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「アフター コロナ」「ウィズ コロナ」の世の中を妄想してみた。


皆さんご存知のとおり、COVID-19(新型コロナウイルス)は世界中に蔓延し、既にアメリカの感染者数が中国のそれを上回り、日本でも東京都の新規感染者数が日々増えている状況です。まだまだこれから沈静化に向けて戦っていかねばなりません。

そんな状況ではありますが、今回のCOVID-19への対応の中で見えてきたもの、あるいは感じたこともいくつか出てきているように思います。

本稿では、COVID-19との厳しい戦いを踏まえて、「アフターコロナ」「With コロナ」がどんな世の中になっていくのか、なっているのか、妄想してみます。

目次
■リモートの浸透・進化とリアルの先鋭化
・リモートの浸透・進化
・リアルの先鋭化・価値向上
・zoom飲み会
・企業間デジタルディバイド
・社会における格差拡大と「インフラ化」の必要性
■ウイルス・細菌との戦いへの備え
・戦争している場合じゃない
・ウイルス・細菌に対する備え
・自国のみならず、他国の医療水準・衛生環境向上への取組み
■世界中での公衆衛生意識の浸透
・新型コロナウイルスは毎年やってくる?
・他のウイルス・細菌が出てくる可能性
■田舎・オープンエアの価値、過密都市の行く末


■リモートの浸透・進化とリアルの先鋭化

まず、お馴染みの話題ですが、今回のCOVID-19対応としてリモートワークが盛んに採り入れられています。今まで、リモートワークに対して、「○○のリスクが」「△△の問題が」などと二の足を踏んでいた企業・部門でも、エイヤーッと導入しちゃってますね。

その結果としては、こんな感じでしょうか。
~案外問題なく仕事できる。むしろ捗る。
~本当に手が動いてレベル高い仕事ができる人、自律的に時間管理・業務管理ができる人が明らかになる。(その反対の人もあぶりだされる。)
~リモートの会議はアクション大きめ、全員がオンラインのほうがいい、などのコツがある。
~でも結構さびしくなる。人の気配や音、ちょっとした雑談などが以外に大事なのではないか、とも思う。
~短期間なので何もないが、セキュリティとか本格的に大丈夫か、は気になる。

・リモートの浸透・進化
一度川を渡ってしまい、案外行けるよね、という感覚・認識が醸成されてきているので、これまでとは非連続なペースでリモートワーク・テレワーク、オンライン教育、その他のオンラインでのコミュニケーションは浸透するでしょう。(そんなことは皆さんお判りでしょうが、一応。)

で、浸透して使う人が増えてくると、足りないところ、もっとこうだったら良いのに、というのも、これまでとは非連続なスピード・レベルで洗い出されてきます。
これまでは、ICTリテラシーの高い、比較的進んだ人々、理解力や適応力が高い人々のみ(イノベーターやアーリーアダプター)がリモートツールを使っていたのが、そうでもない人々も使うようになると、インターフェースや機能面など、いろいろな要望・不満が出てくるでしょう。強制的にキャズムを渡ったような感じでしょうか。
全部対応することは不要(むしろ一部は害)でしょうが、それらのうち必要な部分がしっかり実装されてくると、益々浸透して、マジョリティが使う当たり前のツール・環境になってきますね。

また、運営に関する色んなノウハウ(もう既に先進的な人たちの間では結構出てきてますが)が蓄積・共有されてきて、その辺りを知らずに「不便でダメなんだよな~」と言っている人々は駆逐されるでしょう。

会議の記録の残し方も変わるかも、ですね。議事録なくても、録画しておけば残る。もちろん、要約というか、エッセンスを共有するための議事録は必要かも知れませんが。

で、これまで以上に、タイムリー・スピーディに多様なメンバーでのミーティングがセットできるようになってくるでしょう。場所おさえなくてもいいですからね。
ところで、「多様な」については、そうできる、そうなる環境が整ってくる、ということではありますが、みんながそれをうまく活用して、繋がろう、複数コミュニティに顔出してみよう、と動かないと、環境はあっても実現しませんね。
実際、現在のところ、そういう積極的な動きをする人々だけが集っている、という感じもあって、それだと実は「多様」に成りきらない可能性、逆にディバイド・分断の種の一つになる可能性もあるな、とも思います。

