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幸せをRT

たとえばツイッターだったら、配偶者と仲良くしている、そういうツイートが好きだ。だから「ものすごい愛」さんのツイートとかとっても好きで、今日はどんなおのろけが見られるのだろう、と期待してしまう。

いろんな理由と境遇で、配偶者とうまくいかない人はたくさんいる。それは仕方の無いことだ。何かの歯車が狂えば、途端にいろんなことに変化が生じて、うまくいっていたことだって、うまくいかなくなったりもする。最初から離婚前提で結婚する人なんて、そう滅多にいないだろう。

それを踏まえていても私はやっぱり、鍵垢でも無い限り、配偶者をけちょんけちょんに言うアカウントはちょっと苦手で、配偶者とモフモフ仲良くしている様をツイートしている人が好きだ。

どんなに良好な関係であったって、少なくともちょっとは険悪な雰囲気になることだってあるだろう。敢えてそういうことは書かず、明るい部分だけを垂れ流す。それって実はとてもむずかしいことだ。人は愚痴が好きだからだ。聞いていて疲れる癖に、誰かの陰口なんかをとても好むのだ。

それを敢えて口にせず、例えば旦那さんとの、どうでも良くて時々くだらない様な話を、モフモフとジャムパンを食べる香菜の如く(筋少)呟くというのは、実は本当に忍耐の要ることで、それが出来ている人というのは、本当に素晴らしいと思う。そういう姿が私のSNS上での憧れの生き方なのだ。

苦労をしたほうが、人の旨味は増すと思う。その分だけより深みのある、誰かを理解できる、そういう人間になれることは間違いないだろう。しかし取り違えちゃあいけないのは「苦労をしないと駄目」では無いのだ。「せざるを得なかった苦労を、哀しくつらい記憶というだけで終わらせない」様にするのが大事なのであって、何の根性論だよって感じで人生の後輩たちに苦労を強いるのは、とんでもない大間違いだ。

仲良く過ごす二人のツイートを見、そういう姿に憧れて、出来るところを真似たりして、不幸や苦労でなくて幸せなモフモフが連鎖したらいい。その先駆者たちは、愚痴を吐くことを堪え、不幸の甘ったるい蜜の誘惑にぐっと耐え、そうして「幸せ」を拡散する努力をひたすらに重ねてくれている。世にはそれに対しての妬み僻みがまだまだ横行しているだろうけれど、それでも先駆者たちはけしてゆるがない。

私はそういう、幸せを拡げられる人になりたい。


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