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意識について未完下書き


  意識がどういうものか分からない。意識を作ることができるほどまで理解するには、その設計図を描くことができるのは前提。
 設計図を描くのに、とりあえず設計図に示す為の部品パーツを並べる。それは意識にまつわる概念である。
 本来、意識という現実に現れる作用の出所になる存在があれば、それをバラシて(分析して)、その部品を並べて構造を把握し組み立てる。リバースエンジニアリングの手法である。ところがその手法が成功した実績が無い。脳科学で発現作用と脳活動部位との対応を調査する研究が進められ、BMIで活動を身体外部機器に出力することも可能になっているが、現実の脳の部位をパーツとして組み上げることなどはできず、今のところ、空想としてフランケンシュタインが出てくるだけである。
 従って、設計図を描くためのパーツである概念を、知られている限り、先ず並べてみるのが、今できることである。
 
1意識作用以前
 さて、「意識作用」を現わしている出所の一つである「私」は、「自然」によって誕生した。決して私の意識は、誕生に先立ってはいない。自然は、「アルゴリズム」に従った「プログラム」を実行する「システム」。エントロピーが増大するカオスの内に、自己組織化現象が展開する自然宇宙。
 このシステムの展開の中で、私という意識作用が現れる。自然は「自動」の働きでもあり、「自動制御システム」として、私という「意識作用以前の作用」を実行する。私を個体発生の過程で眺めると、受精から細胞分裂、遺伝子情報の発現秩序に従う身体器官の構築、そうした諸器官の機能作用、これらが自動的に自然秩序のままに展開する。これらの自動制御システムは、たとえ私の生物身体の内に働いていても、私という意識作用の結果ではなく、それ以前と言わざるを得ない。

2 知能と意識
 「知能」と「意識」は作用システムを区別すべきではないか?人間の脳で言えば、新皮質と旧皮質が、それぞれに担っている作用の区別で、考察できないか?  
 カエルなどを観察すると、自律・反射系の働き・作用で生きているようで、生存環境がそれで生きていけるだけの条件を満たしている、と思える。そのカエルに知能が形成されるかといえば、Noと言えないか?つまり、情報を得て処理し、学習すると言う作用を実行できない。タブレットPCに虫に見える図像が移動するように見せ、カエルが反射で飛びつく様を検証する動画では、カエルは一向に学習せず、飛びついていた。  
 これに対して生成AIは深層学習して、知識を増やし、知能を高める。情報処理能力が高く、その点では、人間をはるかに超える知能を持つ状態になり得る。  
 上の二つの例は、人間の脳の旧皮質と新皮質で担われている作用で比較すると、カエルは人間脳の旧皮質に共通するところが多く、生成AIは人間脳の新皮質に共通するところが多い、ということになるのではないか?  
 この前提で、「意識」についてその作用を位置付けてみると、カエルには「(何か)在るに気付く」作用が発生し、自律・反射の作用を発動すると言える。  
 しかし生成AIで、その作用が連続するかと問うと、あくまでAIはプロンプト、コマンドーで情報処理し、その知能を発揮するということになる。自律・反射のプログラムがシステム内に組み込まれたとしても、「在るに気付く」意識の作用を発現する、旧皮質的作用ではないであろう。

3 ある見解へのコメント(1)
#UG251 意識科学の始まりの物語。意識は、どこが謎なのか【意識のハードプロブレム】 #ロボマインド・プロジェクト (youtube.com)
 表象が哲学的で難しいというとき、現象を表したもの、という漢字の表意にすれば、かえって分かり易くないですか?
 仮想世界は、主観意識というか認識主体にとって認識されている領域ということですね。ある主体にとっては、その認識が成立し、世界として受取られるということですね。それを「仮想」と言える根拠は、当然、本来の自然宇宙の全体像が、その認識の範囲を超えているからだと思います。
 古来から人間はそのことも分かっていて、例えばプラトンは洞窟の比喩を示しました。そこから逆に類推して、完全なる認識を成す知性を想定し、完全現実態(純粋現実態)エネルゲイアとしてのヌースとし、アリストテレスはノエシス・ノエセオス(思惟の思惟)にまで類推しました。これを自然神学と後に呼ばれる学際分野で、神の自己認識=自己概念=他者認識=世界創造と発展させ、フィロンあたりで『創世記』の創造説話の解釈に使いました。
 ここで言いたいことは、主観が仮想となる根拠だろうということです。生物種的な仮想世界もあり、ネーゲルの提起はそれだと思います。個人差の仮想世界もあり、養老先生の「バカの壁」もそれだろうと思います。こうしたものをF.ベーコンは「イドラ」とし、その分類もしました。
 中世では完全認識、そしてその知(情報)を「神の知」としましたが、古代のノエシス・ノエセオスの発展であり、これがその内容の無限性へとさらに発展し、ライプニッツやカントールの数学的「表象」になりました。
 そもそも「意識」と翻訳されるconsciousnessは、conscientiaで、共に知る=良心(社会的知)の派生でしたから、身勝手にならず、広くの見識を持って現実を観るという事柄の「表象」だったと思います。

