見出し画像

個展をやってみて

この記事は私の個展「私はいま駅(ここ)にいる」の開催期間中から、少しずつ書き足していったものです。
一応、2023年10月2日が最終更新のつもりでおります。


はじめに

この度は、私の個展「私はいま駅(ここ)にいる」にお力添えを頂き、本当にありがとうございました。

思えばこの何年か、心の中に時たま18歳の冬の情景が思い起こされてはふっと、記憶の中にまた沈んでゆく、みたいなことが続いていました。

18歳の冬、郵便局で年賀状のアルバイトをしたお金で、友人と二人で小樽市内の古い一軒家(をギャラリーにした場所)をお借りして、二人展を開きました。
それは自分にとって自己表現の場、そのものでした。
ギャラリーと言っても本当に、古い一軒家をそのままドン!と貸してくれた、所謂ギャラリーとは結構かけ離れたものでしたが、逆にそんな環境こそが私と友人の心を掻き立てたんだと思います。
好きなようにやってやる―そう、ワクワクしました。
受賞の常連だった友人と違い、私の作品は、奇をてらう様なものばかり。
ギャラリーあるあるかと思いますが、どこにでも現れる系「俺は絵にうるさいんだ」おじさんも、私の作品の前では素通りでした。
それでも私は、当時の尖ったナイフーにはなれず、尖ったつまようじみたいだった私なりの感性で、その展示をやり切って満足したのです。

そんな思い出が、20年経った今になって、妙に鮮やかに思い起こされてばかりでした。

ある日、越生町の広報に入っていた越生町観光協会さまからのお知らせに、越生駅西口総合案内所ギャラリーの貸し出しを行うという旨の文章を見つけました。
―いやいや、私の絵みたいな「上手くないもの」を展示するなんて、おこがましい。
一度はそう考えたものの、やはり一瞬胸に走った閃光は、けして無視できるものではありませんでした。

そして驚くほどあっさりと、観光協会さまにOKを頂いて。
あれよあれよという間に、私の個展の開催が決定したのです。

今の私を、20年前の私が見たら、どう思うでしょう。
きっと、叱ったりはしないと思います。
寧ろ「なんだ、案外頑張ってるんじゃん」としたり顔をしてくれるのではないかと―少女だった私が喜んでくれるなら、私は、なんていうか大満足です。

そんな私の個展「私はいま駅(ここ)にいる」の、自筆の感想文みたいなものになりますが、どうぞこの記事をも楽しんで頂けましたら幸いです。

+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+


Text written on September 21st

(なんとなく英文にしたらかっこいいかと…つまり、9月21日に書いた文)

個展開催から一週間を過ぎ、客足もやや落ち着いてきた感。
ここ二日間は、一日約一時間の在廊中もほぼお客様は無く、読書が捗る。

お客様とお話するのも個展の醍醐味だと思っているので、ギャラリーでの一期一会はとても楽しい。
初日に近い頃に、横浜からいらしたという男性とお話した。
越生とかそもそも埼玉よりも、私の故郷である北海道についての方がお詳しいかただった。
そんな、日高市も知らないという様なかたが私の個展に足を踏み入れてくださり、北海道の話で盛り上がったという偶然がとても嬉しかった。
このことがきっかけで、そのかたの記憶に「越生でなんか不思議な個展を見た」という思い出が記録され、結果、越生を忘れられなくなってくれたら嬉しい

ほぼ素通り、でもなんとなくギャラリー内に入って来てくれるかた、という存在もとても嬉しいものだ。
それでいいのだ、だって普通に生活していたらクロスすらしなかったかも知れないかたなのだ。
そんなかたのたとえ数分間でも、私の個展に費やしていただけたのなら、なんていうか運命的ではないか。

逆に、めっちゃダメ出しされたりもした。
きっとこのダメ出しについてはこの後にももっとちゃんと文章にして言及すると思う、たぶん。
でも今はちょっと時間が足りないので、とりあえずさらっとだけ。
ダメ出しを受けてさすがに落ち込んで、数日はお腹が痛かったりもしたのだけれど、だんだん「でもあの方、計3回も来場してどうにか私の在廊に合わそうとしてくれたらしいな―あ、なんだなんやかんや私の絵、好きなんじゃん?」、と開き直ってきた自分がいる。

