見出し画像

情報進化過程における人間的自然言語の位置

松田語録:チューリングは1950年までは人工知能について正しく分かっていなかった - YouTube

 宇宙の情報進化過程を俯瞰した場合、情報が人間的自然言語として顕現したのは10万年程度ではないのでしょうか?生命38億年だけでも分子担体情報として展開した期間は、人間的自然言語が現れた期間を優に凌ぎます。  
 「言葉」としての自然言語の発生は、原則的に伝達・コミュニケーションのためであると考えられます。個体脳間での情報の入出力が、それによって可能になっています。  
 この点を眺めると、おそらく人類誕生以前から有脳生物において、「前‐言葉」と言ってよい機能があると思います。実際、鳥類の言葉、霊長類の言葉など、研究報告が提出されています。それどころか植物にさえ、伝達物質による情報の入出力が為されているとされています。  
 こうした情報伝達・コミュニケーション現象の進化過程で、次第に有脳生物、脳の肥大化という並行した生命進化があり、また同時に生じた生命の多様化・多数化・多脳化・多意志化という現象が、個体脳を社会共同体のネットワーク・エージェントの位置で分業・分散制御する社会脳要素にしたと思われます。このネットワーク社会脳内で、個体脳間コミュニケーションのための情報様態が「言葉」であると言えると思います。  
 人間的自然言語は、こうした「言葉」の内で、人間の身体器官の様態に従った言葉として発生したと考えられます。「働きの様態は、存在の様態に従う」という原理の通りです。人間の各感覚器官、発声器官などの存在様態、条件で発生、構築された言葉であると思います。実際、人間の言語でも、その脳内の様態は電子担体情報の流れであり、感覚器官・発声器官からの入出力は、常に変換をされています。  
 ここから言えることは、人間の自然言語の様態が、情報進化過程を通して俯瞰した場合には、情報の様態として処理効率の高いものであるとは言えないのではないか、ということです。あくまでネットワーク社会脳における個体脳間でコミュニケーションするのに有効だと、言えるに過ぎない気がします。個体脳での思弁の際、必ずしも自然言語で推論しているとも言えず、逆に直観的に認識理解に達したことを言語化する作業をしているのではないでしょうか?  
 今後、現行人間の個体脳・ネットワーク社会脳のエージェントにAIがさらに位置を定めていくと、人間の様態もポスト・ヒューマンへの様態変化を、情報進化過程における自然適応によって進めて行く気がします。その段階では、現在の人間的自然言語は不要になる可能性があると思いますが、どうでしょうか?神学の思考実験では、注入知scientia infusaや照明illuminareという情報伝達も考察されてきました。そうした人間的自然言語を超える”ロゴス”(理念・概念)を捉える方向に、次のような研究があると思います。  トマス・アクィナスやメルロ=ポンティの哲学に立脚し、生体脳におけるニューロン活動のカオス理論に基づく解析を長年続けてきた独創的にして卓越した脳科学者ウォルター J.フリーマン『脳はいかにして心を創るのか―神経回路網のカオスが生み出す…』。 NHK動画、[こころの時代] 『数理科学者が語る脳から心が生まれる秘密 』:津田一郎(中部大学創発学術院院長・教授)さんは「脳が心を生み出す秘密を理解する鍵は、数学上のアトラクターという概念だという。」  

 追記  人間言語と文字の発達を考察しても、上記のことが補強される気がします。人類の言語発生以前でも思考は為され、その段階でも個体脳間情報伝達に指示代詞と身振り等は使われたと考えられます。技術伝達などの場面では、言語情報による伝達・伝承・継承というよりも、見て覚えるという要素が大きかったということもあります。  
 また多くの象形記号・文字も発見されているように、情報伝達には視覚情報も展開していたと思われます。絵・図を書いて教え伝えるということは、個体脳間で常に行われてきています。それが徐々に共同体社会脳ネットワークにおいて文字化してきたのも、確認できることです。個体脳の進化と社会脳ネットワークとの共進化を前提に、言語も考察する必要があるという気がします。

・・・・・・・・・・

 プロクロス『プロティノス伝』「わが師プロティノスは、自らの魂が身体の内にあることを、恥じ入っているかのような人であった」。  
 西洋思想のプラトニズムの系譜が、人間の形相としての知性を質料としての身体から剥離する思考モデルを定着させた。形相formaは知性intellectusの作用を導く情報in‐formatioでもある。また形相είδοςはイデアιδέα と同義語であり、ιδέαはιδέίνという動詞と語根を一にしており、ιδέίν はまたέίδω のアオリストであるείδον のインフィニティヴであったため、「観想されるもの」というニュアンスを持つようになった。  
 しかしウルフラムは次のように言っています。

 「人間の言語の特性をもたずに「意味」を表す形式言語を作るという試みは、アリストテレスが紀元前四世紀に考えたことでもあり、そこから論理学が生まれました。彼はそれを追究しましたが、答えにはたどり着きませんでした。それから二千年たっても、その答えには誰もたどり着いていません。1600年代には当時の呼び方でいう「哲学的言語」を作り出そうという試みもありました。しかし、それも1600年代に立ち消えになりました。それ以来、同種の試みはありませんでしたが、ある意味ではChatGPTによって実現したのです。(早川書房 note『ChatGPTの頭の中』著者インタビュー スティーヴン・ウルフラム×安野貴博「AI、SF、そしてルリアド」)」  

 プラトニズムは、身体的質料様態を「情報information」から捨象した、或いはイデア・形相formaを感覚的世界から抽象した思考モデルを構築すると考えてきたが、象徴的イデアを、実際にはその語の「視覚的」感覚情報に戻して人間的言語は、構成される。しかしそれは、本来の論理ロゴスλόγοςでは捨象されるべきものである。  
 人間的言語は『ヨハネ福音書』冒頭にもあるように、「御言葉ロゴスの受肉」、即ち本来の論理ロゴスの人間的存在様態への変換がなされている(福音書のストラテジー=人間の身になった)。数学的手法でさえ、各変換をグラフ、図式、アトラクターの視覚化で示す。これ等は、本来のロゴスでは捨象されるものである。  
 ウルフラムの思弁の対象になっている論理は、こうしたところにあるのでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?