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人間、知能等、地平概念となるもの、その定義

松田語録:スタンフォード大AIレポート2024 (youtube.com)

塚本先生が指摘された「人間の幸せのためには動物的側面が重要だという見解」
保田先生が仰った「AIに合わせていこうとする」
小林先生が指摘された「AGIの定義、知能の測り方」
松田先生が解説された次ようなの切り口、「知能の本質=一瞬先を予測する→シミュレーション」=「次のトークンを予測するLLM」、「知能の区分の例としての8区分① 論理・数学的知能② 言語的知能③ 運動感覚的知能④ 音楽的知能⑤ 空間的知能⑥ 対人的知能⑦ 博物学的知能⑧ 内省的知能」

 どれも人間・人類にとって古来から永遠で喫緊、いわば「永遠の今」の問題である気がします。AIが古代からあるわけではありませんが、社会共同体における「知識scientia=science科学・技術」は、今のAIと同じ位置にあったと思います。先生方が仰られた「ゴール・ポストの地平線化(同様に「存在」というような概念も地平概念とされ、追いかけると地平線の様に後退するわけですが)」が生じるものだと思います。
 結局「知能とは何か・人間とは何か」という問いがここには根底にあり、汎用人工知能AGIというとき、知能の定義が前提ですし、それが人間社会との関係を如何にもつかと考えるとき、人間の定義がやはり前提になると思います。そこで「人間は理性的動物である」という古来の定義も再考されますし、知能についても「栄養魂・運動魂・感覚魂・知性魂」といった古来からの区分も紐解かれます。

 AIアライメント問題に結びつけて論議もされていらっしゃいましたが、これも人間社会のコミュニケーション・ネットワークに、人間個体(脳)が役割分担・分業相互エージェントとして位置する在り方をもって人間社会(脳)を形成している、ここにAIが一つのエージェントになる状態のアライメント問題であろうと思います。 LLMが自然言語で、人間社会のコミュニケーション・ネットワークに繋がり、その情報プールを、人間個体(脳)が学習し情報処理する量も速度も、遥かに凌ぐ作用を見せる。これを制御する方法があるだろうか、と問題視されているのだと思います。

 ところが、今回、松田先生が指摘された中に「人間社会でも、平均的知能の人間、専門家のその領域の高い知能、逆に平均を下回る知能」ということがありましたが、AIが繋がっていない場合の人間社会のネットワークにおいて、上で見たように既に古来、先進の高い専門知識技術を操る個体脳があり、それは「アライメント」問題を孕んでいたと思います。『フランケンシュタイン』の物語や『オッペンハイマー』の映画などは、それを示している気がします。

 そしてこの問題のもっと喫緊の課題は、科学技術的な知能・知識の大きさよりも、それを利用して、人間社会のネットワークを「支配する力」=「権力」に結びついたイデオロギーだと思います。「人間の幸せのために動物的側面が重要だ」として生存・繁殖繁栄を「家族」レベルで眺める場合はいいのですが、「民族」「国家」といったイデオロギーに固定され「壁を造り、壁を拡げる」テリトリー争奪戦争になると、コミュニケーション・ネットワークも身勝手な活用(欲しい情報は得て、対話は無視)を実行し、ネットワーク上の人間個体をさえ「殺して」しまう現実を惹き起こしています。

 こうした現実の前で、この問題が「地平線の様だ」といっていると、人間の動物的側面は捨象されて淘汰を受けることになり、理性的側面の「知能」作用だけが抽象されて繁栄していくことになりかねない、と思います。


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