勿論、知り合いもたくさん来てくれたし、芳名帳代わりのノートにメッセージを残してくださったかたもたくさんいる。ありがとうございます。
そのことについては、また後日ちゃんと文章にします。
焦らずしっかりちゃんと、この思い出を書き記していきたい、です。
                          

+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+


Text written on September 22nd


「個展をやるなんてすごいね」、というお褒めの言葉を、準備期間の内からいろんなかたに何度となくいただいた。

「すごい」としたらきっとそれは私の行動力であって、実際に展示している作品については、いたって拙いものであろう。

それでも自己表現をこういった形で展示できる作品に落とし込めるのは、身につけられて良かったスキルなのだと思う。

幼少期、きっと私は扱いづらい子どもだった(幼少期に限らなかったろうけど)。
周囲の大人からは誤解を受けやすいというか、自分の気持ちをちゃんと伝えきる前に勝手に決めつけられ、弁解の余地も与えられないことが多かった。

今でも覚えているのは、私が折ったものではない折り紙の花を「折り方が雑で汚いから」という理由で、私の作品だと決めつけて私のスケッチブックに糊でべったり貼ってしまった、幼稚園の先生についての記憶だ。

園児なりに私は色彩についてこだわりがあったから、絶対にあの配色を使って花を折ったりしていない自信が私にはあった。なんで花粉部分が赤で花びらがベージュなんだよ、赤鼻のトナカイかよ。

「違う」と言っても信じてもらえなかった。
だから私はぐっと堪えた。幼稚園児なのに、そこで諦めを覚えたのだ。

なんとなく、そういった原体験があって、私が自己表現をする術が固まっていった気がする。
「私の口から直接発した言葉は、他人から信じてもらえない可能性がある」
だから絵を描いたり文章を書いたり、中学の授業で作曲を習ってからは音楽を作ったり、そういうことで私を知ってもらう努力が始まった、のかも知れない。

今回の個展は、私のバンド・ThickFogをもっと多くのかたに知ってもらう為の広報活動のひとつでもある。

ThickFogの楽曲において、私は主に作詞を担当している。
限られたなかに自分の展開したい世界観を文字にしていく作業は、正直、とても楽しい。

今回の展示の中で最も多くイラストをリリックビデオから引っ張ってきた楽曲が風車かざぐるまだ。

この曲は私の少女時代の想いを歌詞にしている。
自画自賛もとい自詞自賛?したくなるほど、うまいこと書けたかな―そう思える歌詞となった。

会期初日の午後、職場の事務のお姉さんが早速、ギャラリーに来てくださった。
そして熱心に作品に目を通してくれ、「風車」のイラストの前で「この曲を聴いてみたい、」という主旨のことを仰ってくれたのが、私はとても嬉しかった。

私の想いは、今はもう、ちゃんと伝えられているのかも知れない。
この個展で気づけたことのひとつが、そんな喜びの存在なのである。
                          

+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+


Text written on September 23rd


やっと新作が描けた。
新曲「トライアングラム」のリリックビデオに使う為のものだ。
が、しかし、動画制作に使っていたCyberLinkのPowerDirectorが、アップデートした途端に使えなくなった…。
この不具合、以前にアップデートした時にもなったので、私のパソコンとPowerDirectorの相性が悪いのだろうか?
急遽 Clipchampで作ったものの、めっちゃくちゃショボいものしか作れなかった…。
とはいえYoutubeにUPしますので、UPし終えたらこの文章の真下にリンクを貼っておきます。
そして新作は、明日くらい?にギャラリーに置いてきます。

                                                                                               


+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

Text written on September 26th


今日はケンちゃんさまが来てくださることになり、ネットで知り合った方とリアルでお会いできるなんて、mixi時代の頃みたいで楽しいなあ、ありがたいなあと嬉しく思った。

ケンちゃんさんはとても穏やかでお優しいかたで、いろんなお話をしていただいたし、私からもいろいろと口にした。
もともと話すことは不得意なので、無駄話というか、余計な情報をぶち込んだ話をたくさんしてしまったろうなあと今現在すごく反省している。ごめんなさい。

でもここ何年か、私はだいたい聞き手に徹するタイプなので、珍しく私から自発的に「話したい」という気持ちを抱いてお話させて頂いた(なんだかちょっと上から目線な表現ですみません…)。
ということで、この場を借りてケンちゃんさんには「ご迷惑をおかけしました」とお伝えしたい、というか…。
うん、とにかくごめんなさい。

