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文章の海のシュノーケル

人間、なんでも見たり聴いたり読んだりできるわけじゃねえんだから、卑屈になる必要なんかないよ。

(『a day in the life of mercy snow』memoより)


 殊能将之センセーは、1999年にデビューした覆面推理作家で、僕の師匠である。

 学生の頃、踊る人形の暗号を使って年賀状を書いて送ったところ、御返事にでっかい牛のハンコを押した年賀状を頂いたことがある。
 きっかけは、中学生だった時。僕はうっかり書店で『ハサミ男』を手に取ってしまい、そこからどっぷりと推理小説の世界に取り込まれてしまった。その後、推理小説家を目指して大学に進学を決めるくらいに、僕の人生に影響を与えた人だから、個人的に“師匠”と呼んだとて、まあ差し支えはあるまいだろうことよ。

 しかし、今から7年前の2013年、殊能センセーは亡くなった。
 当時、僕は小説を離れて映画の勉強に没頭しており、小説を読んだり書いたりすることはほとんどない日々を送っていた。さらに数年もすると仕事仕事でいっぱいになってしまい、腰を据えて何か文章を書くという習慣すらも無くなってしまった。

 また少しずつ文章を書いてみようと試みたのは、今年に入ってからのことである。座してパソコンに向かい、ワードに書いたり、ノートに書いたり、メモに書きつけてみたりする。
 ところが、これがなかなか先に進まないということに気がついた。

 文章とはどうやって書くのだったか?
 楽しんで文章を書く、とはどういう状態だった?
 書いているうちに、書こうとしていることが頭から飛んでいってしまわないか?

 こんな初歩的なことから悩み始めてしまうと、もう手が付けられない。時間ばかりが過ぎてしまい、その日は一日仕事にならないという有様である。
 これは非常にまずい。一日中奮闘しなければマトモな文章がほとんど書けないのだ。昔は3000字でも4000字でもスラスラ書けていたというのに。時とは残酷なものである。
 なんとか感覚を取り戻すべく対処せねばならないと思った。

 そこで、僕が思い立ってやってみようと考えたことは、再び原点であるセンセーの文章へ立ち返って、リハビリテーションをしてみようという目論みである。
 ただでさえ、大量の文章を日々memoやらツイッターやらに投下していたセンセーのことだ。書き残したものを読み返したり分析したりすることで、何かしら物を書くことのヒントになるものも見つかりんしょう。

 実際、センセーが生前に書いていらした10年あまりの記録は『殊能将之 読書日記』として出版されたけれども、その内容は驚異的だ。本や映画の感想から翻訳、引用、批評までびっしり書かれて392ページもある。すごい。僕も見習いたい。

 僕自身、映画の感想ブログを一所懸命に書いていた時期はあったけれど、途中からFilmarksに移行してしまい、最後はといえば、ドキュメンタリー映画『We Are X』について一言「楽天モバイル…。」と書いただけであった。

 センセーは、memo時代を振り返ってもほぼツイッターのようなテンションでずっと文章を書いていらしたから、もしもご存命だったら、ポリティカル・コレクトネスを肴に、今もツイッターランドでエッジの利いたギャグをかましていたかもしれない。

 幸いなことに、僕もまだツイッターを書ける程度には気力が残っているようなので、このnoteは、なるべくセンセーのように自由に文章を書き連ねるための試行錯誤のmemoにするつもりである。

 ところで、ここ数ヶ月ほど、センセーの著作を続けて読み返していたのだけれど、『美濃牛』を読み終えた時、「そういえばセンセーは物理トリックよりも『Aという前提かと思ったらBだった!』という叙述トリックがお好きな人だったなぁ」ということを思い出した。
「こうだと思ってたでしょう? ぜーんぜん違うよ」という悪戯心が垣間見えたような感じがした。亡くなってからも存在感が強い、というところも作中の人物と同じ。
 正直、7年前に訃報を聞いた時も全く実感が湧かなかった、というのが本音である。
 案外、センセーが亡くなったというのも実は一世一代のトリックで、マイケル・スコフィールドの如くどこかで生きていらっしゃるような気がしてならぬ。
 だとしたら、イエメンあたりでくすくす笑いながら見ていてほしいものですな。なんなら金沢市でもいい。

んじゃ、疲れたから今日はもう休むぞよ。

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