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お笑い界の革命児の話

今年もお笑い界にとって1番大きいと言っても過言ではないイベントM-1グランプリが開かれた。

2001年から2010年、5年の休止期間を経て2015年から開催されており、今年で14代目のチャンピオンが生まれた。
だがここではチャンピオンについては敢えて触れるつもりはない。
M-1グランプリで過去4度の決勝進出、最終決戦にも2度進出したものの優勝までは手にする事が出来なかったジャルジャルについて語っていく。

理由は私がジャルジャルが好きだからだ。
それ以上でもそれ以下でもない。

ジャルジャルが初めてM-1の決勝の舞台に駒を進めたのが2010年。
この時私は大変驚いた。
なぜならジャルジャルはコントしかやらないと思っていたからだ。この頃ジャルジャルはネタ番組でよくコントを披露していたので世間もコント師というイメージが強かったように思う。

漫才師として臨んだ大舞台だったが結果は振るわず8位。
しかもこのネタは物議を醸した。

漫才というのは元々、出てきた2人が自然に掛け合いをしてそれが滑稽なものになったという演芸だ。出てきた2人は練習などしていない、という体だ。よく「漫才は努力や練習を想像させてはいけない」というのはそういう事だ。
2010年に披露したジャルジャルの漫才の中に「練習したから」といったセリフがあり、漫才の裏側を完全にオープンにしたまるでコントのようなネタだったのだ。良くも悪くも漫才の概念をぶち壊したネタだと言えよう。

それでも私は腹を抱えて笑っていたのを今でも鮮明に覚えているが。

そして次にM-1の決勝に進出したのが2015年。
2010年の事があったのでファンとして少し不安な気持ちがあったが、披露した漫才はとんでもなく秀逸なものだった。2人が見事に掛け合い、交互にボケて交互にツッコみ、前半の伏線を後半にまとめて回収するという本当に圧巻の漫才だった。そしてファーストラウンドを1位で通過した。
しかし最終決戦では1本目のネタを超えられず最終結果は3位だった。

この年の1本目のネタを見た事がない方は是非とも見てみてほしい。

ジャルジャルは2017年にも決勝進出。
今年はどんな衝撃を与えてくれるのだろうとそんな期待をしていた。
彼らのすごい所はそんなハードルを悠々と超えてくる。
通称「ピンポンパンゲーム」
ルールはシンプルだ。
攻める側が言った言葉に対し守り側は決まったワードで返していく。
「ピンポンパンポンピーン」→「一個多いな」
「ピンポンパン」→「一個少ないな」
「ピンポン」→「誰か来ましたよ」
「ポンピン」→「来ましたよ誰か」
「ピーン」→「背筋伸びてるやん」
「ピンポンパンライス」→「ファミレス行って店員さん呼んでハンバーグ定食頼んでパンorライスって聞かれてるやん」

また、「ピーン」が5回連続で来たら5回目で「背筋伸び切ってるやん」と返さなければならず、「一個多いな」と言われたら「ピンポンパンポンピーン」と返すように逆パターンもある。

最初から全てルールを説明するのではなく、ゲームをやりながらルールを明かしていくので漫才らしくなっている。ゲームをただするのではなく途中で2人のしゃべりや後藤のツッコミが入っているため漫才として成立していると言えるだろう。

早いテンポで1度もミスすることなくネタをやり切ったジャルジャルだったが結果は6位。
確かに好みが分かれやすいというのは理解できる。それは今まで誰もが見たことなかった漫才の形だったからだろう。しかしM-1グランプリは若手漫才師を発掘する公開オーディション番組だ。そういった意味では新しい事に挑戦してあの舞台で完璧にやり切ったという点でももう少し評価されてもいいのではないかとは思った。

点数発表の際にまた衝撃を受けた。
最終決戦に進めないことが分かった途端福徳はうなだれて目には涙が浮かんでいた。
そんな福徳をかばうようにボケる後藤。またそれを見て頭を抱えながら「お前ようボケれんな」とつぶやく福徳。

エモい。エモすぎる。

後日、本人達のM-1についての発言によると福徳は悔しいよりも悲しいという感情が大きかったという。このネタには相当な自信があったらしく、その自信のあるネタが評価されなかった事が悲しかったようだ。
福徳の涙を見た時は私も悔しい気持ちになった。本人達の努力や苦悩なんて他人に理解できるはずがないので笑える話だが。
私はM-1グランプリでここまで心に染みる一幕に出会えるとは思わなかった。


