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【20冊目】今夜、すべてのバーで / 中島らも

5月が終わりを迎えます。
本日も休業中です。

明日以降も当店は休業を継続するわけなんですがね。昨日なんかも、店で作業を終えて帰ろうとした21時過ぎですかね。吉祥寺の街中なんかも、だいぶ活気が戻ってきている様子で、おやまぁ、など思いながら帰宅したわけなんですがね。長く続く休業要請に、もうやってられへんわ!というマインドなんだと思うんですがね。面白いですね。やってられへんわ!思った人からお店をやり始める。やってられへんわ!→やめる。なら、流れとしてストレートな気がしますが、やってられへんわ!→やる。っていうのは、言葉としてのねじれがありますよね。まぁ、やってられへんわ!というのは休業要請に対してなので、そう考えると真っ直ぐでなんのねじれもないんですがね。ねじれているのは、俺か、世界か。という気持ちになりますね。そんな世間との流れをアジャストする唯一の方法が、当店月初のお約束、そう、ウィグタウン読書部ですね。

今回も、先月に続き、少し早めのご紹介ですが、今月の課題図書は中島らも『今夜、すべてのバーで』。本当は6月に休業が明けて、6月1日の投稿で「『今夜、すべてのバーで』」と言う予定だったんですがね。仕方ないですね。読んでいきましょう。

さて。
それでは例によって本題に入る前に少し私の個人的な話をしたいと思うのですがね。私なんていうのは、所謂「酒の飲めないバーテンダー」で、もう圧倒的に酒が弱い。先日なんかも休業中なのをいいことに、自宅で缶ビールを飲んでいた折、わずか5%台のIPA一本(440ml)が飲みきれずに、もうあかん。飲みきれん。頭痛い。寝るわ。となってしまったことがあり、つくづく己の酒の弱さに嫌気がさしたわけなんですが、ならばそんな私が、こうして酒のお仕事をしているというのはなんとも因果なもので、そもそも私が初めてバーテンダーという職に手を出したのはまだ学生の19歳の頃。その前までは、所謂個室居酒屋みたいなお店でアルバイトをしており、それはそれでなかなか楽しかった。飲食店のアルバイトというやつはいいのかもしれない。ならば次も飲食店のバイトにしようかな、など考えたときに思いついたのがバーテンダーという職であった。私なんていうのは、高校3年生の春よりずっと日記を書き続けているという癖があり、それによると、当時の私がバーテンダーという職をアルバイト先に選んだ理由として「お酒の飲めないバーテンダーってなんか面白くない?」みたいなことを言っており、当初はお酒そのものへの興味よりも「お酒の飲めないバーテンダー」というステータスを獲得することを面白がっていた節がある。白シャツにネクタイ、チョッキというコスプレのような格好も、私のシチュエーションに対する悦楽を満たすには十分で、しばし楽しく働いていたのだが、そうこうするうちにお酒を介したコミュニケーションや、その空間をどのようにオーガナイズするかという点に興奮を覚えるようになり、アルバイトながらサービスというものの楽しさを知っていくことになる。お酒そのものの魅力に気付き始めたのは、実はもっとずっと後のことのようで、そもそも前述のように私はお酒が強くない。当時から、安い居酒屋でライムサワーを一杯も飲みきれずにトイレに駆け込むなんてことをしていたくらいなので、そもそも酒を美味しいと思ったことはなかった。しかし、酒を取り巻く文化や雰囲気にはとても魅力を覚えていたものだから、せっかくなので飲めるようになりたい。最初はビールやサワーといった居酒屋ドリンクからスタートし、今度は甘口のロングカクテルなどへ。この辺なんかは美味しいと言って飲んでいたようだが、酩酊感に心地よさを覚えるということはなく、続いてワイン、焼酎、日本酒などウンチクたっぷりのアルコールに手を出すも、やはり美味しいとは思えず、グラス一杯と待たずして頭が痛くなる。どうしたものかとやった先にたどり着いたのがウイスキーだったんですね。一番最初に飲んだ銘柄がなんだったか記録に残ってはいないが、ロックでひと舐めした琥珀色の液体はカラメルみたいな甘さと口腔内をくすぐる刺激があり、鼻に抜ける香りもふくよかで、今までにない味わいだった。そして何よりも簡単に頭が痛くはならなかった。当時から「酒によっては相性があるから」という認識を持っていた私は、なるほど、これが相性というやつなのだろうか。ウイスキーは飲めるかもしれない。とまぁ、この段になってようやく酒そのものに対する興味が湧いてくるんですね。一つ一つ試して行ったりなんかすると、その味わいの豊かさに感動するなんて。この「酒そのものに対する興味」を持っているかどうか、というのは一つ、どなた様にも言える酒との関係において重要なファクターの一つじゃないかって気がするんですがね。このアル中の物語を読んでいくと、お酒というものの持つ多様なアスペクトが見えてくる気がしますね。読んでいきましょう。

