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五輪についていろいろと考えてみる

五輪とは……

仏教で万物を構成するとされる「地・水・火・風・空」( 五大 )のこと。

その考えに基づき、それらを象った塔(五輪塔)が作られる。

宮本武蔵が自身の兵法書に『五輪書』と命名し、地の巻・水の巻・火の巻・風の巻・空の巻の五巻から構成した。

それら五大に、第六の要素として『識』を加えた六大で、万物と宇宙は構成されているという。

この五大と六大の思想というのは大変に面白く興味深い。

『万物の構成要素』として、西洋に於ける『四大精霊(地・水・火・風)』にも通じ、また中国に於ける『木・火・土・金・水』の五行思想とも、一部重なり合いながら、別の思想を取り込んでいる。

五行の相生相克の考え方は曜日などにも取り入れられているのに、一般には浸透しなかったのは、この五大の考え方が在ったせいではないだろうか?

ぶっちゃけ、ゲームの設定とか作る際にいつも『木』と『金』の扱いに困るものな。

そんなことを言うと五大思想も『風』と『空』ってなにか被っているような気もしてくる。

さて、そんな五大は特に日本では前述の宮本武蔵の著書と、独特の宗教観から、独自の発展を遂げた。

特に私は『識』という認識が生まれたことに大いなる興味を持つ。

大宇宙の意識が、五大という自然の力に作用して、この世界に様々な現象をもたらすという考え方、ある種キリスト教などとも通じるものがあるように思える。

私はその辺の宗教体系を詳しく勉強しているわけではないから、詳細はわからないが。

ただ、世界各地の神話に、よく似たお話の構造のモノが点在したり、逸話にも同様の現象が在るように、宗教や神に対する考え方や、畏怖の念なども、どこか似ているのではないだろうか? などと考えてしまうのである。

で、この『識』の元とされる考え方が「虚空」であるらしい。

この『虚空』、『空』から仏教の教えの広まったインドで「0(ゼロ)」が発見されたというのも、なんだか納得させられます。

つまり、「ゼロ」という認識を、既に畏怖の対象として敬う精神があったというのが、とても興味深く感じます。

その無で在る「虚空」にこそ「偉大なる意識」が存在すると考え「識」という考えが生まれたのだと、そんな風に考えを巡らせると、いろいろと楽しいではありませんか!

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