そして迎えたM-1グランプリ2018。
結成15年目を迎えたジャルジャルは今年がM-1最後のチャレンジ。
私は正直去年あれだけ自信あったネタを打ち砕かれて今年も決勝まで進むのは難しいのではないかと思ったが、彼らのネタを生み出す力は尋常じゃない。

今年も彼らは大型兵器を携えて決勝へ戻ってきた。

今年の勝負ネタは「国名分けっこ」
ルールはピンポンパンゲームよりシンプル。
攻める側が「アメ」といったら守り側は「リカ」と残りの言葉を言うだけだ。
福徳「ブラ」
後藤「ジル」
福徳「にっ」
後藤「ぽん」
福徳「カナ」
後藤「ダ」
といったようにピンポンパンゲーム同様テンポよく進んでいく。
このネタもゲームをするだけではなく後藤のツッコミや2人の言葉のラリーを交え、導入部分に「小学校の時にやってた遊びを久しぶりにやると楽しいんですよ」というセリフを入れ漫才に仕上げている。
最終的な得点は648点。

立川志らくにはなんと99点を付けさせた。
オール巨人から「何が面白いか分からないけど面白い」という言葉があったが、これは最高の褒め言葉ではないだろうか。
何が面白いか言葉では説明できないけれど面白い。つまり脳というより人間の感覚的にな部分に響いていると考えられる。

後藤が感情を失ったように「ゼンチン」「チン」「ドネシア」と連呼している様は本当に面白い。
また、個人的に後藤の「ゼンチン」「ドネシア」と言う時の眉毛の角度、表情、声のトーン、姿勢全て完璧だと思う。しかしそれが面白いのは確かだがその理屈を言葉では説明できない。

ジャルジャルは去年惜敗してからスタイルを変えるしかないのかと思ったが、彼らは自分らのスタイルを貫き、今まで漫才の形を指摘し高得点を付けなかった中川家礼二に「ずっと形を変えなかった頑固さがすごい」と93点を付けさせた。

ジャルジャルはゲーム漫才という1つの独自の形を確立させたと言っても過言ではない。
最終決戦では和牛、霜降り明星が上回ったが、漫才師ジャルジャルの今までの集大成を見せられたと思う。

本番直後に打ち上げの様子がネット配信されていたのだが、そこで衝撃的な事実を知らされた。

ジャルジャルは9月までキングオブコントのためにコントを作っていて、キングオブコントが終わってから漫才を作り始めたため、あのネタができたのは今年の10月だったそうだ。
11月5日の準々決勝では既にあのネタをやっていたので1ヶ月少しであのネタを完成させたという事だ。M-1の決勝に進むコンビがどのくらいの時間で完成させるものなのかははっきりと分からないが、1ヶ月は間違いなく早いといえるだろう。1、2ヶ月であれほどのレベルのネタが仕上がるとはプロだとしても超人的だ。

更に驚くべきは、福徳が出す国名の細かい順番は特に決めておらずその場で決めて出していて、後藤が国名答えている時のツッコむタイミングはお客さんの反応を見てベストなタイミングでツッコんでいるそうだ。言わば実際に「国名分けっこ」というゲームで2人で遊んでいるのだ。

これは尋常な事ではない。国名を答えるタイミングがズレたり、間違えたりしたらもう終わりだ。ましてやあの大舞台だ。ものすごい数の国民が注目し、お笑い界の重鎮が真剣にネタを審査する。そのプレッシャーは言葉で言い表せるものではないだろう。

普通だったらセリフをきっちり決め、稽古を積み、本番でもその稽古通りにネタをしたくなるものだ。
あのM-1の決勝の舞台であれほど柔軟にネタをできる彼らは紛れもなく天才だ。

この記事の冒頭部分を思い出してほしい。漫才とは「出てきた2人が自然に掛け合いをするもの」と述べた。ジャルジャルのネタは漫才じゃないという頭の固い連中がいるが、そういった意味ではジャルジャルはあの舞台で1番「漫才」をしていたと言えるのではないだろうか。

ジャルジャルはチャンピオンにはなれずM-1を卒業するわけだが、時代の先を行く独創的な発想とスタイルで間違いなく漫才の歴史に深く名を刻んだ。

M-1グランプリにはもう出られないが、キングオブコントには出場制限がないので笑いに貪欲な彼らは出続ける事だろう。
キングオブコントの決勝の舞台で再びお笑い界の歴史を創るジャルジャルが観られる日は近い。


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