4 ある見解へのコメント(2)
#意識の科学 を知り、探求することは、なぜ「よりよい人になる」ことにつながるのか - YouTube
 すみません、茂木先生の「意識の単一性」という説を、今まで知らずにいました。  
 ここで直ちに思い当たるのは、中世アラビア(アヴェロエス主義)の「知性単一説」です。これはE.シュレーディンガーも自分の立場として表明した精神・知性観です。思想史で眺めれば、古代期から類型は多くあり、ウパニッシャッドのブラフマン‐アートマン・モデルも、プラトンのイデア論も、この類型に当て嵌まると思います。  
 優生学のフランシス・ゴルトンは、最初に集合知を論じた学者でもありますが、その社会的な知性の様態を敷衍して眺めると、単一知性説の起源も理解できると思います。  
 生命が多様性現象を示し、その中で脳を発生した生命は多脳化を進め、さらに多意識化を展開してきました。これは情報収集の自然的発展過程と言えます。そして収集した情報を集合集積する歴史過程が進み、少なくとも人間の共同体では、様々な知識・技術(知識scientiaは科学scienceの由来)を得ている人材(各種自然に対する制御の専門家が八百万の神であると言えます。世界中同じで、ギリシャでも各種の神々があります)即ち、社会形成、特に農耕の為の灌漑、治水、気象、天文について知識を持つ、科学技術者達を召し抱え、君主が統治しました。その君主が最高神ゼウス(デウス)とされていきました。  結局、こうした知識=情報の集合集積の流れを眺めてきた人類が、個々人が死んでも一つの集合集積知として歴史を貫く様相に位置付け、観念化したのが単一知性説の根源ではないかと思います。文献学的な思想史では、アヴェロエス主義は、アリストテレスの『霊魂論』の解釈からその説を形成したとされますが、底流には、今述べてた観方があると思われます。  
 中世ではキリスト教思想の側で、「個霊の救済」が問題になるため、トマス・アクィナス中心に単一知性説は反駁されましたが、冒頭に見たシュレーディンガーのように、現代にも単一知性説は、多くの立場で主張されています。以前、カトリック神学会で、そのテーマの発表をしたのですが、現代の科学者の多くは、シュレーディンガーと軌を一にしています。特に個々人の「私」というテーマを考察した際、それが主観意識の問題であるとする立場が殆どです。ドーキンスも、その信奉者スーザン・ブラックモア等は典型です。  
 茂木先生の「意識の単一性」の論点は、ここで拝聴した限りでは、集合集積知としての情報、或いはミームの単一性ではなさそうでしたが、如何でしょうか?  
 その辺りの問題に関して、電子(量子)のエネルギー様態の普遍性が、現実的理解の根本にある気がしてなりません。エネルギー、エネルゲイア、これは中世では現実態とされました。あらゆる可能態の側にあるものを、現実にする「存在esse」を、トマス等は根源として考察しました。  
 実は、中世哲学会で初めて発表した際、若くして亡くなられた慶應の中川純夫先生が質問を下さり、「結局、トマスの個体の原理を、何であると考えているのか?」と、問われました。哲学の論議では定式化されたような個体化の原理も踏まえた上で、最深部では存在esseというエネルゲイアによると考えています、と応えました。得心された表情を見て、安心した記憶が残っています。  
 この「存在」、即ちエネルギーこそ、電子の力であると、そろそろ言い切ってもいいのかもしれないという気がしてなりません。ジョン・ホイーラーの「単一電子仮説」、これが電子のエネルギー状態の普遍性を示すものであれば、存在の地平は普遍的な波動性を示し、時間性もなく速度無限大、故に量子もつれの状態も生じる。つまり、観測すれば固有スピンのエネルギー状態となり粒子性を見せる。観測する、というのは関係する、ということであり、相対状態を現実に与える、即ち現実態の状態にするちからを発揮すると、相互に個体化を示す。茂木先生が意識について、個人の主観意識クオリアを論じられる際に、脳内で流れる電子の様態が、この状態ではないのか、などと、妄想を抱いております。

5 ある見解へのコメント(3)
【冒頭無料】川上量生×松尾豊×東浩紀「知性とはなにか──AI時代の人文学」@gweoipfsd @ymatsuo @hazuma #ゲンロン230625 #ZEN大学 - YouTube
 松尾先生の大脳新皮質の活動とディープラーニングが共通性が高いというのは、ほぼ、皆が理解していることですね。そして他の脳部位の働きをさらに探求していく必要がある、というのも、今、問題になっていることですね。  
 その一部は、身体内の腎臓や腸からの伝達物質による情報処理を、如何に為しているか、それが如何なる気分を形成し、如何なる価値判断や意味付与をなしているか、そうしたことの分析が、脳科学の課題になるということでしょうか?  
 そもそも、生体は存在した時点で、少なくとも律動を始めて、神経を発生させて、反射・自律系の作用を持った時から、準備電位・アイドリング状態が生じ、その段階で、脳には情報の入出力が発生しているのですよね。これに指向が生じると意識が萌芽し、そこに志向が現象をあらわし意志が生まれ、思考を始めると認識を深める。そのメタ作用を連続して循環させると、自己意識になり、主観意識クオリアを有するようになる。深められた認識は、対象についての客観認識になり、短期記憶に先ずは置かれ、睡眠中に海馬を通って、知識として積層化する。  
 こうした情報を脳の外化作用で、物化すると、様々な表象として文化(ミーム)伝達される。その中で最大効率を得たものが言語・言葉であり、端的に情報として、他の脳へcommunication されていく。その全体が社会であり、集合集積知(情報)として時空を跨いで拡張されていく。個体脳間(生物か多様化して、多脳化し、多意識を発生した根拠かもしれない)でのコミュニケーションをさらに拡張して、電子担体情報を銅線を通し繋げてネット化し、さらに光ケーブルにもし、半導体コンピュータとのコミュニケーションをも、今や成している。  
 時空を超えた情報の集合集積を展開する様は、ブラフマン‐アートマン・モデルを思わせますが、先ずは、地球をグローバル・ブレイン化し、衛星軌道にその新皮質を形成する。  
 こんな未来像を描くような、今回のZEN大学の序文ですね・・・。