お話の中でケンちゃんさんの奥様が、私のこの絵↓について、

「余市駅の廃止、やだな」

「竹久夢二っぽい」的なご感想を持ってくださったと伺い、すごくすごく嬉しかった。

夢二を初めて知ったのは父との会話(というか母から聞いた父情報?)だった。
父には、私たち母娘と暮らしていない家があった。本宅ってやつだ。
その本宅に、父は夢二の絵を飾っていたという。
今でもそれが在るのか、私とは異母きょうだいの兄に訊ねてみたい気もする。
勿論、絵はレプリカに決まっているのだけれど。

父はそれくらい夢二を好きだった。
「だから」私も、夢二を好きになった。

私の絵は8割、やまだないと先生に影響されたと自覚している。
でも、もしかしたら残りの2割のどこかには、夢二からの影響があったのかも知れない。
もしもそうだとしたら、やはり私は父の子なのだと—私には、それが嬉しい。

ケンちゃんさんはその後、越生を堪能していってくださった。
ありがとうございました。お会いできて本当に、幸甚で御座いました。


ケンちゃんさんをお見送りした後、ギャラリーには、人目をひく綺麗な女性が残られていた。
そろそろ仕事に出ようかなあ、ならこの女性ひとにご挨拶していかないと失礼だよなあ、と、思い切って話しかけてみたところ。
結論から言うと、越生の大豆工房みやさまの―社長さんは男性でいらっしゃるので、おそらくご家族のかただろう。
とにかく、大豆工房みやさんでいらっしゃった。

とても真摯に私に質問を投げかけてくださって、
「生きていく上でわだかまりを抱いても、大概の人はなあなあにして生きていく。
そういった中であなたは自己表現を以てそれと向き合って生きてきて、素晴らしいのよ。」

…という趣旨のことを、最後に仰っていただけた。
と思っているけれど、私も緊張していたので、言葉の汲み取り方を間違っていたら申し訳ないです。

正直、この個展は自分より年上の方にはなかなか理解してもらい難いものだと思っていた。
そうであっても仕方がないと—その諦念はとっくの昔に、20年前に友人と二人展を開いた段階から持ち続けていたものだった。
私の作品というのは大概、客観的に見たら「奇をてらっている」とされてもおかしくないのだと、私はそういう自己評価を持っていた。
そして万一誰かに理解して貰えるとしたらそれは、尖ったナイフ状態の、自分と同じ様に自らを「はみ出し者」を自負するよな後輩の世代なのかなと、そんな意識を持ち続けてきたのだ。

でもそれは、思い違いだったのかも知れないと—今日は、お二人とお話して、特にそう強く思った。

自分より年上のかたに理解されること。
あたたかい言葉を掛けていただくこと。

そのことに飢えていた子どもの頃の私が、また癒された気がする。

個展、やって良かったな。
お二人のおかげで、改めてそう思えた一日だった。

                         


+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+


Text written on September 28th


そろそろ、先述した「ダメ出しされた話」をしておこうかと思う。

詳細は避けるけれど、

・タイトルがわかりづらい。もっと小学生にもわかるようなタイトルにしないと。そういうところが「これだけで食べている人」との違いだよ
・小難しい言葉を使いすぎ!オマージュって何よ?そもそもヘヴィーメタルって何?

受けたダメ出しの一部

など、同じかたからぐぁーっと「否定じゃ無いんだけどね、」ということわりを入れられた上で、ダメ出しを受けた。まだ会期の前半の頃だ。

最初に「ポートフォリオって何?」と訊かれた時点で、あっ、と思った。

「長机上にあるポートフォリオ」という説明で、長机の上を見ていただければ、そこにある「ポートフォリオ」と記したファイルに気づく―と、私は過信していた。
でも確かに「駅」という場所であることを鑑みると、私の展示はもっと親切であるべきだったのかも知れない。

只、会期中読んでいた本の一つである「読読・吉原幸子詩集(現代詩文庫)」(思潮社刊)の中にこんな内容の話があった。

奇しくも吉原幸子もまた、明治神宮前駅という「駅」で壁に詩を展示する、という今でも充分に前衛的な試みに参加していた。
その際に「読み手を意識して書いたこと」に反省をしていたのだ。