ツールに関しては、zoom以外も頑張らないと、一社独占になっちゃうのが少し心配。

あと、いつでもどこでも緊急ミーティングが出来るようになるな~、自分がやりたいときは便利、巻き込まれのときは微妙ですね。

もう一つ、リモートは電力やインターネット回線などが確保されることが前提。キャッシュレス支払いと同じように、こうしたライフラインが駄目になったら、結局はリアルでないと役に立たない、というBCP的な認識と備えは必要です。

・リアルの先鋭化・価値向上
一方で、リモートワークは通勤(痛勤)なしで便利だし仕事も捗るけど、やっぱりさびしい、という声も出てきています。
一緒に働く仲間が同じ空間にいて、彼ら・彼女らがそれぞれの表情と動きを見せながら働いているのを見て感じて、またときおり雑談する、などということが、気分転換・リラックス・仲間意識醸成などの効果がある、ということでしょうか。

古い言い方では、しょせん社会的生物、ということもあります。また、実体性というか身体性というか、皮膚感覚・五感というか、その辺りの心地よさや大事にしたい感覚もあります。
(有名な「ソニックガーデン」のように進んだ会社では、それをカバーするための手法・仕組みが色々考案されているいるようではありますが、それでも残る部分があるのでは、というのが筆者の感覚です。古い人の感覚、かもしれませんが。)

また、付加的な情報量としてはどうしてもリアルが圧倒的に多い、ということも見逃せません。小さい画面ではわかりにくい、人の雰囲気、うなずき、身を乗り出したり逸らしたり、前向きなのか興味なさげなのか、その他もろもろの情報がリアルでは共有されますが、リモートでは難しいですね。

いずれにせよ、商品・サービスの「コア部分」「周辺・フリル部分」的な感じで言うと、コアにあたる仕事はリモートで十分できてしまうとすると、リアルの価値は何か、ということをもっと突き詰めて考えることになりますね。「アフターデジタル」と重なるかもしれませんが、基本的なことは全てオンライン、リモートでできるようになったときのリアルの価値は何か。人に対面で会うことの価値は何か。

筆者は、時間と空間を共有することの重要性を(どこまで理屈で説明できるかは別として)大事にしたいタイプですが、それにしても、「わざわざ集合して、同じ場所に座って会議する、その目的な何か」がこれまでとは比べ物にならないくらい問われるでしょうし、リモートでは得られないその果実を確実に刈り取ることが求められますね。

少なくとも、リアルで集まることが当たり前で、何も考えずにそうする、ということではなくなるのではないでしょうか。
本当に必要なときのリアル、ここぞというときのリアル、という感じかもしれません。

・zoom飲み会
閑話休題、最近、zoomでつながっての飲み会が流行ってますね。筆者も参加したことがあります。

自分のペースで飲めて、帰宅を心配する必要がない、なんなら風呂入ってから皆と飲める、流されずに案外深い話ができる、などの良い面を感じます。一方で、やはりリアルの飲み会の代替にはできないな、とも思っています。(zoomスキルが低いだけかもしれませんが)

一番は、「皆に対して発話する、皆の話を聞く」という状態であること、についての違和感とでもいうのでしょうか。例えばリアルでは、10人くらいでテーブルを囲んでいるのだけれども、隣の人と話し込んでいて他の話には入っていない時間帯、ってよくあるし、そこで深い話が個人的にできたりする、そしてそういう感じで、どの人と何の話をするのか、が一回の飲み会の中でもダイナミックに変わっていく、と思いますが、リモートではそれは再現しにくいですね。