6 ある見解へのコメント(4)
【ChatGPTの次の次は量子AI】脳科学者 茂木健一郎とハーバード卒の天才が激論/AIと量子コンピュータの密接な関係/アバターと人間を隔てるもの/世界の中心に行かないと世界は見られない - YouTube
 北川先生が言われた「生物学的にエンコードされている・・」ということは、人間の内に作用する二つの情報の流れの一方でしょうか・・?  W.ブルケルトが指摘したプラトンの気付き、即ち人間は子供を生物(遺伝情報)と意識(情報)で残せるということ、R.ドーキンスなら自己複製子は遺伝情報とミームの並行性があること、その流れの一つ。分子担体情報の流れと言えると思いますが、ウィルスや生物の遺伝子プールの可能性から「自然選択」で展開してきている流れ。  
 他方は電子担体情報で、細胞内に起きた電位作用で発生した流れが脳において「意識選択」で展開してきている流れ。これは脳と脳との間で伝達(communication)をして、「情報」を集合集積してきました。(因みに、このコミュニケーションという電子担体情報の経由過程=インターフェースは、文書だったり、建物だったり、文化そのもので、次第に半導体へ進んで、脳と脳どころか、AIとの情報伝達が今、展開しています。)  
 話を戻すと北川先生の発想では、上の分子担体情報も、電子担体情報の次元でが量子情報として、スケーリングでそのシステムのフレームを位置付けることができる、という事でしょうか?  
 茂木先生がエピファニーを受けたと言われる感覚は、量子情報からは相転移した情報系として物語的人格性が現われるのでは、ということにも思えますが、どうなんでしょうか?
 茂木先生のindividualityについての問題意識が、中世のトマスの最大の問題意識だったと思います。前にも先生の動画にコメントさせていただいたかもしれませんが、現代ならシュレーディンガーがその精神観・知性観として採択したアラビアの単一知性説は、思想史上、古くからブラフマン‐アートマン・モデルとして底流があると思います。アヴェロエス主義は、アリストテレスの『霊魂論』の一つの解釈として提示されたもので、シュレーディンガーに限らず、アーサー・C・クラーク や C.シャノンなども同様ですが、おそらく、論理的思考法で知性を情報の集合集積として眺めれば、普遍的な知性と個別知性の関係が、そこに集約されるという結論を導かれるという事になると思います。  
 しかし、トマスは「個霊の救済」という神学ストラテジーから、当時の単一知性説に対して、非常に意を注いだ反論を為しました(詳細は学会誌等に上げました)。やはりキリスト教の立場を表明するというだけでなく、現実にindividuaityは、情報進化過程に集約されるだけでなく、その過程に対して位相的に別の個々の閉じた系を示すとしたのではないかと思います。情報進化過程の時空の軸に、交差する「物語軸」が時空を超えて示せるのではないか、ということです。  
 以前、新約学・グノーシス研究の大貫隆先生に習った時に、「福音書は二度、読まなければならない。一度目にイエスが誰であるかを読み、そのイエスが、物語の場面場面でどうしたかを二度目に読む必要があります」と解説されました。  
 その辺りに、何かヒントがありそうな気がします。

7 ある見解へのコメント(5)
【本編】シンギュラリティサロン・オンライン「意識を科学のまな板にのせる - 20年後の意識のアップロードに向けて -」 講師:東京大学准教授 渡辺正峰氏(シンギュラリティサロン#46 ZOOM開催) - YouTube
 意識のハードプロブレム、主観意識が何故生じるのか?自然世界にある現象の基盤が量子作用、分子作用、物質構造システムの作用として、一元的に共通・普遍的なら、何故、主観意識クオリアが我々の脳内に発生し、他のシステムには発生しないといえるのか?  
 これを答えるには、脳が進化過程と個体の発生・発達過程で発生する際に、如何にその主観意識を作用させるシステム構築をするかを探る必要はあると思います。  
 クオリアに関しては、腎臓や腸からも出される伝達物質の影響もあるはずで、個体が発生し成長発達すると脳も作用を整え、身体から、そして感覚器官等を通して入力される情報とともに、統合情報処理をするはずではないでしょうか?  
 そしてそれらの入力に対して、多くは反射や自律神経系で出力も脳からしており、生存していれば、常時、準備電位といわれるアイドリング状態が、血流から与えられるエネルギーで、保持されると思います。この脳の底流の情報の流れに対して、無意識であったり意識に上ったりしているのが、ここで問題にしている主観意識の作用であり、この情報の流れに交差する様な読み取りreader作用が生じていると思います。ここから流れる情報の対象認識をし、情報処理をして記憶・記録化する知識としたり、いわゆる知性能力の働きを展開するのだと思います。  
 夢もまさに、この脳内の情報の流れに対する作用であり、覚醒状態になくても、底流を流れる情報に、読み取りををしている作用だと思います。  
 ただ、ここで重要なことは脳は物理的実体であり、エネルギーも血流を通して運ばれるのでしょうが、知性能力、その働きである意識・認識・知識というものは作用を名付けたものであり、実体ではないということです。意識は主観クオリアを「感じ」ながら、情報を指向し、志向し、さらに思考し認識を導き、知識を生成する。その情報処理は、「今ここ」の現在にのみ顕現する作用であり、その作用時に「ここでのクオリアを今」という内的時間意識(フッサール)により感じるという、知識的(対象)情報処理においてはノイズになるものを受け取っているのではないでしょうか?  
 同じ外気温でも体の調子が悪いと暑く疲れると感じたり、調子が良いと爽快と感じたり、子供の時の印象と、大人になってから、老年になってからとでは、全く違うとか、こうした普遍的な客観的対象情報に対するノイズにも当たる個別的要素が、意識主観には関係するのではないでしょうか?  
 ここから類推すると、意識のアップロードは、その作用様式を、元の脳とは別に再現できるとは思いますが、常時、その時の「今ここ」現在における働き・作用そのものは、意識記憶などというものが、つまり働きの経歴総和というようなものが捉えられないと、移し替え再現が難しいのではないか、という気がします。

