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やりたくない仕事ってホントに必要?

会社で「できない仕事を他の人に頼ること」について話があった。
障害を抱えた人は健常者に比べるとどうしても出来ないことが見えてくる。その時に周りの人に頼ることが出来るかどうかや、頼らずに自分の力で頑張るにはどうしたらいいか。などという話。

このことについて自分は、結構人に頼むことは多いけどそれはあくまで「自分がやりたいこと」に関してだけで、「自分がやりたくないこと」については極論だけど、例え結果が変わってもやり方を変えるか、そもそもやらないか。(自分が頑張って出来るように努力したり周りの人を頼ることはない)という考えだ。

その自分の考えを言う前に、「自分は出来ないと思い込んでる」とか「やりたくないとかいう考えは甘い」って考えを発言した人もいた。

それ以降、自分の中では本来の話の「人に頼れるかどうか」ではなく、「やりたくない仕事でもやらなきゃいけないんだ」という考えは、なぜ出てくるのかということばかり考えてしまった。

やりたくない仕事って、みんながやらなくなると本当に困るのか?

なぜやりたくないのかという理由は人それぞれだと思うし、人によっては多くの人がやりたがらない仕事でも好きな仕事と言う人もいる。

それも需要と供給で成り立っていて、みんながやりたがらない仕事をみんなが辞めたら、需要は上がり続けてそこにお金を積み上げる人が出てくるだろうと思う。
そしてその対価の大きさによっては、やりたくない仕事でも頑張る人は出てくるだろう。それが自然な流れだと思う。

でもそこで、「これは社会的にやらなきゃいけない仕事」とか、「道徳的にやらなきゃいけない仕事」とか、もっと酷くなると「やりたくないことでもやらなきゃいけないのが仕事」とか「自分たちの時代は仕事を選べなかったんだ」という考えが結構蔓延しているように感じる。

それはつまり、対価が小さくてもやらなきゃいけないという流れになって、大変で危険な仕事も安い賃金で働かされる人(会社)が出てくるんだと思う。

一体、やらなきゃいけない仕事って何だろう。
本当に必要な仕事ってどれだけあるんだろう。

これは誰かが楽したいからってだけの話ではないような気がする。

というわけで、そんな考えもまだまとまっていない間に話は終わり、まあやっぱり本能のままに生きていってもいいんだ、あのやりたくなかった仕事は粘って断って良かったな。という思いに至った。

それでもやっぱり「やらなきゃいけない」ことがあったら教えてほしい。
自分は必死に回避するかもしれないけど、本当に納得したら、やりたくない表情を抑えきれないままでもやるかもしれない。
そう、自分はすぐ顔に出ちゃうんです。

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