新今宮ナンチャラとわたしの西成と寿町の話

新今宮に何か素敵風なことになっているらしい。

西成出身の友達は小学校の通学のとき、歩いていい場所と全速力で走って通り抜けないといけない場所があると言っていたのは遠い昔。今ではそうでもないのか・・・

映画ファーゴだって冒頭に『実話を基にしている』というテロップがある。それは演出の一つであって、実際には完全なフィクションで今まで誰かコーエンブラザーズにクレームを言った人はいるのだろうか?ちなみにネットフィリックスのファーゴにも同じ演出がある。
それでも上の記事がこの話はうそだ!と騒がれたりするのはTV CMなら問題なかったかもしれない演出、しまださんの実に真実っぽ文章を実話だと思い込み、演出に真実を求めてしまっている人がいるせいだろう。わたしたちは虚構と事実の間を生きている。

ここから書く内容はわたしの超個人的事実である。

寿町をご存知だろうか?横浜のドヤ街だ。
2015年、出張で横浜にいた。わたしは会社のお金でホテルに泊まっていた。1週間という長めの滞在だったので夜は色んなところを歩いた。寿町は歩いていない。出入りしている人と出会っただけだ。
中華街で美味しい中華を食べたいと思ったが、お店が多すぎて選べずにほっつき歩いていた。そしてわたしは出張だからいいホテルに泊まっていたがわたし自身がお金をさほど持っていなかった。
できれば安くて美味しいお店を求めて中華街のお店の前でショーケースとにらめっこをしていた。
変なところで気遣いのあるわたしは夜ご飯を食べに行ってお酒を飲まないのは失礼ではないか?と思ってしまう。レストランはお酒の利益が大きいからだ。定食屋さんならお茶で済ましてしまうことも多いがレストランに入ると飲みたくなくても1杯は必ずアルコールを頼むことにしている。

2015年3月12日の日記を転記する。

3月12日
20時すぎ 夕食を取ろうと中華街に出かける。
どの店も似たり寄ったりで食べ放題1980円だの、肉まん200円だの安さを売りにして味のいい悪いは基準にしていない。
大通りを歩き裏通りを歩き、お気に入りの萬和楼はお休みで、歩いていると広東風のこじんまりしたレストランがあり入り口でメニュを物色する。

いろいろ見らんで、何が一番美味しいかってそりゃ今一番食べたいもんやろ。

おっちゃん。牛乳パックのように真四角の紙パックそしてストローをさして鬼ごろしを飲んでいる。
なんとなく全身グレーで包まれている。
1mm程度ヒゲがあり、言い方を変えれば無精髭なのであろうが白とグレーが混じる。頭にはキャップをかぶり、薄手のジャンパーを着ている。
今一番食べたいのが美味しいやろう。
関西弁のおっちゃんはわたしの横で持論を述べている。

おっちゃんな、こじきのちょっと上やねん。こじきしとんねん。
でもな、悪いことは1つもしてない、いいこともしてないけど。

おっちゃんの笑顔は人の良さそうで目の奥に暖かさを感じたのでおっちゃんのお気に入りの美味しいお店を紹介してもらうことにした。

あのちょっと先にな、おもろい店あんねん。美味しいかわからんけどな。
ビールしか飲まんから。夏は冷麺毎日食べよったけど。
中国人がおもろいねん。

そう言って連れて行ってくれた。

おっちゃんは元々は大阪で不動産とかもやっていい感じで、バブルでダメになって闇金に手を出して、1万円の借金が利子3万返さないといけないような感じの借金がたくさんあって二進も三進もいかなくなって逃げている最中だという。一昨日までは新宿にいて借金取りの気配がしたから横浜にきて、ここにいられるのもあと数日かもしれないと言っていた。各地のドヤを転々と行ったり来たり逃げて巻いてしているらしい。
名前も知らないこのおっちゃんが娘のことを話し出した。

おっちゃんな、娘がおってん。今どうしてるんかな?バブル崩壊してどうしようもなくなって、お金あるときは遊んどったからな。お金なくなって借金取りに追われて離婚してそれっきりや。
ねーちゃんくらいの歳やで。会いたいなー。娘は会いたないかもしれんけどな。

おっちゃんと瓶ビールと餃子で私たちのこれからに乾杯した。おっちゃんは長く会っていない娘のことを思い出し、わたしは長く会っていない父のことを思い出した。

**

おっちゃんと出会った2日後の夜、仕事の手が空いたので同じ中華街の小さなお店におっちゃんを探しに行った。
出張最終日の夜もおっちゃんがいないか、同じお店で食事をした。

あの、覚えてます?先週、おじさんと一緒に来たんですけど。
あー、あのおじさん、多分もう来ないと思うよ。あの翌日は来たけどそれきり。あなたと一緒に飲んで嬉しかったって言ってたよ。

おっちゃんには二度と会えないみたいだ。

***

あのとき、父を思ったのにわたしは連絡をしなかった。

おっちゃんは探しに、会いに行ったのにどうして父にはそれができなかったんだろう。

父は西成で精一杯生きていた。生き切って死んだ。35年も会わずにわたしは何をしていたんだろう。
わたしはタクシーに乗った。西成から梅田まで行く。その間に運転手さんにここはどんなところですか?と尋ねた。

西成はね、助け合いですねん。あったかいところですよ。色んな事情の人もおるけど、みんな助け合って生きてます。悪い噂をする人もおるかもしれませんけどね、悪い場所ちゃいますよ。

わたしは父のことを思い出している。もう遅いけど。遅すぎるけど、後悔と悲しみが溢れる。どう整理していこう。

遺品を見るたびに父の楽ではない暮らしがうかがえる。それでも死ぬ前日まで働き、酒を飲み、週末は競馬に興じ前を向いて生きていた。死ぬ前の年に国家試験を受け合格するくらいだから決して後ろ向きではなかったはずだ。
西成に流れ着いたのには色んな事情があるのだろう。その事情って何だろう。何を思って何をしてどう生きてきたんだろう。
父の遺骨は新今宮駅近くの地元ではえべっさんと呼ばれ親しまれている戎神社の隣にある。

お嬢さん、ここはちょっと騒がしいかもしれへんけど、友達みんなが来やすいし、仕事前によお!ってお父さんに言える場所ですねん。ここに納骨できませんやろか?みんな好きやったんです、お父さんのこと。

JRAウィンズ難波から徒歩15分のお寺に納骨を希望したのは父が最後にお世話になった社長さんだ。
死んだ他人のことを想い、時間とお金を費やし、ここまで気を使ってくれる人がいる、この街はやはりワンダーランドなのかもしれない。


お父さん、わたしのこと覚えていますか?
わたしはあなたのことが知りたくなりました。


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