8 ある見解へのコメント(6)
眠る前の「私」と、目覚めた後の「私」は同じなのか? - YouTube
 意識が睡眠と覚醒とで連続しているか否か、という問いは無意味な気がします。その底流を観れば、そもそも連続していると言えませんか?
 物質としての連続の上に、脳活動の連続はあり、ただ、睡眠で意識作用が「現在化」していないだけということで、意識作用の下になる情報の流れは、生存中は途切れずにある、といえませんか?
 つまり、脳に入出力する情報の流れは、電子情報も伝達物質も、共に身体から或いは身体の外から入力され、反射・自律系では出力もしており、意識作用が「現在」として生じていなくても流れ続けていると思いますが、違うでしょうか?脳活動は夢だけでなくても、途切れることはないのですよね?
 となれば、その情報の流れが意識に上って来なくても、その情報の流れを読み取り、情報処理をする「意識という現在的作用(フッサール的な内的時間意識?)」を存在構造的に下支えをしていますし、さらに意識作用で情報処理し対象として「認識」を深めること、結果、「知識」作用として対象についての生成情報を保存することも、可能態の状態に位置付けることができるのだと、思います。だからこそ、「知性は能力」なのであり、現実態の状態になければ可能態の状態にある、まさに「能力」なのだと思います。
 「意識の入れ子構造」は、作用した「現在」の積層化、主観意識クオリアの玉葱様相ですね?脳に入出力しつつ流れる情報を処理して、対象(客体)認識を形成し、知識を積層化する働きをする中で、その情報の流れに交差して流れを読み取る意識。その読み取りの都度、主観意識クオリアを感じ、気分を持ち、感情を発現させる。それが流れに対して水車の様に再帰運動をして出来上がってしまうのが自己意識。その同一性を「私」としている。  
 茂木先生の動画での最後に出された問題は、主観意識が読み取って処理して形成した客体対象認識や知識として積まれた情報とを関連付けすれば、客体対象になっている情報を通じて、脳の外界の情報起源に辿り着けるのでは?

9 ある見解へのコメント(7)
クリエイティブAI講座:アニメと360度画像の生成~Stable Diffusion Animation, HeyGen, blockadelabs - YouTube
 森羅万象に八百万の言霊、言の葉が宿り、宇宙を生成しているという脳内生成Conception懐念を、脳神経細胞に代えて半導体で電子担体情報プログラムによって、デジタルにアナロジカルなイメージで(!)生成させているのが、生成AIではありませんか?  
 ここでアナロジカル類比的にしかならない作用・働きは、一体何か?  
 分子担体情報プログラムで働きの一回性(代替不可能性)しか持たない生物意識(主観クオリア)作用と、電子担体情報プログラムでの作用の普遍性(代替可能性)が示す情報知識作用との間には、類比的関係しか認められないからではないでしょうか?  
 理論的にはAIの生成作用は普遍性を有し、同じ作用を何度も再現できる。電子という素粒子のエネルギー状態(スピン・波動)は個体性無く普遍的なので、半導体の条件が変わらなければ作用様態も結果も同じ。不確定性が問題となるシステムのフレーム・スケール・レベルではない。  
 それに対して、生体脳が働く条件は、分子レベルの個別性が影響を与える。働きは「今ここ」現在=現に在り、という条件に左右される。それが主観意識クオリアとして反映され、この意識に自己意識、即ち個別存在として代替不可能性を受け取らせる。  
 人間脳の生成とAIによる生成との違いが、その辺りにあるということはないのでしょうか?
 AIがサーチする情報プールも人間が集合集積した情報で、プロンプトも人間が与える。そこから生成される情報は、人間の観測選択効果でバイアスがかかったものになりますか?人間の生活環境の描写であったり、人間の顔の画像であったり・・。数学でさえ、使用記号などが、人間的になりますか?プログラム言語はどうなのでしょうか?
 以前、カール・セーガンがボイジャー計画で、地球人類の情報を普遍的理解が可能になるようにして送り出しましたが、生成AIに人間的バイアスから解放された情報生成をさせると、一体、どのように出力するのでしょうか?

