映画『ミナリ』を観て

 80年代のアメリカ・アーカンソー州にやってきたある韓国人一家の物語です。アメリカでビッグドリームを叶えようと父が連れてきたのは、荒地にポツンと佇むトレーラーハウスの前。年の割には落ち着いた姉と、まだ子どもらしさが十分に残る7歳の男の子は「家に車がついている」と面白がりますが、妻はそういうわけにはいきません。まだ慣れないけれどこの地で、孵卵工場での仕事で安定した生活を送りたい妻と、広大な農場で韓国野菜を育てて一発逆転を狙う夫との、すれ違い生活が始まります。

 ベビーシッター代わりにやってきた妻の母であるおばあちゃんが一緒に暮らし始めることで、歯車がまわり始めたかのように見えますが実際は…というところがこの映画の見どころだと思いました。派手な展開はあまりなく、毎日は淡々と過ぎていく。子どもたちは母のすすめで教会に足を運び、友達もできる。もちろんそれぞれに悩みはあるけれどそれらを抱え込んだまま暮らしは続くわけです。この映画で描かれているものは、私たちの毎日によく似ています。寂しい言葉だけれど日常への諦観といってもよいかも。

 表題になっているミナリは、日本でいうところのセリです。おばあちゃんが家から離れた森の沢でよい場所を見つけ、そこに植え付けしたものでした。
 岩や石をつたって流れる川のように、日常は静かに流れている。毎日が積み重なった結果、気づけばこのミナリのようにいつの間にか人生も実を結んでいる。父親が懸命に育てた野菜はミナリとの対比のようにも見えたのでした。

 映画では宗教や家族観がキーのようですが、このあたりの感度を私が持ち合わせてなかったのが残念。また年数が経ってから見返したいと思います。


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