合コンで、隣の子と話し込んで「ちょっと二人で抜け出そうか」みたいなことができない(ような気がする。Zoom合コン、経験ありませんが。)
ブレイクアウトルームもありますが、参加者がそれぞれ勝手には作れないでしょうし(筆者の知る範囲。間違ってるかも??)、仮に作れても、二人でしっぽり話していたら主催者(ホスト)が乱入してきたりすると困りますね。
これを機会に「zoom版ねるとん」、や「zoom版フィーリングカップル5対5」みたいな、専用アプリを作ってみてもいいかも知れませんね。

やはり、存在感とか香りとか、五感・六感で感じるようなところ、目線や会話の間、身をグッと乗り出すとか、そっぽを向くとか、息遣いとか、そういう非言語かつ2次元では伝わりにくい部分もある。やはり、リアルの情報量の多さは圧倒的。
一方で、だからこその不要な情報、余計な情報もあり、リモートではそれらが削ぎ落されることの良さもあり、発言内容そのものやテキスト(チャットなど)の明快さでの勝負になるメリットもある。年長者が迫力出したり、怒鳴ってもダメ、とかね。

・企業間デジタルディバイド
企業間のリモート活用度合いの差が大きく出てくることが予想されます。組織としてのICTリテラシーの高さ低さによって、ちゃんとできるところとできないところが出てくる。

事業・ビジネスの内容によって、リモートしやすいもの、難しいものもあるでしょう。企業規模や業種によっても差が出てくる可能性大ですね。

そして、前述したように、それはリアルでのミーティングの価値にも影響してくるため、リモートできないことによるビハインドだけでなく、リアルでの業務品質も落ちてくる、ということになりかねないので、結構恐ろしいですね。デジタルのみでなく、ビジネス全体のディバイドにも繋がりかねない、ということになります。

・社会における格差拡大と「インフラ化」の必要性
企業のみならず、個人の生活における色んな場面での格差も拡大しそうです。

教育面では、私立などICTリソースがハード面・ソフト面とも充実している学校、且つ、生徒も比較的裕福でリテラシーの高い家庭、という場合と、公立などICTリソースが足りていない(PCやタブレットなどの機器、WIFIその他ネットワーク環境、オンライン授業をする先生のリテラシーなどなど)学校、また家にPCやタブレットがない、WIFIが飛んでいない、ブロードバンド回線がない、親のリテラシーが低く導入が難しいといった家庭、では、大きくオンライン教育への対応が異なりますね。アフターコロナなど、今後もオンライン教育が進展していくことを考えると、由々しき問題です。

また、前述のとおりの、zoomでの各種イベントへの参加(のみならず主催・事務局)を通じた知識・スキルの習得、人的ネットワークの拡大などにおいて、家庭におけるICT環境の状況やリテラシーの高低による格差が出てきてしまいます。今後、オンライン診療などが普及してくると、医療・介護の面でも影響ありますね。

このようなことを考えると、リモートで仕事・教育・医療などにアクセスできるネットワーク・PCなどのハード面、またそれを使いこなすソフト面について、「インフラ化」が必要と思われます。すなわち、電気・ガス・水道などと同じように、ほぼ万人が入手できる使える、かつリーズナブルな価格で使えるようにすべき、ということです。

最も急ぐべきは教育の観点かと思いますが、その他の用途も含めて、格差拡大(および世代を超えた格差固定化)を防ぎ、それを通じて社会の分断や不安定化を防ぐためには、一定のコストをかけてでも「インフラ化」を進めるべきと考えます。

■ウイルス・細菌との戦いへの備え

次に、今後も第二・第三のCOVID-19が出てくる可能性を踏まえると、それらへの備えが重要になってくることは論を待たないでしょう。

・戦争している場合じゃない
眼で見えないウイルス・細菌と戦っているときに、人と人とで戦争している場合じゃないですね。そもそも軍隊が「三密」の環境になるとすると、軍隊の運営も全く変わってくる可能性も出てくるかもしれません。

・ウイルス・細菌に対する備え
人と人との戦争に対しては、各国とも大きなリソースを割いて、兵器を開発し、訓練・演習を行い、予備役も確保したりして、中長期的に取り組んでいますね。

