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どん底にいることで味う、かつてない安定感。

2020年4月。
初めての「緊急事態宣言」が出て、日本中はひっそりと息を潜めていた。まるで、どん底にいる私に合わせてくれているみたいに。

次女が亡くなってからの初めての春。
例年ならば、大はしゃぎする世の中とのギャップで打ちのめされていたことだろう。
だがその年の春は、stay homeが推奨され、憚ることなく家にこもれた。
Amazon primeを見たり、誰もいない地元の神社巡りなどをして過ごすことができた。

私は特別、落ち込むこともなかったが、自分のことを「この世で一番不幸な母親」だと思う気持ちは変わらなかった。

娘に先立たれ、
孫はムコ側に取られ、
しかも(ホンモノの)遺骨と位牌は婚家にある。

私は何もかも失くしてしまった「一番不幸な母親」…

と言えば反論されるかもしれない。
世の中にはもっと不幸な人がいる。あんたなんてマシな方だって。
でも私はそう思いたい自分を許してあげることにした。


すべてがそこへと帰着する悲しみのプラットフォームが心の中にあり、何をしていても思いがそこに戻る。
朝起きると怒りに近い悲しみがこみあげてくる。
身体から力が抜ける。すべてが指の間から漏れる感覚。

この世に勝ち組と負け組があるなら、私は負け組だ。
成功のレールというものが敷かれているなら、私は脱線組だ。

子供に先立たれるなんて、こんな最低な人生はない。
もう失うものはない。

その時、気付いた。
どん底から見える景色に。

底辺にいることの不思議な安定感。
つまり、これ以下はないという安心感。

もはや夢とか目標とか持たない決意もしたし、何かに対して期待や信頼などを抱くこともなかった。
ということは、うまく行くだろうかと心配することもないし、今あるものを奪われる恐怖もなかった。

よく考えてみると、今まで味わったことのない安定感である。
唇の端にはうっすらと笑みさえ浮かんでくる。

幸せの絶頂にいる人には分からない安定感だと思う。
ちょうど宝くじが当たった人が常に怯え、不信感で一杯になり、人生を狂わせていくのと反対だ。

長い間、ストレスで首の後ろがジンジンとしていたが、気が付くとそれも治っていた。



その頃、私は一つの技術を習得した。

「悲しみ」をやり過ごすということ。
目は背けない。でも視点をぼかしていくというやり方。

それは孫のKANAから学んだものだった。
KANAは、母親の死後、遊んでいても、突然フリーズして止まることがあった。心配して覗き込むと大きな目いっぱいに涙を溜めて、一点を見つめている。だが、泣き声を上げる訳でもなく、しばらく何か宙を見据えている。
それから涙を拭って何もなかったように、遊び出す。

ある日、それを真似をしてみようと思った。
5歳の子にできるなら、私にもできるだろう。

何かの拍子に、「娘は死んだのだ。もう会うことはできないのだ。」という思いがやってくるとする。
そうしたら、そこから目を背けずに、
「あの子は死んだんだよね。なんてことが起こったんだろう。」
「あり得ないよな。こんな悲しみないよね。」
と浮かんできた気持ちをなぞってみる。
決して、悲しんではいけないとか頑張ろうとか思わないようにする。

他の人が見れば、宙を見つめてボーっとしているように見えるだろう。

それを気が済むまでやる。
気が済むまでやっていると、現実の生活のことがふと気になってくる。
例えば、「洗濯物を取り入れなければ」とか「あのメールに返事をしなければとか」…
そうして、現実にスルっと戻っていく。

先日、『執着しないこと』を読んだ時、こんなことが書かれていた。

「親しい人の死をどう乗り越えるか?」
まず自分の中にわいてきた悲しみのショックをジーッと味わう。
心に悲しむための時間をあげる。
悲しまないように、泣かないようにと無理をする必要はない。
その状態で2,3時間経ったら、「この現実は誰にも避けられないことだ。人は誰でも亡くなる。それは当然なこと。世に起こる普通の現象だ。自然法則だ」と自分にいいきかせる。
そして,いま自分は何をなすべきか、自分の義務は何なのかを考え、行動に移す。そして、一連の「自分がすべきこと」をきちんと努めたら、亡くなった相手への感謝の気持ちを持ち続けること。

私が編み出した方法と似ている。

娘は命と引き換えに、私にこの安定感をプレゼントしてくれたのだろうか。
と思うと感謝の念でいっぱいになる。

#嫁いだ娘を亡くすということ
#愛別離苦
#どん底
#逆縁


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