10 ある見解へのコメント(8)
意識・時間・AIの哲学と物理学者 / 谷村 省吾 氏 - YouTube
 先生方のこのサロンで、1年以上前に、こんな素晴らしい論議があったのを知らずに、失礼いたしました。
 さて意識について考えてみると、その定義が立場によって異なっている気がします。
 或いは定義よりも、意識の段階を問題にしていらっしゃるのが一番、重要な気がします。まず意識の発生は、神経、即ち電子作用を取り込んだ細胞に発端があると思います。
 それとは別の作用が分子作用、即ち生体高分子から始まった情報作用です。生物の形成はこの分子担体情報によります。
 意識に戻ると、電子作用を取り込んだ細胞、即ち神経細胞は次第に脳を形成しましたが(この形成は分子担体情報の作用ですが)、個体発生段階で脳内に神経、体内伝達物質の両者から情報が入出力します。反射・自律神経系の情報の入出力の流れです。
 さらに無意識のまま、感覚器官、体感からも情報は入力されています。
 問題は、その状態から「意識」が作用する様態です。
 電子の作用であることは、ほぼ間違いないと思いますが、どうでしょうか?それを取り込んで神経細胞になったのですから。では、如何なる電子作用が意識作用を発生させるか?
 谷村先生の話にもある程度ありましたが、電子は時間や個の特定ができない、量子エネルギー状態(スピン、振動(波動)の普遍的(個が特定できないのは不確定性?)性質が示されるというか、記述がその様にしかできない。エントロピ―のベクトルを示せないエネルギーと言っていいでしょうか?要はエネルギーの様態だから、働き・作用しか示せない。また働き・作用は今、現在にしか現象を現さない。まさに現実態です。
 上述の無意識の脳内の情報の流れとなっている電子作用に、交差するように電子作用が生じた時に「気付」きとなり、「注意」し、「意識」を向けるという作用様態が立ち上がるのではないでしょうか?
 後はこの立ち上がった意識が、塚本先生が「内部観測」と言われていた状態になる。いわゆる「メタ」作用が、再帰的に発生すると「自己意識」へと進展する気がします。
 この観方が正しければ、松田先生が言われていたように、「認識」「知識」という知性能力の作用と、意識作用を切り離して捉えることもできるかと思います。 
 意識作用に交わらずとも、無意識でも電子担体情報は入力されていたわけですから、それが意識化され情報処理されて「認識」され、「知識」となる過程が、他の情報処理の方法でも可能であると思えるのです。つまり、コンピュータ・プログラムによる情報処理でも、認識がなされ知識化できるのではないか、ということです。 
 そして、そこでも電子担体情報が電子作用で「認識」されているのではないでしょうか?

11 ある見解へのコメント(9)
#岸田文雄です。解散しようかなあ、解散するのやめようかなあ。よし、決めた! - YouTube
 茂木先生は、先日、私が新約のパウロについてコメントさせていただいたことを、「実験」されているのでしょうか?  
 パウロは生前のイエスと会ってもおらず、イエスのセクト迫害の為にその「言葉と行い」を調査し、「情報」を得ました。それが「復活」体験であるとし、彼の人格編集につながり、結果、ユダヤ教の分派程度だった活動を、ローマ文化圏に拡張する礎になりました。  
 「言葉」の伝達がミサのパンを割く式=分ち合う=communicationであることも先日、コメントさせていただきました。  
 要は人間個人において、そして個体脳と個体脳との関係で形成される共同体における「情報」の作用を、『新約聖書』は表現するストラテジーを持っているということです。  
 茂木先生が、この『教養チャンネル』でなさっておられることが、そうした脳と情報との作用・働きを確認する為の「実験」に思えてならないのですが、違うでしょうか?  
 ところで、やはり「意識」と「認識」・「知識」の働き方、作用様態が違うことは感じます。茂木先生が意識的と認識的を分けられ、交差するようだと、イタリアの火山の前で言われたことは、全く同感です。  
 意識はともかく現在にしか現れない作用で、現在を受け取り、現在を意識する。認識は対象について理解を深め、知識はそれを集積し、個体脳間で集合集成する。  
 意識は「今ここ」で入力される情報に主観クオリアを持ち、今を享受したり、忌避したりする。音楽の律動・旋律、光の波動・波長、香り=気体分子の快不快、…。これが個体脳が受け取る現在の情報であり、情報処理作用による主観クオリアであり、個体脳が発して身体が示す「気分」なのだろうと思います。だからこそ、意識が「今ここ」で受け取る情報で「気分」を形成するために、その情報に、ある種の「ジャイロ効果」=安定制御をさせるのだろうと、思います。音楽を聴いたり、模様と色を観たり、香料を嗅いだり。  
 この「意識」の働きと、「認識」「知識」の働きとは、脳が示す知性作用においても、別様だと思います。意識にとってはともかく現在「今ここ」だけが働きの場であり、認識・知識は時空の限定をある意味で超えた、「普遍的」な情報に対する働きだと思います。だからこそ、生成AIにもこの認識・知識の働きは展開できるのであり、確かに人工知性であるといえるのだと思います。  
 問題は意識が如何に上のような発現をなし、茂木先生の「実験」をするのか?  
 それは現在「今ここ」の感覚に直結する働きだからということまでは、何とかわかりそうですが、アリストテレスさえ、それは言っていましたので、進歩が無くすみません・・。

12 ある見解へのコメント(10)
AfterSalon:意識の不思議をめぐる雑談(前編)土谷尚嗣モナシュ大学教授の講演を受けて~圏論について、様相論理について - YouTube
 「意識接続と随伴性」についてですが、次のように考えられませんか?
 土谷先生が反省的な作用の位置付けでで二元論・一元論の区別を受け取られるように言われていますが、脳の作用で知性能力Intelligenceと言われる働きは、脳の作用の基底になる情報の流れと、その情報の流れに直交する様な、「今働く」「意識」の作用との区別にある気がします。
 脳のアイドリング状態、準備電位状態で、身体・感覚器官を経由した脳に入力されている情報が流れています。これは生存した(脳が形成され存在するようになった)時点で、死ぬまで常時、発生しています。反射や自律神経系の信号情報もあるでしょう。そして睡眠中を中心に、脳に血流を増やし、活動を活発にしなければ、無意識の状態で、この情報の流れは流れ続けます。
 しかし、意識に上った状態、つまり「気付いた」状態で、上の情報の流れをリーダー(読み取り)のように意識が作用します。そこでいっそう、その情報量を増やすため、情報の流れに「意」を向けます。するとその情報内容が「認識」を深めます。そうして処理された情報が「知識」であり、海馬を通って記憶領域に定着します。
 ここで重要なのは、「今ここで働く」意識と、その作用が交差した情報の流れです。この情報の流れは「認識」となり「知識」となるものでした。すると、次の事が言えませんか?
 意識は今ここの作用で主観です。対して認識・知識となる情報は対象からのものです。
 つまり、主観―客観、主客の相違は、ここに発生しているということです。
 私がシンギュラリティサロンの先生方からお教えいただきながら書いたエッセーです。よかったら、みてください。https://note.com/thomasaquinas/n/na7f1ca9442ea


