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主観意識と共感

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 先生方にして物語世界に感情移入して楽しんでいらっしゃることが、今回は一番面白かったです。  

 アリストテレスの「感覚は過たない」、即ち物理的客観の世界から連続する印象impressionを受信した生(なま)情報には誤謬は発生しない。しかしそれを変換して主観意識(アリストテレスの古代、トマスの中世では魂の認識とされますが)が構成する世界モデルにおいては、錯覚などが発生する。さらに情報入力に反応し情報処理・推論し、制御出力した結果が「思ったようにならない」。  
 こうした現実を忘れて(逃避)、物語世界に没入するのは、人間の多くが日常で行っていることだと思います。映画館を出てくる観客は、皆、主人公になりきっています。小説を読んだ時も同様です。主観意識が構成しそこに身を置く世界モデル、生世界Lebensweltは、感覚を通じた物理的客観の現実と異なっています。その世界内で「夢想」するように主観意識が、ある種のクオリアをもって感情を発現させることが可能です。幼児期はその傾向が大きく、物語世界に没入します。サンタクロースが同居し、その世界内に投影された諸存在に共感性を豊かに発揮します。M.エンデ『モモ』では、その(空想)世界をフッサールの「内的時間意識」としているようで、主人公は「時間泥棒から時間を取り戻す」少女として表象されています。同じくエンデ『はてしない物語』では、「幼心の君・モンデンキント」が夢想する「ファンタジーエン」として描かれています。  

 この主観意識が観る世界は、その主観の存在様態に当然依存しており、人間的主観意識は、人間存在の構造が作り上げるため、人間の生物的条件からの影響も受けています。物語が恋愛や戦記物や人生成功物語などの例を見れば明らかかと思います。因みに「意識のアップロード」を研究される渡辺正峰先生が、トマス・ネーゲル「コウモリであるとはどういうことか」から「意識とはそれになること」であると定義されているのも、思考法は同じではないかと考えられます(ネット上で彼との遣り取りを少しさせていただきましたが、この確認はとれていません)。  

 結局、客観世界と1対1対応(中世トマスの真理定義;adaequatio rei et intellectu 事物と知性との対等)を示す網羅的なAIで実行している数理的現実認識に比べて、人間的主観意識の世界認識は、人間にとって有効なバイアスを生命進化過程で受け取った縮約的認識を前提にしており、その中心に「母子」関係、「オス・メス」関係を成立させる「共感」作用があるように思います。

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