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道明寺駅前で撮った『大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑』の写真

初詣(参ってませんが💦)の際に、道明寺の駅前で撮った写真で1枚noteにあげていないのがありました。

『大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑』です。

後藤又兵衛基次が2800の兵で、徳川方の大軍相手に孤軍奮闘し、最後は伊達勢に銃撃されて、討ち死にした戦いだそうです。

というか、本来は真田信繁ら諸将1万8千の兵で、隘路の地形を生かして、大軍という敵の有利さを封じ込めて、敵先陣を削っていくという、理にかなった戦術だったのが、敵に先に手を打たれるわ、肝心の真田信繁らの到着が遅れに遅れるわで、結果として孤軍奮闘せざるを得なかったみたいですが。

最初に描いていた戦術が破綻した場合、兵力を温存し即座に撤退したほうが良かったのか、次善の策として味方の援護が来るまで敵と戦うか、どちらが正しい選択なのかは、わからないですよね😅。

歴史の結果がわかっているので、後付けで言えますが。
ただ、大坂の陣で豊臣家は滅ぶべきして滅んだような印象を受けます。

豊臣方の武将は、豊臣家の温存よりも自分の死に場所を探していたような感じですし、豊臣家の生存戦略を考られる人材がいなかったのが残念です😭。

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