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ゲームの実況配信をみる人は何を考えているのか;事例のひとつ

ゲームの実況配信をみる人は何を考えているのか、気になりませんか。他人の脳内を覗きたいという願いを曲がりなりにも叶えてくれるのがインターネットだといいます。しかし、画面の向こう側に、何千、何万、何億の人間がいて、彼らには基本、ひとつ以上の顔と名前があるはずですが、「この人のことを捉えた」と思えることはめったにないといえるでしょう。リアルタイムに、同時接続数が表示され、チャット欄ではたかだか数行程度の文字列が流れていく、YouTubeの配信という場では、視聴者の間で、これが顕著ではないでしょうか。同じところに偶然居合わせた他人についてふと、全然知らない、もっと知りたいという「魔が差して」しまうことは、きっと現代にはじまったことではありません。ある時、学校や職場などで、あなたの隣にいる人は、いったい何を考えているどんな人なんでしょうかね。自分について語れたら、他人についても、少しぐらい語れるように知りたくなるのは、精神の成長や発達のためには、許されないことでしょうか。独り言ばかり達者になっていきます。


・午前五時にピアノを弾く
・ウーマンコミュニケーション
・ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生
・serial experiments lain

以上4つのゲームのネタバレが含まれていると思います。


・午前五時にピアノを弾く


『ナツノカナタ』をダウンロードして少しプレイした後、クリアしていません。できていません。そうこうしているうちに、新作が発表されてしまいました。ダウンロードしました。いつ自分で遊ぶかはわかりません。

午前五時にピアノを弾く (kazuhideoka.net) (価格:無料)

ゲーム実況をみるぐらいなら、自分でプレイすればいいのに、という意見がありますが、私はその意見に対して、賛成や反対などの立場を、積極的には選びかねます。それは父や弟などが操作しているのをみていた過去があるからだと思います。どういうことかというと、もはやネイティブだからだということです。YouTubeは身近にありました。私の習慣は長い年月をかけて形成されたもので、常時意識されなければならないこだわりなどではないでしょう。他のものに例えるなら、ふるさとの文化や資本主義などです。ある人間が、それらの現状をあえて強く肯定したり強く否定したりするなら、立派なことですが、切羽詰まった上で、他人の影響を受けての、態度ではないかと思います。今の仕組みの長短はある程度わかっているし、別の仕組みを採用する時が来たら採用します。したいようにします。自分で遊びたい時は遊びます。『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』は、超面白かったです。ひとまずのクリアは夏休み期間中にしました。前作『ブレワイ』の有名なレビューに、「いつもと同じつまらない景色が違ってみえる。」というものがありますが、振り返ってみても、それのパワーアップだと思います。

『午前五時にピアノを弾く』も、私はゲーム実況を拝見し、まだダウンロードしただけではありますが、すてきなゲームです。他人事ではない、「忘れる」ということに関して、メッセージが込められていると思いました。


・ウーマンコミュニケーション


「実況×マルチエンディング、マーケティングじゃん」という学びを得た気がしました。『午前五時にピアノを弾く』も『ウーマンコミュニケーション』も、あのチラズアートさんのゲームも、マルチエンディングだということに、意図の有無と真偽はともかく、勝手ながら、変に、目を見開かされました。実況をする人も実況をみる人も増えた時代に、宣伝とはこういうことなのか、商売上手め。発売前から話題でもあったため、驚きがありました。そういえば『デトロイトビカムヒューマン』もそうかもしれません。自分でプレイしてみたいという気持ちをかき立てるために、考えられているんだなあ。個人の感想です。

『ウーマンコミュニケーション』もいいゲームだと思います。端々から、様々なものからインスパイアされたのだと受け取りました。架空の(美少女の)人格が大勢に記憶されて、また新たな1ページが歴史に追加されました。いつかは、さっちん(たち)を忘れてしまうかもしれません。しかし、全部、私たちの中に残り続けるでしょう。


・ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生


第二章の「週刊少年ゼツボウマガジン」まで終わりました。やりきれない辛さを絶望というのかな、と最近絶望について考えるようになってきた感じがします。『シン・仮面ライダー』をみました、かっこよかったです。そのせいで孤独や弱者についても意識してしまっています。涙腺が刺激されます。あれやこれやの、製作者様(追記:正しくは制作者様か)はすごいです。

とあるキャラクターがドーナツ好きだと判明してはじめて、西尾維新作品との関連性について考えを巡らせました。『ネコソギラジカル』が2005年で、『ダンガンロンパ』が2010年でした。二者の関連性は、当時からいわれているようでした。

ハサミを携帯する変態殺人鬼(二重人格)が登場して、驚愕したり、戸惑ったりしました。

殺人事件の真犯人が(殺人鬼ではなく)他にいることや、魅力的な登場人物が次々と死ぬことからも、西尾維新らしさを感じ取りました。


・serial experiments lain


毎週土曜深夜(日曜)に行われていた配信も、終わりを迎えようとしています。〇曜日の深夜ってわかりにくくありませんか。『進撃の巨人』は今日らしいです。(11月4日(土)24時〜NHK総合にて、TVアニメ『進撃の巨人 The Final Season 完結編 後編』が放送される。)

『serial experiments lain』の配信をきっかけに、R.D.レイン『好き? 好き? 大好き?』の文庫本を買いました。とてもよかったです。「TEN」「64」の「好き? 好き? 大好き?」も好きですが、「NINE」「63」の「ぼくは悲鳴をあげるつもりだ」も好きです。

特に短歌の形式に翻訳されている時に、詩が日本語訳されていることを思いました。詩集の類が今出版できることは奇跡らしいですが、実際、きっかけなしに、誰かの詩に触れたいと思うことはないでしょう。詩が「誰にでも書ける」とされているなら、誰かの詩を読みたい時は、その詩にバックグラウンドがある時ではないでしょうか。具体的には、例えば、誰から誰に贈られているか察せる詩である時です。唐突な『違国日記』11巻の微ネタバレ(?)ですが、詩があまりにもよすぎました。感動しながら、しかしそれは、完結までの積み重ねがあったからで、詩だけ読ませられても響かなかったかもしれないと想像していました。

にゃるらさんの巻末解説もよかったです。完成された美しさを怖がっていました。過去から現代までの(インスピレーションが受け継がれる?)経緯が並べられていて、胸が熱くなりました。


このように、ゲームの実況配信をみる人は、それらを楽しんでいます。ゲームの実況配信をみることで、何かと出会うこともあります。


追記
1周目クリア後も、まだ続くみたいです。

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