私とはレーヴェルが違うんだよ!by外道選手…だけれども、それにしてもこの個展の会期中に受けたダメ出しと、この詩集の中で吉原幸子が残したこの「反省」について、不思議なシンクロみたいなものを感じ、只単にダメ出しを受けたことにへこむくらいなら、もっといろいろ突き詰めて考えようと、そんな風に思った。

そもそも私は、おこがましい考えだろうけれど、この個展を通して「もしもこれを見た高校生が、自分たちも個展をやろう!と思ってくれたら嬉しい」という気持ちをもっていた。

この越生には—美術科のある「おごけん」も、部活動が盛んな「むさおご」もある。
そんな高校生たちが個展なりグループ展を開くには「町民の非営利企画なら無料」というこの素晴らしいギャラリーこそ、展示の会場に相応しい、最高の場所ではないかと思う。

(だから敢えて若者ウケを狙ってフォトスポットを作ったものの、あまりお写真を撮って頂けていなさそうな辺り、私も「読み手を意識して書いたこと」に近い反省を持たねばなるまい…。)

そういった考えの中で、やはり「ダメ出しに見せかけた悪意」に対して私は、若者がそれに触れる前に、立ち向かえる大人になっておくべきだった気がする。

個展あるあるだと思う、たぶん。
どうしても「ダメ出しに見せかけた悪意」を、純粋な意見のふりをしてぶつけてくる大人というのは存在する。
もしかすると彼らは無意識のうちにそれをやっているのかも知れない。
でも、それで傷ついて「二度と個展なんかやりたくない」ならまだしも「もう作品づくりを辞めよう」と考える若者がいてもおかしくない、そう思う。

私の受けたダメ出しも正直なところ、掘り下げていくと悪意に近かったのかなあ、と思うふしもある。
ただし私はその時完全に「反論」的なものを諦めてしまったのだ。
まあ何を言っても曲解されてしまいそうだな―そう思って、笑顔で「ご意見いただけて嬉しいです」と返してしまった。
でも本来は、後に続くかもしれない若者の為に、私はきちんと意見を返せる大人であるべきだったのではないかと、そう反省しているしだいだ。

…そもそも私は、自分にとっての未知なる名詞とか、一見では理解しがたい芸術なんかの意味を理解しようとするのが好きだった、特に学生時代は。
同級生が知らない言葉を知っている自分に酔いしれていた。
だからクラスTシャツにひとりひとりそれぞれ好きな言葉を入れるから決めてね、と言われた時も「天井桟敷」と書いて提出した—何故そこで寺山修司。自分でも意味がわからない。

だから「自分の知らない言葉がそこに現れたら、それの意味を知るチャンス!」みたいに、私自身が思い込みすぎていたところは確かにあったのかも知れない。

しかし、わかりやすい表現だけを選ぶのが果たして正解か否か―吉原幸子の「反省」を鑑みても、未だに答えは導き出せない。

―さて、話は変わるけれど。
この会期中、とあるかたに「雪さんってずっと、好きなことをやってきているんだね」ということを言われ、そ、そんな風に他人ひとから見られているのか―と、改めてちょっと驚いた。

そのご感想を何度も心の中で反芻していると、ふととある記憶に行きついた。

中学時代、私の住む町の海外の姉妹都市に超超短期留学する企画があった。
当時はまだ英語の成績の悪くなかった私に、担任だったか誰だったか、とにかく教師陣の内の誰かが「雪、お前が行けばいいじゃないか」みたいな言葉を私に掛けてきたのだ。

私はあまり悩まなかったと思う。
部活ブラスが忙しいから、私は結構です。」
―そう答えた。
この機会を逃したらきっと一生行くことの無い羽目になる国へのチャンスより、私は目の前の部活おんがくが大事だった。

結局、その留学には私の幼馴染が行った。
そんな彼女は現在いま、地元の人なら誰もがお手本に思うだろう素敵な家庭を築いている―っぽい。風の噂に聞いたことで、私自身がよく知っているわけではないけれど。

私はそうやってずっと、お手本からは逸れる生き方ばかり選んできたのだと思う。
心の奥底では、幼馴染の彼女が置かれている環境に憧れを抱いてきた癖に。
それでも、目の前に「好きなこと」をぶら下げられたらば私は、それに向かって走る―私の世代ではウマ娘より、マキバオー。そんな感じだったのだ。

