「人生は死ぬまでの暇つぶし」という件について。
何かを成そうとする時、時間はあまりに短い。
が、何かを待つための暇つぶしをしようとすると意外に長いと感じることはないだろうか。
最近、人生もそんなものだと気づいた。
「人生って死ぬまでの暇つぶし」なんだと。
人生が暇つぶしだなんて…
以前の私なら、そんな言葉を聞いたら憤りを覚えただろう。
人生というのは、崇高な目標を掲げて、それに向かって全力で突き進んでいくことと信じていたのだから。
だが、この「暇つぶし」という時、
絶望のどん底で、そう思うのではない。
何をしても無だと言う意味でもない。
今日は次女の37回目の誕生日だ。
彼女がいなくなってからもう4回を数える。
恐ろしく早いと思うと同時に、
これから先、まだ何回これを繰り返すのかと考えると、長いなぁと思う。
この三年半で色んなことを考え、行き着いたところがある。
それは、魂は存在し、人は生まれ変わるということを受け入れることだった。
この人生の行き先は魂の世界であり、
私の魂はまた長い年月の後に生まれ変わることになる。
とすれば、何かをなさねばと悶々とすることはない。
出来なかったことを数えて落ち込むことはない。
と思うようになった。
暇つぶしなんだから、できる範囲で何をしてもいい。
でもせっかくなら楽しく過ごしたい。
駅前のカフェでお茶を飲んでもいいし、
持ってきた本を読み切ってもいい、
ベンチで昼寝をしてもいいし、
パチンコ屋へ入ってもいいじゃないか。
電車は必ず来る。
私を乗せて魂の世界へ還る電車は必ず来るのだから。
そう思うと、心がゆったりとする。
どん底ではあるが、絶望感ではない。
悲しみの上に立脚する安定感かな。
今年は偶然にも日曜日なので、家族で墓参りをして、自宅で誕生日を祝うことにした。
何故そんなに早く逝ってしまったのかと問わない日はないが、
次女とこの世で出会えたこと、死と引き換えに私に人生の意義を教えてくれたことに感謝しかないなと思う。
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