主観
 「現在・今ここ」の働きを積層した自己意識が「現在・今ここ」になっている。この自己意識を救済する。つまり現在=今ここを現実態エネルギーを受けている。現実態の状態にある。まさに主観を救う。
 意識作用の確認は生命体で観るしかない。カエルの餌に対する反射的運動が、意識的か否か?
 
 フッサールやディルタイの言うように世界観は生きるための立場を定め、意識はそれを探求し、認識を得て、知識に蓄えます。ただシュライエルマッハーの言う環境の枷からの脱却や、養老先生の脳化(人工化)を進めると、この世界像を自分の都合の良いものに変更していくのが、人間です。結果、自分自身も変更するわけで、ポストヒューマンへの「進化」の道を辿るのだと思います。

 無・存在・純粋現実態(神)、仏教などでは色々言われる、・・・・・、地平概念、こうした概念は、否定の道(via nagativa)で表現されたが、上では関係性で説明しようとする。
 否定の道では、これでもなし、あれでもなし、・・・、と周辺をいう。圏論と上では言うらしい。
 意識のクオリアも、こうした概念のカテゴリーに入るらしい。
ただ、クオリアは主観であり、既に意識が発現・発動してから、感じ取るものである。
 問題は意識という発現する働き・作用の様式・様態である。エネルギー供給は血流からだろう。古代・中世の見識では、現実態の側にある情報が、この働きの現実態である。
 意識前の入力情報に関して、エッフェル塔の映像の話のところは、アスペルガー症候群を見ると、理解できるかも。準備電位・アイドリングでも情報は物理的に、そのまま入ってくる。アリストテレスは、「感覚は過たない」とした。中世では、印象impressioされるという。
 ここから感覚に入り、表象像phantasmaが抽象される。意識作用はここから。
 この後、表象像から抽象abstoractioが知性によってなされ、普遍的な情報が受け取られる。
 意識が情報処理すると対象の認識が深まる。理解する。
 この認識が、睡眠時に海馬を通って、知識情報として積層化する。
 この知識情報を、集合集積知にするために、コミュニケーションが進化した。物化外在化した信号・記号、…、から始まり、音声言語、視覚言語(文字)に進化し、脳内で変換される様式が進化した。
 電信電話、半導体、AIときて、一気の進化を見せている。

 在るのは脳。脳はエネルギーで作用する。知性は脳が示す能力、意識・認識・知識はその情報処理作用。  
 在るのはコンピュータ。コンピュータはエネルギーで作用する。AIはコンピュータのプログラム、その情報処理作用に意識・認識・知識が現れるか?

 情報という対象に 脳の知性能力は自律(自然に)して意識が発動する。 コンピュータのAIプログラムは、プロンプト・コマンド―で発動する。 Intelligenceの目下の問題は、発動原理。
脳内「意識」は如何に発動するか?
「感情」は 脳にとって「個と種の生体保存、分子担体情報」を、電子担体情報で働く知性作用で表現する作用。 コンピュータにとって「電子担体情報への作用コマンドー」。
 iPSと生成AI。生命形成と知性形成が再現できた。 しかしその発端。 生命と意識。
 量子エネルギー状態(スピン、振動(波動)を探求しないと発動原理が発見できないのだろうか?シュレーディンガーの問いと同じ・・。

 受精し細胞分裂し着床し胎児となり、脳も発生し成長し発達し作用し始める。当初の作用は反射神経・自律神経系の安定制御。感覚器官を含めた身体の末端神経から直接に入力される電子担体情報と、身体諸器官から血流によって循環する伝達物質情報(胎児期には母体からも伝達される)と伴に、脳内の各部位で受信し、その入力に対する出力も試行錯誤を繰り返し、安定制御の出力レヴェルを探る。
 ただし、この間の情報の入出力については反射・自律神経の作用が中心であるから、意識・認識・知識という知性能力の作用は殆ど発現していないとすべきであろう。或いは脳活動としては知性能力の作用であるとしても、いわゆる無意識の状態であり、準備電位、アイドリング状態であるといえないだろうか。また胎内での成長が進み覚醒・睡眠の区別が生じていても、意識・認識・知識の知識能力の作用が高次段階にそれほど及んでいない状態にある、といえるであろう。つまり意識の働きが生じていても、対象認識、その知識を保持する働きにまでは至らないと思われる。そもそも個体発生後も胎内に在っては、高次の知性作用に至らないのは、当然のことである。
 さて、出産を経て乳幼児としての脳の機能が働くことになるが、既に上の本篇で、意識の発生過程について考察を与えた。脳にはその底流となる情報が常に入力され、或いは反射・自律神経系では出力もあり、基礎的な情報の入出力がある。それに「気付く」という事が、意識作用であると、概ね言えるのではないか。
 『徒然草』の冒頭に「つれづれなるままに、・・・、こころにうつりゆくよしなしごとを・・・」とあるが、意識作用の様態がここに観て取れるのではないだろうか。兼好法師にとっては、意識は覚醒している状態で、浮かんで流れてくる情報に意識を向け、認識を深め「そこはかとなくかきつくれば」、知識が拡張する「あやしゅうこそ、ものくるおしけれ」、ということである。ここでは意識が、流れる情報を指向し、志向して認識し、思考して知識を形成するという、情報の流れに対する意識作用から、認識、知識の各段階の知性作用を分析できるのではないか、ということである。

