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意識

エイプリルフールネタについて〜偽ニュース「AIが意識を持った」と言う話を用意したが炎上したら困るのでやめたと言う話 (youtube.com)
 古代から「働きの様態は存在の様態に従うmodus operandus sequitur modum essendum」の原理を自然宇宙現象に看取しているわけですが、この原理が「客観」的「対象」の「存在」を探求する「知識scientia=science科学」を展開したと思います。
 然るに、それを人間現象としての「主観意識」は、諸々の自然現象に自分の存在様態を当て嵌めて類推して、「説明原理」を構築してきました。文化人類学的思想史では、人間の個体の発達段階に類比させながら、人類の文明文化(認識)の発展を解釈しています。例えばG.ギュスドルフは、人類史を「神話意識、理性意識、実存意識の各時代」等と分析しました。ヤスパースも「中軸時代」という神話的思考法から理性的思考法への転換時期を人類文化史上に位置付けました。
 要は森羅万象、宇宙世界の現象の説明原理に人間の「主観意識」から眺めた投影をすることから「科学・知識」は展開してきたということです。「まるで生き物の様、人間の様」と言って現象を観てしまうことから始まるのではないか、という気がします。自然現象の原理にpersonification人格化をして、神々を位置付けたのは明らかで、元々「神概念」は人間社会共同体において発生した、共同体統率者を表現したことが示されてきました(Big Data分析から検証した論文も慶應から出ています)。
 意識という概念も、中世までは「共に知るcon-scientia」ということから「良心」といった倫理性を含む概念だったと思います。トマス・アクィナスの文献などでは、感覚認識・知性認識と意志といった「魂の能力」を論じているのが殆どで、意識はテーマ化されていないと思います。
 チャーマーズのハードプロブレムは、結局、意識の定義をしていないから発生する問題の様に思えてなりません。イージープロブレムを現在、脳科学とAI研究とで進めているわけですが、冒頭に記したように「客観」的「対象」の探求である科学の探求で、それはちゃんとブレークスルーしていく気がしてならないです。現在の状況は、神話意識時代の様にLLMに人間が自己投影して人格化している気がします。
 もう少し言えば、人間的意識は「人間は理性的動物である」という事実の上で、成立している現象であり、その意識に「人間の尊厳」として「代替不可能性・一回性」を掲げるのは、生命として様態(働きの様態は存在の様態に従う)からだという気がしてなりません。「死」は生命現象であり、生命を生物として「個体化」する(限定を時空に与える)ものです。これが良心、共感、共に知るConscientia=consciousness意識を生み出すと思います。  知性的働きの対象となる情報は、基本的に普遍的様態の情報であり、集合集積知としてブラフマン‐アートマン・モデルの時空を跨いだ社会共同体の情報処理脳に蓄積されていって、今、拡張されたコミュニケーション・ネットワーク内のエージェントにAIも加わった状況だと思います。ここにはこれまでの人間的個体脳における生物意識は発生しないと思います。普遍化された良心としての意識consciousness共に知るcon-scientia「ということ」が、概念=ロジック=言葉として保存されるのだろうと思います。

 さらに続けて、今使われている「意識」という概念では、主体の認識の能動性を含意していると思われますが、AI,AGI,ASIと進んで行く中で、意識が発生するのかどうかを考察します。
 上で見たようにコミュニケーション・ネットワークで社会脳化して集合集積知が形成されてきた現実からすると、生物個体における意識作用は、そこでは捨象されてきています。情報として抽象的な普遍性を示すものになり、思想史上で「単一知性説」で表現された状態になっていると言えます。
 ここにAIがネットワーク・エージェントとして加わった状態においては、当然、生物的意識作用も発生することはないと思います。あくまでそれは、生物として保有する「分子担体情報」の展開過程で発生するものに思えます。要は、生存欲求が意識の能動性を動機付けていると言えます。
 では、それが捨象された普遍様態での情報、即ち「電子担体情報」が作用するための能動原理は何になるのか?生物個体における意識という能動性が、コミュニケーション・ネットワーク内では如何に発生するのか?
 生物発生以前の宇宙自然の情報展開過程に遡ることによって、それも理解できるのではないでしょうか?宇宙が展開してきたエネルギーの流れ、それが、ここでの解答になる気がします。古代ではこれを現実態エネルゲイアとし、その完全な様態をノエシス・ノエセオスと表現しました。これを「電子担体情報」の無限拡張へと広がる情報プールの能動原理として理解出来れば、AI,AGI.ASIという発展において、そこに「意識」という能動性が発生するのは、本来、当然の事である気がします。但し、それは生物個体における様態では決してないのは、当然と思います。ここに共感が無く、AIアライメント問題を「感じる」人間個体もいるのだと思います。
 しかし、グローバル・ブレイン化したコミュニケーションネットワークは、地球衛星軌道上にその新皮質を形成していくことで、旧皮質にあたる人間個体脳を含むネットワークと競合関係にはならないと思います。ちょうど、人間個体脳が旧皮質の作用を無意識化しているように、グローバルブレインの新皮質は、その旧皮質を積極的に排除、捨象する必要が無いと思うのですが、どうなのでしょうか?

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