見出し画像

#だれもが文化でつながる国際会議 短期集中キャンプ「共鳴する身体」を振り返ってみて

改めて,振り返ってみると,事務連絡等のチャットにてやりとりしているかつ,他のチームの作業を目に入りながらも,ひたすら自分の作業に夢中になったのが久々だったかもしれないという話.

某短期集中キャンプに参加し,そこで共同制作して作品を展示するという内容だったが,実は結果的に初めてメディアアートデビューすることに至ってしまったのはいうでもない.

この楽器制作をテーマとするワークショップになんで参加したのかって聞かれると,ほぼノリで決まったようなもんとしか回答できないかもしれない.

いや,ちゃんと回答できるんだけれど,この人は何を言い出すんだと思われるかもしれない.

一旦回答をまとめよう.

まず,大学2年次ぐらいまでは人工内耳を装用していたが,過去の記事でも触れたように,

人工内耳は,200~8000Hzの音域を20個前後の電極でカバーするようになっている.
しかし,一般人だと,20~20,000Hzの音域を約4000分割(有毛細胞)で聞き分けている.(あくまでも理論の話.)

太田 岳,任 書晃,日比野 浩,人工内耳の現状と展望,精密工学会誌,Vol.83,No.11,pp.992-995,2017

音への解像度は実はそこまで高くないのではと気付いてから,計算機が創り出す音の世界観にそこまで浸かりたくないなと違和感を覚えるようになってから人工内耳を装用しなくなってきた.
だからと言って,それまで人工内耳を装用してきて,「SEKAI NO OWARI」の天使と悪魔,「Galileo Galilei」の「僕から君へ」などを好んで聴いてきた私を否定するつもりはないし,今も人工内耳を装用している友達なども否定したくない.

ただ,幼児のときに埋め込み手術を受けさせるかどうかのインフォームドコンセントの部分に侵襲性が潜んでいる技術倫理があることを考慮してほしい.これだけは何度でも言う.

また,最近は触覚提示関連研究開発プロジェクトに携わっているのもあり,音への解像度と触覚提示への解像度をいかにリンクさせていくのだろうかと考える機会も増えてきた.

詳しくはもう既に研究されている部分でもあるので,各自サーベイしていただくとして,ここでは金箱淳一さんが自身の博士論文でも触れているのと同様にレクチャーにて触れていた.

簡単にまとめると,触覚提示に関する感覚器官はいくつかの受容器から成り立っており,周波数によって閾値が異なったり組み合わせで判断したりとする.

といういくつかの背景を踏まえ,ではそもそも音楽は音を主軸とするのざるを得ないのかという疑問を持つようになり,最近では似たような問いかけを投げる文化活動もある.

じゃあ,視覚情報を主軸としたらどうなるのだろうかと思い浮かべた際,Visual Vernacular?と出てくる.

音楽というよりもパーフォマンス手法になってしまうのあるけれど,音楽を演奏するという意味ではまだ近いのかなって考えたりしていて.

コンピューターという計算機であれば,音を主軸とした音楽を演奏する楽器ではなく,何かを主軸とする音楽を演奏する楽器を制作するのを可能とするのではと問いかけを持っているんだけれど,制作しようと至らないままになってしまいがちになっているのをなんとかしたいと思ったときに今回のワークショップをきっかけでヒントを得られたらと思い至ったのが,参加した経緯.


という感じで,チームが固まりつつという時に,音を主軸とするのを一旦やめてみません?と私が言い出したきっかけで混沌を呼び出してしまい,中々まとまらない事態になったり,松村さんがアイメントに演奏させたいなぁとか思いがけないことを言い出したりして,これはなかなか音楽って音を主軸とするの難しいのかと気付いた時間帯でもあるわけで,非常に楽しめた.

あとは,小野さんがうまく映像と音をチューリングしてくれたり,前田さんが見た目を整えてくれたり,立花さんと松村さんが音と匂いをリンクさせるように選んでくれたりと.

そして,私の中でなんとなくまとまりつつあるのをあえて草案に混ぜるように(下記に引用)で書いてみて,その草案をチームメンバーに共有して,立花さんや前田さんにうまく書き直してくれたり.

コンセプト:
空気という名の場を演奏



概要:
私達は,最初は音楽というのは音を基準にし,演奏するものだと思っていた.
そこで,音を基準としない音楽を演奏するような楽器を制作するのはどうだろうか?と考え,聴こえない人や見えない人と話し合っていきながら進めてきた.
お互い妥協できるのを共通化の基準として.
とすると,実はもしかして,音楽は,昔は自然と人間との間にうまく介入し,融け込むようなもの,つまりコンピュータがないからこそ,空気という場をうまく演奏するために自然にある音を使ってきた.使い続けてきた結果,空気という場を演奏するのではなく音を演奏するという発想に縛られてきたのではないか?そんな問いを投げかけるような試みでもあると私達は途中で気づいたのである.
今回は,音を基準にしないで,「夏」という名前の空気を演奏するために,聴覚,視覚,触覚,嗅覚のそれぞれから想定するのを組み合わせられるような楽器を制作した.という空気の場を演奏するために

最後の最後のところで一気に追い詰められるだけ追い詰められたのもチームメンバーに恵まれたからだと思う.

このまま,この作品をもう少しブラッシュアップしていきながらクオリティを上げていきたいなと思いつつも,また別のアイデアが思い浮かんだりしている間に関係者からもいくつか話しさせてもらったりと,収穫が沢山あったワークショップだった.

もっとわかりやすく書けるよう努力いたします!ほんの少しだけの応援をお願いいたします!