 脳の作用で知性能力Intelligenceと言われる働きは、脳の作用の基底になる情報の流れと、その情報の流れに直交する様な、「今働く」「意識」の作用との区別にある。
 脳のアイドリング状態、準備電位状態で、身体・感覚器官を経由した脳に入力されている情報が流れていまる。これは生存した(脳が形成され存在するようになった)時点で、死ぬまで常時、発生している。反射や自律神経系の信号情報もある。そして睡眠中を中心に、脳に血流を増やし、活動を活発にしなければ、無意識の状態で、この情報の流れは流れ続ける。
 しかし、意識に上った状態、つまり「気付いた」状態で、上の情報の流れをリーダー(読み取り)のように意識が作用する。そこでいっそう、その情報量を増やすため、情報の流れに「意」を向ける。するとその情報内容が「認識」を深める。そうして処理された情報が「知識」であり、海馬を通って記憶領域に定着する。

 ここで重要なのは、「今ここで働く」意識と、その作用が交差した情報の流れである。この情報の流れは「認識」となり「知識」となるものである。すると、次の事が言えるのではないか?
 意識は今ここの作用で主観であり、対して認識・知識となる情報は対象からのものである。つまり、主観―客観、主客の相違は、ここに発生しているということになる。
 しかし今も見たように、こうした例では、意識作用の様態を分析できはするものの、意識が如何に発生しているのか、ということは理解できない。
 この点は、人類において生命と意識が、現在もその起源を根底から見出せていない理由になっている。
 そこで現代では、量子力学における情報の理解を示す、量子情報という分野も展開してきている。現代の電子技術にはその理解が不可欠となって、様々な機器に応用されている。この量子情報について、意識の発生との関連があるか否か、少し考察してみたい。
 生命と意識の発端を尋ねると同じく、量子情報の初めにあるのは、宇宙の発端ということになる。
 こうした見方を進めると、現在、開発の萌芽にある量子コンピューターの役割は、グローバル・ブレインの新皮質=衛星軌道でネットワークを作り、宇宙を観る、果ては宇宙が宇宙自身を観る=宇宙の自己認識を目指すことになるのではないか?そこにブラフマンを顕現させることはできないか? 0ポイント・フィールドからのゆらぎ=差異=情報の始りが、宇宙生成=エントロピーの方向で増大していく情報を、ネゲントロピーとして集合集積情報に圧縮し、全てのシステム・フレーム・スケールの底流を量子エネルギー状態の記述で示す、統一情報過程を見せてくれるのではないか?
 科学技術の進歩については、歴史の中で何時も繰り返し不安を前面に示す者が現われている。ロドニー・ブルックスも脅迫された「ユナ・ボマー」の事件もあった。
 そのブルックスはボストン・ダイナミクスのロボット制御の基礎をつくったが、Massive data flowの情報の流れを前提に、そこからsubsumption architectureで制御学習し出力させている。生成AIのアルゴリズムも、出力情報をネット検索をベースにデータ・セットを持つ、Massive data flowからの選択になっている。
 この元の情報プールの信憑性が問題で、ダニング・クルーガー効果が働く集合集積情報を、下にすることを注意しなければならない。
 その注意は二つの方向性があり、一方は今のダニング・クルーガー効果である。他方は、集合知について1907年にVOX POPULI(民衆の声)のタイトルでNatureに発表した、優生思想で有名なF.ゴルトンが示した問題。今、AIの進歩で危惧されているのが、この問題につながる気がする。これはダニング・クルーガー効果の正反対で、優れた情報生成を得るためには、統計的に優れた情報を集合し、逆にそうでない情報を捨象するという手法が発生する。進化過程がそうある、というのがゴルトンの主張である。すると、AIが捨象する情報プールの担い手である多くのダニング・クルーガー効果をもたらす人間を捨象する方向に進むのではないか、という危惧が生じる。
 今、AIの法規制を必要であるというのは、優生思想に対することに似ている。
 
決定論と論理必然
 そうなると残るは、アライメントで必要なのは、「個体の救済」ということであると、「神学」は考えてきた。
「実体」とは、人間の意味付与・価値創造によるクオリアの可能性がある。

純粋現実態エネルゲイア;真空のエネルギー
 現代物理学は、マクロな宇宙論とミクロな量子論とが「ウロボスの蛇」の様に関連することを示してきている。その関連は宇宙の発端を尋ねていったときに示される。宇宙の発端が「真空のゆらぎ」によって説明され、量子論で記述される量子のエネルギー状態が発現していったとされる。「ゆらぎ」はそこに「差異」が発生する、すなわち情報0→1が生じることになる。量子(素粒子)のとてつもなく大きな

主観・意識と個体性
 主観・意識は「今ここ」でしか働かない。
 「今ここ」は、時空の具体的現実である。
 これが個体性を限定することはアリストテレス―トマスでも大前提。
 これに対して認識や知識は「今ここ」の働きではない。対象の理解であり、それ自体、今ここの意識に対象化される。自己認識も自己についての知識も、そこには自己意識はなく主観はなく、クオリアは発生しない!!
 従って、個体霊魂=救済すべき個体性は、「今ここ」の働きである自己意識に他ならない。
 記憶になる認識・知識は、data情報として保存できる。これを保存し、アップロードしても、「個体意識=私の主観意識」を保存したことにならない。
 「今ここ」の主観意識、その再帰的メタ作用である自己意識。ここにこそ「私の働き、現在がある」野であり、これを救済することは、如何にできるのか?「永遠の今」の現実態・・。


