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審美眼

「あの女優はブスだ」
こういったツイートに十中八九、「お前の顔はどうなんだよ」
といったツイートがある。
実際他人の容姿を言う前に自分の容姿を見ろよ、といった諫言はよく見受けられる。

果たしてそれって意味あるのかなってのが今回のノートです。
結論から言うと意味ないんですよね。
彼らは“審査員”なんです。
権威やバックグラウンドのない審査員。
タチが悪いですよね。笑

でも容姿って難しいんです。
男女問わず俳優に色濃く表れます。
イケメン、美女がトップを張れる。
「演技派」なんて言葉が語ってるじゃないですか。
俳優なんて演技をする職のはずなのに演技派って。
造形が美しいと、ある程度の地位を得られます。
これは何故か。
“美”は商品価値があるんです。
取引できるんですよね。

そうするとどうなるか。
造形の美しさ、に注目が向き、中の性格はあまり意味なくなります。
厳しい言い方をすると人間ではないモノとして、取引できる品として扱われる。
だからみんなが美しいというモノ(顔)に対して、
「俺はいいとは思わない。」
「もっと美しいモノを知ってる。」
「その出来じゃ不十分。」
そんな発言が出てくるんです。

絵画を美しいと思うように、
彫刻の出来に陶酔するように、
ヒトの造形美を語る。
彼らは“展示品”を見る“審査員”。
自分と展示品を同じスケールで見ることはないんです。
だから彼らにはこの諫言が届かないし響かない。
画面上ではなく実際に会い、ヒトとして認識させるか、
美術品として扱われてるほどの美しさを持っていると諦めるか。
それしかないのでは、と思ってしまいます。

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