物語の主人公は小島容、35歳、アル中であり、彼が自発的に病院へ行き診察を受けるシーンから始まる。自ら病院へ「出頭」していることからも分かる通り、彼は自分の症状や体の状況に関して非常に冷静に自己診断を下しており、このままじゃ死ぬという客観的な判断も持ち合わせている。アル中に対しても一家言ある様子で、医者に対して処方薬を名指しで要求したりする。この主人公のいいところは徹底的に自己分析ができている点だ。もちろん自己分析通りのアクションが取れるのならなんの問題もないのだが「分かっちゃあいるけど」というやつで、行動との間に矛盾があり、その矛盾も含めて自分という存在を認識しているところなんかは、憎々しい反面憎めないところで、医師、赤河とのやり取りは忌憚がなく小気味好い。そんな彼が、アル中になる人間とそうでない人間は酒との向き合い方が違う、と持論をぶち上げるシーンがある。曰く「よく『酒の好きな人がアル中になる』という見方をする人がいるが、これは当を得ていない」「酒の味を食事とともに楽しみ、精神の程よいほぐれ具合を良しとする人にアル中は少ない」「アル中になるのは酒を『道具』として考える人間だ。(中略)この世からどこか別の所へ運ばれていくためのツール、薬理としてのアルコールを選んだ人間がアル中になる」と。これというのは、やはり真理といえるのではないかと思っており、酒における「味わい」とは酒の多様なアスペクトのごく一部で、もしかしたらそれは本質ですらないのかもしれない。「酒」というステータスを最初に私が求めたのと同じように、ある人は「酒場の雰囲気」を酒に求めるし、ある人は「エスプリ」を酒に求める。そういう人はみな、酒の持つ効果に酩酊しているようなもので、薬理的には素面でもこれはある種の依存ということができる。最初は、酒とは「ステータス」だったり「酒場の雰囲気」だったり「エスプリ」だったりへの単なる手段だったのに、いつの間にか酒を飲むこと自体が目的にすり替わってくる。こうしてアル中は作られるというのだ。ならば、アル中にならないためには「酒の味」だけを楽しんでいればいいということになるのであるが、それだけでは酒を味わい尽くしたと言えないのも事実。物語後半で、彼は「"依存"ってのはね、つまりは人間そのもののことでもあるんだ」と屁理屈をこねるシーンがありますが、これは紛れもなく真実であると思えて、つまりは何者にも依存しない人間などいない。彼は続けて「何かに依存していない人間がいるとしたら、それは死者だけですよ。いや、幽霊が出るとこを見たら、死者だって何かに依存しているのかもしれない」とも言いますが、やはり、我々は何かに依存することでのみ存在を保つことができるのでしょう。だからこそ、その依存の仕方を間違えないようにしなくてはならないわけですね。大いに依存してきましょう。大いに溺れていきましょう。今夜、すべてのバーで。

また別のシーンでは彼はこうも言っている。「アル中の要因は、あり余る『時間』だ。(中略)平均寿命の伸びと停年の落差も膨大な『空白の時間』を生む」「『教養』のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。『教養』とは学歴のことではなく、『一人で時間を潰せる技術』のことでもある」。このセリフなんていうのは、今まさに休業を余儀なくされてあり余る時間を無為に過ごしている私なんかには本当に食らう。すみません、ぐうの音も出ないっすわ。ぐう。みたいになってしまう。なまじ私なんていうのは、酒自体を彼のいうところの『教養』にはめ込んでいるところなんかがあるので、結局飲むしかない。ぐう。となってしまう。少しでも立派な酒の飲み方をすることで、時間を有効で生産性のあるものにしようと考えてしまう。この辺なんかは「酒」を生業にした人物のカルマであると思うんですがね。酒を教養にしてしまうことで、酒を飲むことしか出来なくなる。業が深い。ぐう。

しかし、これというのは本当にすごく面白い物語だと思うので、普段から酒を飲んでいるみなさんには是非読んでいただきたい。小島の憎めなさと、赤河先生の容赦なさがすごくいい。あとは何よりも、小島が夢の中で見た酒の描写が素晴らしくいい。紫水晶を湧き水の中に落とした瞬間、その水は全て酒に変わり、こんこんと湧き続ける甘く涼やかな香りに周りは包まれる。私は日本酒を飲まないのだけれど、こんな描写を見ていると日本酒を飲みたくなる。酒を飲ませたいのか、飲ませたくないのか、よくわからない本ですね。

それでは、今月の課題図書は中島らも『今夜、すべてのバーで』でした。来月は、ロバート・ルイス・スティーブンスンの『宝島』です。外に出られない世界なら、空想の島を本の中に探すのもいいものですね。読んでいきましょう。

それでは、当店は本日も休業中です。
みなさまどうぞ再開まで健やかにお過ごしくださいませ。

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