーボンにもつながり、Jブルークレジット(※6)による現金化も可能になっていくのです。さらに駆除したウニも身入りをよくするよう育てれば販売につながるということで、ウニの畜養事業も始まってきたのです。また大槌町でのダイバーへの理解が深まったこともあり、観光として里海ダイビングも開始していくことになったのです。


震災による被害は残された子供たちにも影響を与えました。震災以降地域の人たちは心理的にも海に近寄ることができませんでした。特に小さな子供たちにとってはなおさらで、海を間近で見たことさえない子供たちもいるようになってきたのです。

「大槌の海を子供たちに見せたい」

そんな思いを描き、奔走した人が、大槌町役場の芳賀さんです。吉里吉里漁港の近くで育った芳賀さんは、「海は学びの場、遊びの場、生業の場」として育ってきました。そんな豊かな大槌の海が目の前にあるのに触れられない今の小中学生に何とか海を伝えたい。そう考えていました。そんな中、2016年政府からある政策が打ち出されます。小中一貫教育カリキュラムです。小学校6年間と中学校3年間を長期スパンを通して一貫して教育する学校制度で、大槌町はいち早く取り組みを始めます。大槌町では「ふるさと科」と題して、地域への愛着、地域経済、防災教育を9年間かけて学ぶプログラムを作成しました。その中にあるのが海洋学習。地元の養殖産業を元に、ワカメの種付けから生育まで勉強し、学年が上がるにつれ、鮭の学習、鮭の稚魚放流、新巻鮭つくり、ワカメの種付け、水産加工といった地元の産業の流れを体系的に学びます。そして最終学年では、修学旅行で銀座へ行き、アンテナショップで自分たちの作った鮭やワカメを売るという教育課程です。最近では、「ふるさとの海」というテーマで、芳賀さんや佐藤さん、地元漁師さんなどが講師となって、三陸の海の生き物の様子や磯焼け、ブルーカーボンについての授業を行っているそうです。聞いているだけで壮大でわくわくします。


大槌町では、このような様々な取り組みについてそれぞれが補い合いながら、地域の収益化ばかりではなく、担い手育成も含めた取り組みを行ってきていたのです。そしてそれを1つの体系的にまとめたのが海業振興モデルというわけです。一見バラバラに見える事業も、もとはといえば、地域の課題、地域の伝統、地域の夢につながっているのです。すべては、大槌の偉大なる海を後世につないでいきたいという地域全体の思いが作り上げたモデルなわけです。

新学期になれば、また子供たちが大槌の浜で、町中に響くほどの大きな声でこう叫ぶのでしょう。

「うゎ~!海だぁ~!」


※1、NHKの人形劇で、海を漂流する島に取り残された、1人の先生と5人の子供たちが繰り広げる笑いあり、風刺ありの人形冒険活劇。
※2、木舟(キッツ)と呼ばれる湧き水をためる貯水槽が井戸代わりに町中のいたるところにある。
※3、1997年10月5日、第17回 全国豊かな海づくり大会開催
https://www.spf.org/opri/newsletter/134_1.html
※4、海のルールとマナー教本 公益財団法人日本釣振興会
https://www.jsafishing.or.jp/wp-content/uploads/2016/02/rule.pdf
※5、種苗(しゅびょう)とは、栽培・増養殖漁業のために人工生産又は天然採捕した水産動植物の稚魚・稚貝等の総称。
※6、JブルークレジットとはJBEが発行する認証制度で、海での二酸化炭素吸収量を証明書として発行し、その証明書を有料で譲渡できる仕組み。
https://www.blueeconomy.jp/credit/

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