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映画「沈没家族 劇場版」の気になること

映画「沈没家族」。1990年代に行われていた共同子育てを追いかけた映画。
この映画って何が気になるんだろう。そんなことを考えてみた。

映画「沈没家族」

 1995年、シングルマザーだった母・加納穂子(当時23歳)が、加納土監督が1歳のときに、共同で子育てをしてくれる「保育人」を募集するためにビラをまき始めた。「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」という加納穂子の考えのもと集まったのは独身男性や幼い子をかかえた母親など10人ほど。毎月の会議で担当日を決めて、東京・東中野のアパートでの共同保育が始まった。母・穂子が専門学校やその後の仕事で土の面倒をみる時間が取れないときに、当番制で土の面倒をみていた。
 「沈没家族」という名称は、当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したのを聞いて腹を立てた穂子が命名。

(http://www.chinbotsu.com/ より転載)

この映画を観て、個人的に二つの気になる点があった。

それは、共同子育てをしていた人たちの想い。
そして、親子の関係性について。

共同子育てしていた人は、どんな想いで子育てに関わっていたのだろう

映画「沈没家族」は、過去のドキュメンタリー番組の映像を交えながら
当時共同保育に関わっていた人たち、一緒にくらしていた人たち、
監督自身の親にインタビューする形で進んでいく。

そこで話している人たちは、当時20代半ばの人たち。
一緒に暮らしていた家族を除けば、後は独身の人々。

自分の子育てをしたことも無いのに、
共同子育てに応募し、実際に人の子供の子育てをしていった。

子供とどう関わっていくかわからない中で、
経験から子育てを学んでいったんだと思う。

映画の中では、
・自分の考えている子育ての実験させてもらった。
・子育てに興味をもった。
・子育ては十分やった。
・自分の子供を子育てをしたいと思わなかった。
等々のコメントが出てくる。

なぜ共同子育てに応募したのか?

そういう話は出てこない。

ただ、大きくなった子供と話している様子は、
楽しそうであり、寂しそうにも思える。

この映画の中で話されているリアルな言葉は、
観ている中でそれぞれの思いに変換されるんだろうなと感じる。

家族って何だろう

「家族」という言葉自体とても曖昧な言葉だと思っている。

大家族、核家族、ステップファミリー、内縁、
家族のような会社、家族のような付き合い。

家族のような会社って言われたとき、
その方は会社の中でそのような行動をとっておらず、
この人にとっての家族って何だろう?
そんなことを思ったこともある。

ちょっと脱線したが、
一緒に暮らしたら家族? 血のつながりが家族?
言葉にすると、というか言葉に仕切れないと考えるが
でも、家族という言葉の中には、温かさがあるのかなと考えている。

映画「沈没家族」では、あれは家族だったんだろうか?

そんな問いを持ちながら、映画では進んで言っているように見受けられる。
そして、自分の母や父は家族だったのか?

沈没家族に関わっていた大人と話し、母と話し、父と話す。

その中でも、家族とは?に対しての答えは出てない様に感じられる。

そして、それは、自分にとって家族とは。

そういう問いを突きつけられている気がしてくる。

いろいろな問いを持って観てみる

映画「沈没家族」は自分の中に様々な問いが生まれてくると思う。

上記は自分が思ったことだけど、観た人によっては違う問いが生まれるかもしれないし、そもそも問いが生まれないかもしれない。

この映画は、元々は大学の卒業制作として作成したもの。
なので、20代前半という感性で作られています。

そういうストレートな感性に触れながら
家族とは?、子育てとは?
単身かどうかを置いておいて、考える切っ掛けになると思います。

映画「沈没家族」上映会

上映会&監督等とのトークイベントを開催します。
この映画をまた観られること、監督の話を伺えることを楽しみにしています。

【日 時】
 2020年02月01日(土)
 ①第一部 10時50分~13時40分 (開場10:30)
 ②第二部 14時30分~17時20分 (開場14:20)
 (※)途中休憩が入ります
【会 場】
 町田パリオ 4階 (町田駅徒歩2分)
【詳細・申し込み(Peatix)】
 http://ptix.at/0k7A5T

映画「沈没家族」+トークイベントチラシ

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