同じことが、対ウイルス・細菌戦でも求められますね。そんなに簡単には行かない、ということではあると思いつつ、ワクチンや薬の開発体制・能力、未知のウイルスが蔓延してきた場合を模した訓練・演習、医療機器や設備のキャパシティ、医師・看護師などのリソースを確保する方策(予備役?)などを進めるべき、ということになるのではないでしょうか。

高齢化が進み、社会保障費が巨額になり、一方で新興国からの軍事・経済でのプレッシャーがきつくなるなかで、財源どうするのか、ということはもちろんあります。これを機会に、各国が協調して、軍事費用を少し減らして、ウイルス・細菌対策費用に振り替えていくようにならないかなあ、と妄想。

・自国のみならず、他国の医療水準・衛生環境向上への取組み
今回のCOVID-19は中国の武漢から感染が広がった、と(一般的には、今のところ)認識されています。

このように、今後、未知のウイルス・細菌が、世界の何処かから発生してくるかもしれないことを想定すると、自国の医療水準や衛生環境を高めていくことは勿論、他国も含めて世界中の医療水準・衛生環境を整えていくことにも視野を広げていく必要がでてくるかもしれません。第二の武漢を出さないために。
これもコストの問題はあるにしても、モノと人が世界中をネットワークとして動き回ることを想定すると、自分の庭がきれいにするだけでは、防止できない面も出てくるでしょう。

こうして考えると、極めて希望的な楽観的な見方かもしれませんが、人類共通の敵を意識することで、もっと協力的な国際社会になるかもしれません。

そうならないと、高い国境、ブロック化などが進展し、非効率で成長性の乏しい経済社会になってしまいます。

もちろん、今回のCOVID-19流行に伴って、欧米でアジア人が差別されたり酷い目にあったりしていることも事実であって、そういう人も多くいることは認識していく必要がありますが、そういう人たちばかりでもないですよね。また、実際的・実務的に考えても、協調・協力することが経済的・社会的な利益・効能につながるとすれば、その可能性は高まるのではないでしょうか。

■世界中での公衆衛生意識の浸透

今回COVID-19対応で、何よりも推奨されているのが手洗いです。日本で蔓延のペースが抑えられているのも、手洗いを含む公衆衛生のレベルの高さが大きな理由の一つではないか、とも言われています。

感染者数が少ない日本は検査が足りないのではないか、という意見もあります。しかし、筆者は医療の専門家ではないので確たることは言えませんが、日本におけるCOVID-19による死亡者数からすると、医療対応の観点からは、少なくとも圧倒的に足りない、必要な検査が全くできていない、という状況ではないように思います。死亡者数は本当か、というところまで疑うとすると絵柄は変わってきますが、それはどちらかというと政治的な色合いの議論になってくることもあり、発表されている死亡者数をベースに考えています。また、死亡者数が少ないのは、ここまで、の話であって、今後は様相が変わってくる可能性も十分あります。
どちらかというと、医療というよりは、経済の再稼働、また他国との人の行き来を元に戻す、といった観点から、ウイルスの蔓延度合いの把握、感染者の隔離対応を十分に行うために、これからのフェーズでPCR検査、抗原検査、抗体検査など、十分に行われる体制が必要となってくるでしょう。

こうした公衆衛生意識の重要性が、今回のCOVID-19の流行を踏まえて、これまで以上に世界中で認識されるようになるのではないでしょうか。

・新型コロナウイルスは毎年やってくる?
インフルエンザは、ワクチンもある既知のウイルスですが、冬になると毎年流行しますね。コロナウイルスも、命にかかわることは少ない風邪の原因としてはこれまでも感染者を出してきました。