『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』松尾豊東京大学准教授セッション - YouTube

相対化する知性-人工知能が世界の見方をどう変えるのか #1 (プレゼンテーション)【RIETI BBLウェビナー】 - YouTube

上の内容、そこで使われる概念を、各自の使用(理解)概念に置き換える作業が必要である。
例えば、2015年の松尾のプレゼンで、1時間40分位からのソシュールを使っての説明は、シニフェとシニフィアンは、トマスでquoとquodとの区別である。

 松田先生の出された「はじめに言葉ありき」を、「拡大解釈」と註を入れられましたが、世界構造、ロゴスがあるという意味で仰られたと思います。拡大解釈とは思いませんが、どうでしょう?
 むしろ、先回も同じ事をコメントさせていただきましたが、「はじめに言葉ありき」は、神学の立場で、神の知、予定調和、ラプラスの魔物、など、世界、宇宙のシステムの外延から俯瞰できるとする立場、決定論になります。デネットの「スカイフック」です。  
 逆にデネットで言えば「クレーン」で世界構造が構成されていくとする立場、進化論の立場なら、「はじめに言葉はありません」。不確定性宇宙でエントロピーに時間の矢の方向が進む中、散逸構造のネゲントロピーで、情報が決定されていく(観測され、記述される)ということになるとされます。  もし、前者の立場でLLMも情報生成していれば、次第に人間を超えることになります。ここでも保田先生が「人間が一人ではこんなに網羅的に思いつかない」と仰っておられましたが、人間が知識範囲を超えることができるかもしれません。(一部に技術的領域、つまり感覚認識の範囲を超えることは、機械的に大昔から補助機器でやっていましが)  
 しかし、後者の立場なら、同じ保田先生の仰られた意味でも、単に「一人では」ということになるだけで、人間の集合集積知を超えることはできないことになります。  
 こうしてみると、生成モデルの問題の究極の問題は、言語なり、画像なり、何にしても情報生成するにあたって、元の「情報プール」が、人間にとって「未知」の領域か「既知」の領域か、そういうことになる気がします。  勿論、現在、巷で騒いでいるのは、既知の情報プールを元にしているとしても、そこからフェイク情報を生成することで、社会を混乱させるので、慎重に情報生成モデルの利用法を考えよう、AIアライメントを整備しよう、と言っているのは解ります。ただ、松田先生がご指摘なさっておられるのは、もっと究極的な領域であるような気がします。


参考
next-token prediction 茂木健一郎Youtube

 サスキバーが言ってる、GPT4などで非常に驚異的なのは、その次のトークンが何かっていう言語構造の 統計的学習から到達できる。我々が思ってる以上に 我々は世界のリアリティについての理解だとかあるいは 身体性などを言語構造の中に入れてしまってる、ということがLLMの成功から逆に見えてくる。
scalability
 あるトークの中で 彼が言ってたスケーラビリティ、スケール・モア・イズ・ ディファレントという 、フィリポワ・アンダーソンの1970何年よく参照される論文で、複雑系における 創発という概念
 例えばアンモニアだとか水分子とかそれがその 元々の 量子系のとしての対称性じゃない対称性がアンモニア分子1個とかそれから水の構造 の中に出てくる。それはもともとのその下部の構造だけ見ててもわからず、それがモア・イズ・ディファレントという
 要するによく還元論では下の法則によって上の法則 講座全部理解できるみたいなことを我々考えがちだけども、そうじゃなくて 究極突き詰めると 脳の構造とか意識の 働きというのもその最も基本的な法則である 量子力学とかそういうもので説明できるっていう風に我々思いがちなんだけども、 アンダーソンの論文は、より上位の構造というのがそう簡単には下部の界の法則からは出てこない
 コンピューターの中での人工知能の シミュレーションが、例えばその神経細胞のネットワークが 10倍100倍1000倍1万倍になった 時に、そこで認知的な 処理能力が 質的に変わるのかっていうと単に大きくしただけではその違う機能がイマージするってことが 必ずしも保証されない。
 単に水が10倍 100倍1000倍あるってだけになるのかもしれないでそれがそのラージングジ モデル、チャットGPTのトランスフォームのアーキテクチャー で 初めてそのスケールすることによって質的な変化が起こるという道筋が見つかったと いうことなんですよね
  アライメントってのは今AI研究における非常に重要な人間の目的とか人間の幸せとか人間の生活上の仕事上の必要に 合うように人工知能を調整するっていうかうまく向き合わせるっていうのがAI アライメントの考え方
 シンギュラリティという概念 はもともとは、アラン・チューリングとともにエニグマ解読に取り組んだメンバーの一人、数学者のI・J・グッド(グッドは長生きして、2009年に92歳の生涯を閉じた。グッドは、スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』において相談役をつとめた)という人が考えたわけなんですね
  定義を自分自身で改良できるAIができ たらそれはもう人間の最後の発明だラストインベンション だって言った
  ニックボストルムが言ってるようなスーパーインテリジェンスですね 要するに人間の知性をはるかに超えた知性を持つというような言い方でも 定義ができるんですけどもうちょっと違う
 定義ってやっぱり人間の 設計意図を超えた機能を勝手に持って しまう勝手に創発してしまう

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