けれどもそれが結局、他人ひとから見た私についての「好きなことをやってきた」という評価に繋がるならば、それはそれで、私は幸せ者だという証明なのだろう。

ならまあいっか。

                          


+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
     

The text I wanted to write on September 29th


この個展をやってみてよく掛けて頂けるお言葉が、
「越生にこんな活動をしている人たちがいたんだ!」だ。

自分たちは以前、テレビ埼玉のCMに出演していた。

当時はそれだけで有名人になれた気がしていた。
否、起用されたことは本当に本当に幸甚だったのだ。
ただし、思っていた程知名度がUPしたわけではなかった。
実際のところ、CMに出たことよりも個展を開いたことの方が反響が大きかった体感がある。
それは直接的にいろんなかたと関わることができたから、かも知れない。

先述もしているけれど今回、個展にはメッセージノートを用意している。
芳名帳代わりにメッセージを残してもらうためだ。

そのメッセージノートの中には、私たちのアーティスト写真を撮ってくださった山口写真さまをはじめ、

撮影・山口写真さま

町内の様々なかたや(直接、お店の名前を書き残してくださったかたもいらっしゃいました)、メタラーであると自己紹介をくださったかたなど、本当にたくさんのかたにメッセージを残していただけていて、とても嬉しく感じている。

個展が決まった段階で思い立って、越生の新井町長にもDMをお送りした。
正直なところ「お忙しいだろうし駄目元駄目元!」と思っていたにも関わらず、町長は本当に足を運んでくださったどころか、メッセージノートにもコメントを残してくださっていた。
ちゃんと町民のことを気にかけてくださっているのだなあと、なんだか嬉しくなってしまったしだいです。

この場をお借りして、メッセージを残してくださったすべての方に感謝を申し上げます。本当にありがとうございます。
とはいえ会期はまだ数日ありますので、この先もメッセージをお待ちしておりますゆえ。

ところでDM、埼玉新聞社にも二度送ったんだけれど、インパクトが薄かったのかやっぱり来て頂けなかったなあ、残念。
「一般市民がやる個展」って、どうにも記事にしづらいのかな。公平性?
けれども「いち一般市民が労働しつつやっと生活していく中で時間を捻出して精神にも肉体にもムチを打ってまでして個展を開く」って、思っている以上に尊いことだと思うのですよ、私は。
だからこそ「一般市民がやる個展」にももっとスポットライトを当てて、フィーチャーしてみて欲しいのです、ローカルメディアにこそ。
案外それって、人の心に火を灯すものになる気がするんだけれどね、私は。

そう、それでこの流れでこんなアクションも起こしてみました。

埼玉県知事・大野元裕氏に、埼玉のローカルタレントを盛り上げる為のプロジェクトの提案書を送ってみよう!と。

以前、私は歌詞にもしたんだけれど、

ねたみでふくらむゴム風船
ヘリウム詰めて手放そう

ThickFog「出風」より

クローズアップされている人たちに嫉妬している暇があったら、自分でアクションを起こしてクローズアップされに行こう!
…というのが私の考えでして。
なにごとも駄目元。
無料に近いコストで動ける範疇でなら、がんがんアクションを起こしていきたいしだいです。

さて、ケンちゃんさんが二度目のご来場のことを素敵な記事にしてくださったので、次はそのことについても書きたいと思っています。
しばしお待ちくださいませ。
                          
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

The text I wanted to write on September 30th


                            

ケンちゃんさんがまたまた素晴らしい記事をUPしてくださった。
本当にありがとうございます。

この個展をやっていてふと思った、というか気づいたのが、
私の家族って観光に関わる率、高いな―ということ。

今回、この「私はいま駅にいる」は、言わずもがな越生町観光協会さんにご協力を得られなければ開催することができなかった。

そしてギャラリーにお祝いのお花が欲しい!と考えた私は(あくまで私見なのでそんなことねーよ!とツッコミが入るかも知れませんが)、異母兄に初めて自分から「甘えてみた」、たぶん。
ただでさえ異母きょうだいなのに仲良くしてくれているのだ、極力甘えないように、ちゃんと自立していなければ—と思って生きてきたのだけれど。
「自分でお花は用意するから、会社の名前を借りてお花を出していい?」と兄に訊ねたところ(本当にそうするつもりだった)、兄はあっさりとお花代を出してくれたのだった。
お兄ちゃん、ほんとありがとう。