で、新型コロナウイルスですが、これも、少しずつ変化しながら毎年流行する可能性があります。もちろん、ワクチンができたり、特効薬ができたり、集団免疫がある程度確立されたりして、今回のような大騒ぎにはならないのではないか、と思いますが(というか、そう信じたい)、それでもある程度毎年出てくる可能性があります。感染しても症状が出ない人、また潜伏期間の人が多くいて、その人からも感染していく、という性質からすると、なかなか油断はできませんね。

・他のウイルス・細菌が出てくる可能性
コロナウイルスに再び大きな変異が起きて、また今回のような大騒ぎになる可能性もありますが、それ以外にも、例えば地球温暖化で太古の氷がとけて、あるいは地域の気候や植生、動物や昆虫やもっと小さな生き物の生存範囲が変わってきたりして、思いもよらないウイルスや細菌が出てくる可能性も(あくまで可能性、ブラックスワンではありますが、でも今回もそれが起きて大騒ぎになっているわけで)あります。

「喉元過ぎれば」という面もありますが、今回の大騒ぎを契機として、清潔であることの価値、がこれまで以上に認識されるのではないでしょうか。風呂・シャワーとか、洗濯とか、もちろん手洗いとか。そして、そういうことがちゃんとできる社会・文化、国・都市が評価されるようになる、と妄想が広がりますね。

■田舎・オープンエアの価値、過密都市の行く末

やや言い古されている感はありますが、リモートが当たり前になってくると、何処に居ても何処からでも仕事はできる、ということになってきます。これまでも地方創生などの文脈の中で、リモートワーク、ワーケーション、デュアルライフなどのキーワードで、東京・大阪など都心を離れ、地方で暮らし働く生活スタイルが提案されてきています。

また今回、密室空間での感染が問題となるなかで、風通しのよさ、空気循環の重要性、オープンエアの価値に、俄かにフォーカスが当たっていますね。

リモートで大半が成り立つ仕事、ICTリテラシーの高い人が多くいるような仕事、勝ち組、社会的強者みたいな人に限られるかもしれませんが、キャンプしながらミーティングにも参加する、旅行しながら仕事もこなす、都会と田舎のデュアルでの暮らしを軽やかに成立させる、ようなことがもっと当たり前になってくるかもしれませんね。
(ただし、そういう働き方ができにくい、ある意味での社会的弱者を切り捨てたり、バカにするような風潮は避けたい。「未だに満員電車で通勤しているなんてアホだ」みたいな発言は嫌ですね。)

いずれにせよ、前述のリモートの浸透・進化、およびリアルの先鋭化が常態となってくると、会社のオフィスをどうするのか、ということにもつながってきます。(「ソニックガーデン」なんかはオフィスがないですね)

ビジネス・仕事の観点からは、過密な大都市にみんなが住んでいる理由が減ってくるかもしれません。これまでは、程度の差こそあれ、ある意味で職住近接であったわけですが、職はリモートで大半OKなら、住はどこでも良いよね、ということになります。
ビジネス・仕事の面に加えて、もう一つの大きな要因である教育もオンラインでカバーされる範囲が増えてくるでしょう。過密になった大都市のピークアウトは、官庁の地方移転よりも、こうした動きのなかから芽生えてくるのかもしれません。

一方で、前述のとおり、リアルで会うことの価値、大都市ならではの機能・娯楽その他(生で聴けるコンサート、演劇、映画、美術館・アート系イベントなどなど)は無視できません。人間の身体性、五感、社会的動物であることなどを考えると、一気に大勢が地方に移住、ということではなく、これまでの偏り、過度な集中への是正というか、多様な見方ができるようになる、ということかもしれません。


やや(というか、全般的に)、いつもにも増して思いつきベース、妄想ベースになってしまいましたが、今回のCOVID-19蔓延は、世の中が大きく変わる一つの契機になると思います。ここに書いたこと以外にも、色々と出てくるでしょう。
ビジネス的にはそれを先取りして、むしろ主導して未来をつくっていく、生活者としてはそれらを乗りこなしながら、楽しく安全に暮らしていく、ようにしたいものですね。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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<ご参考関連note>
新型コロナで変化した、時間と空間の使い方について考えてみる。

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