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人生やり直し機と私

誰しも「もしもあの時こうしていれば」「あんなことしなきゃよかった」と思ったことがあるだろう。

どれだけ嘆いても悔やんでも変わらず地球は周り明日が来る。どんな後悔も経験として、成長の機会として受け止めて前に進んでいくしか道はない。人生はいつだって一方通行なのである。

だが、もしも、もしも過去に戻ってやり直せるとしたら?

ドラえもんに「人生やり直し機」という回がある。
鳴かず飛ばずだったのび太はひみつ道具の力で幼少期に戻り、小学4年生の頭脳で周囲にちやほやされるようになる。のび太を危惧し過去に迎えに来たドラえもんがタイムテレビでこのまま成長していったのび太の姿を見せ、そこには二周目であるからと努力を怠ったために元より酷い状況にあるのび太がいた。この映像を見てのび太は元の世界に戻り、改心する。

つまりはタイムリープである。タイムリープとは、自分の意識だけを時空を超えて飛ばし過去の自分を乗っ取ることによって人生をやり直すことが可能になるというものだ。

私は最近、このタイムリープという概念に取り憑かれている。
タイムリープだなんてSFでしか聞かない、時間が戻るわけない、馬鹿らしいと思うだろうが、少しだけ私の独り言に付き合ってほしい。

調べてみたところ、タイムリープの一番有力である(とされている)方法は明晰夢を利用することらしい。
明晰夢とは「これは夢だ」と自覚できる夢のこと。眠りにつく寸前まで戻りたい過去のことを出来るだけ具体的にイメージし、夢に見る。ここが夢であると気付けたら細部を鮮明に形作り、夢の中の自分に意識を注ぎ、少しずつ入り込み、過去の自分と入れ替わる。

この話を読んだ私はまず、「いやそれただの長い夢やないかーい」と思った。過去に戻れた気分になるだけで目が覚めれば現実は何も変わらない。結局はただの現実逃避じゃないか。不憫な私をおちょくりやがって。

とは言いつつも、単純で馬鹿な私は戻りたい過去のことを必死で考え祈るように眠りについた。
戻りたいのは去年の今頃。まだ風の中にはしっかりと冬が残っていて、一年が終わってしまう若干の焦燥感と少しではあるが確かに感じる春の訪れ。

すると私は不思議な体験をした。

一年前の夢を見た。前通っていた学校の制服をきて登校するところから場面が始まった。私は今引きこもりニートをしているはずなので、これは確実に夢だと思った。授業を受けた。普通の夢だと教科書の文字がよく見ると意味不明であったり先生の言葉に耳を澄ますと実は不明瞭で聞き取れなかったりする。だがこの時見た夢は至って現実のようで、普通にみっちり7時間授業を受けた。勿論友達がいないので休み時間はトイレに篭っていた。いくら正確な夢だからってここまで再現しろとは言っていない。誠に遺憾である。お弁当も食べた。普通にヤンニョムチキンが美味しかったしまだ青いみかんは酸っぱかった。夢であるのに、普通に五感がしっかりと働いていた。私はふとここで恐怖と焦りを覚えた。もしかして「来てしまった」のではないかと。そこでドキドキを超えてズキンズキンと痛む動悸と滝汗と共に目覚めた。随分長い夢を見ていたと思ったのに、1時間ほどしか寝ていなかった。

私はあの夢を単なるリアルな夢だったとまとめることはできない。あの瞬間、確実に戻っていたと思う。文章にすると非常にショボっちいのだが、これはもう感覚としか言いようがないのである。

あんなに過去に戻りたい戻りたいと喚いていたのにいざ明晰夢を見ると怖くなって目が覚めてしまった。せっかく夢なのだから好き放題やってあわよくば過去改変を狙えばいいのにとんだおねしょチキン野郎である。

興奮冷めやらぬ私は、普段全く使われていない脳みそをフル回転させて考えた。

もしあのまま目が覚めなければどうなっていたのだろう?そもそもあの夢の中の世界は本当に過去と同じなのだろうか?もし夢の中の私が何かアクションを起こしていたら現状が変わっていた?過去に戻れたとして現在の私は植物状態になるのか?

必死に頭を絞った結果、いわゆるパラレルワールドに接続していたのかもしれないと思った。文字にすると本当に珍妙なことを言っているが、他にいい言葉が見つからない。

例えば本当に過去に戻っていたとして、私が「これが二回目である」という意識がある以上、完璧に同じルートにはならない。限りなく過去に近いが、ほんの少しだけズレてしまう。多分、パラレルワールドというものは海辺の砂のように無数に存在して、でも確実に同じ物は無いのだと思う。

この仮説で進めていくならば、例えば私が過去を変えられたとして行き着くのは私が知らない「今」だ。そうすると矛盾が生じてしまう。「今」から来た私に存在していたはずの過去が消え、過去に戻りたいと思った動機そのものが消滅してしまうのである。もうここまで来ると神の領域なので推測でしかないが、恐らく「タイムリープした」という記憶が消えるのだ。人生二週目です!と声高らかに叫んでいる人を見たことがないのはきっとそういうことである。

つまり、私達は私達の知らない間に何度も何度もタイムリープしていて、今が最善の状態である、という結論に達した。「過去を変えることはできない」というのは「変えたという事実そのものが消えてしまうため私達には認知ができない」ということなのではないか。

こんなにも辛くて辛くてたまらない今が最善の状態であり、奇跡的にタイムリープできたとしても気付くことができない、つまり「今」の私から見れば人生をやり直すことは不可能であるという厳しい現実が、自分自身によって叩きつけられてしまった。

絶望である。

もう受験生であるのに何の勉強もせずこんなことを考え夜が明けていくのもかなり絶望的である。

知恵袋で「タイムリープ」と検索すると私と似たようなことを考えている絶望暇人がウヨウヨと存在し、「映画の見すぎ」「そんなことを考えてるくらいなら今をマシにしろ」などと辛辣な回答が返されている。

過去を悔やんで今を苦しんでいる人に投げかけるべき言葉ではない。過去に戻りたいと願うほど追い詰められているのだから。助けてドラえもん。

私に言わせるならタイムリープは「ある」。
こんなに偉そうに語っているが根拠はたった一度の変な夢である。だからもしかすると私の言っていることは全て間違っていて、人生はやり直せるのかもしれない。

考えてみたら本当に人生二周目の人は「自分、二周目だぜ〜😄」なんて言わないだろう。多分芦田愛菜は人生10周くらいしている。

広く宇宙で見れば解明されていることの方が少ないのだ。こんなちっぽけな青い星のさらにちっぽけな島でもう無いのと同じくらい小さな人間一人がタイムリープしていたって不思議ではない。

という訳で今日も人生をやり直せることを期待して眠ろうと思う。おやすみなさい。

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