その時に兄の会社のサイトを確認したところ、そこには向こうの観光協会さんのお名前も書かれていた。業務提携的な感じだろうか。

そもそも兄の会社はもともと父が作った会社で、観光に携わるお仕事をしている。
父がどういう意図で観光のお仕事を起業したかは、私もよく知らない。
でも、父も兄も、そして今や私も、それぞれのマチの観光協会さんと関わりを持って生きている(or 生きてきた)のだなあと思うと、なんだか感慨深かった。

話を戻す。
今回、私の個展に足を運んでくださったケンちゃんさんが、そのまま越生観光をしていってくださったこと、私は想像以上に嬉しく感じられたのだ。

今まで、自分にそこまでの越生愛があった自覚が無かった。
けれどもケンちゃんさんが越生のさまざまな場所をじっくり観光していってくださって、そのきっかけに自分という存在がなれたというのなら、アムロじゃないけどこんなに嬉しいことはない。

私も結局、人の役に立つことで自分の存在意義を量りたいのだとは自覚している。
昔から母親に「あんたは人のことを心配し過ぎ」と揶揄された。
(その割に私は性格に難があったことも自覚している。)
ただ、自分の存在意義の求め方が「観光に一役買えたら嬉しい」とかならすこぶる健康的ではないか。
自傷とかしていた頃の自分が見たら、その健やかさをビビり倒すに違いない。

そしてやっぱり、父との繋がりを自分の中に見いだせたことが嬉しいのだ、私は。

改めましてケンちゃんさま、ご来場本当にありがとうございました。
越生を楽しんで頂けて、幸甚に存じます。
また是非遊びにいらしてくださいね!お待ちしております。

                     


+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

Text written on October 1st


ここで唐突に、この個展で私が準備したことについて記載しておく。
もしもこの記事をどこかの誰かが参考にしてくださった時、お役に立てたなら嬉しい。
ただし特段記載するほどでも無いことは省く。
そういうのはきっと、他の方も書いていそうなので。

①DM
業者に頼んだ方が安上がりとは言うものの、私は自分のパソコンとプリンターで自作した。
光沢紙ハガキもキャノンのどこでも買えるやつ。
結局、枚数が膨大で無ければそれで十分だと思う。
そしてそれを、例えば越生町長にもお送りした。役場に「新井町長様」宛で。
地域密着系ギャラリーならそういうのもアリだと思う。
正直、地元で活動していても全然知られていないと、やっていてこっちも寂しくなるのだ。
だから「せめてこういう奴がいることを知っていてくださいませ」くらいの気持ちでお送りした。
自分を売り込むのが苦手な人は、DMってとても消極的で積極的(どっちやねん、)だけれど有効な方法だと思うのだ。

DMはこんな感じ。

②作品ボード
名前が正しいかはナゾだけれど、私は作品をA4の厚口光沢紙にプリントアウトし、別にA4で説明文をプリントしてその二枚を発泡スチロールのボードに貼る、という形を取った。

たとえばこれと、
これを、一枚のボードに貼る。

作品の左右の上部に穴を開け、単語帳を止めるリングを通して、それにギャラリーの壁から垂れているフックを引っかけて展示する。

リングとフックはこの画像で伝わるかな?

このスタイルは、私の個展の前にやっていた越生町による展示を参考にした。

このスタイルだとあんまりお金がかからないし、額とかも必要ない。
用紙もボードもリングもダイソーで揃う。
軽いので準備も片付けもラクだと思う。

こんな感じだろうか。
高校生でもできそうなことなので、いずれ是非高校生に展示をやって欲しいと思っている―この、越生駅西口総合案内所ギャラリーで。
私も20年前にやったけれど、やはり「高校生で展示をやっちゃう」って、人生のどこかで必ず自分の誇りとしてきらめく思い出となってくれて、ほんといい。
生きていると意地悪な人とかどうしようもない人なんかに心を痛めつけられたりするけれど、おおかたそういう人って、人生で何か大きなことをやってみた!という経験の乏しい層なのだ。
そういう人たちを見、「えーでも自分は高校生の段階でもう、展示なんかやっちゃうバイタリティーがあったんだぜ!」という自信は、必ず自らを救ってくれるものになる。
これは私自身が実体験したことだから、割と自信をもって言えることだ。

ただ、今の世の中は—嫌な言葉だけれど「親ガチャ」によって自分の人生にまで大きな影響が及ぼされる時代でもある。
親の資金力で子のチャンスが生かされたり途絶えたり、それも事実だ。

実際、私もまあまあそういう経験をしてきた。
私なんてマシな方なのかも知れない。
でも、周りの友人が学費で進路を迷う必要が無かったことを、私は指をくわえて見ている側だった。仕送りが当たり前に用意される友人たちが、心から羨ましかった。

そういう「学生時代には音楽の学校も美術の学校も行けなかったけれど、大人になってからどうにかしてやったぜ!」という私が、もしも誰かのパワーになれたなら凄く嬉しいな、そう思っている。

確かに、きちんと勉強できる場に居られた人たちに与えられたものに「打ち勝つ」のは難しい。
それでも、与えられなければ与えられないなりに、別の方向からアクションを起こすことは可能だ。

私はそういう大人でありたいと思っている。
勝てないなら戦わなくていいから、自分の道を極めればいいさ。

この個展を通して、そういう考えが研ぎ澄まされていく感覚が自分の中にあった。
私が「与えられない側」だったのにも、ちゃんと意味はあったのかも知れない。
私は、まだこの世界にたくさん存在しているであろう「与えられない側」の若者たちに、別の贈り物をし続けていきたい。

今回、先述のケンちゃんさまからサポートを頂戴した。
そのサポートも、そういったアクションに使いたいと思う。
ただ今の段階で明確にそれがどういったことかを掴み切れないから、それが見えてくるまで、頂いたサポートは大事に取っておこう。
ケンちゃんさん、この場をお借りしてありがとうございます。

そんなこんなで残り会期もあと二日。
とうとうここまで来たぞ。
明日は在廊できるかな。
私の個展が、どこかの誰かのパワーになれたならいいな。
                     


+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

Text written on October 2nd


最終日の明日はゆっくり文章を書く余裕が無さそうなので、きっとこれが最後の更新。

久しぶりにこんなに全力投球した約20日間だったので、さすがに精神が疲労困憊中らしく、今日は長らく出ていなかった過呼吸発作の不安がチラッ|д゚)としていた。
睡眠時間も多少削っていたので、まあ順当な生理的反応だ。

この20日間ほどでたくさんの人に出逢えたし、新たな野望というか、そういったものも生まれた。
今日は今日とて、幸甚にもご来場いただいた仙人窯の先生に、

違うギャラリーでも展示ができるよう、ご紹介をいただけるようなお話を頂戴し―もしもそれが現実になるならば、次は水彩とかアクリル画で展示ができたら楽しいかな、なんてことも考えた。

ただ、今回の個展で思った以上に自分の体力や精神力が足りていないことも思い知ったので、まずはしっかり自分自身を立て直さないとな、そう思う。

この個展で後悔というのはほとんどない。
しいて言えばもっと宣伝に力を入れても良かったかも知れない。
SNSの使い方とか、何かもっとできることはあった様な気もする。

とはいえ「やれることはやった」感も強い。
30代も後半にして、こういうことに挑戦できる自分も愛おしい。

よくやったんじゃないか、たぶん。

ところで、この個展では「ご来場記念CD」を配布していたのだけれど、

このCDの捌け具合だけで数えると、少なく見積もって40人ほどのお客様は確実にいらっしゃっていた様だ。
ありがたい限りだ、20年前の二人展ではその半分もご来場頂いていない気もする。

ここから先は、また自分自身の頑張り次第だ。
ここで立ち止まるのではない。
「私はいまここにいる」、そしてこれから列車は出発し、他のどこかへ向かうのだから。


終わりに

この個展に関わってくださったすべてのかたに感謝致します。
本当にありがとうございました。

私の向かう次のステージでまた、皆様とお会いできることを楽しみに頑張って参りますので、今後とも応援をよろしくお願い申し上げます。

桃胡 雪より。

この記事が参加している募集

この街がすき

頂いたサポートはしばらくの間、 能登半島での震災支援に募金したいと思っております。 寄付のご報告は記事にしますので、ご確認いただけましたら幸いです。 そしてもしよろしければ、私の作っている音楽にも触れていただけると幸甚です。