とある酒飲みの戯言

私にとって「自分以外の他人と会う」というのは非日常なことだ。

知り合い、友人、家族……。そういった近しい人と会うことも非日常になる。

仕事上のお客様も私には他人なので対面で会うことは非日常になる。

オンラインでの邂逅は微妙だ。対面よりは疲れないのでやや非日常より、といったところだろうか。

今、私は息子と暮らしているので、毎日非日常であり、そこに誰かと会うとか何かの集まりに出るというのは更に非日常を重ねることになり。

正直疲れる。

身が持たない。

なので意図せずして疎遠になり、世界が狭くなる。世界が狭くなると、まともな言葉が出てこず依頼がこなせなくなるので「世界が狭く感じてきたら他人と会う」ようにしている。

自ら非日常に飛び込むのだ。

私にとって日常とは非日常の連続であり、神経がすり減るものだ。そこにお互いの価値観の相違とか趣味嗜好の違いなんかを加味して対応するので更に疲弊する。

それを緩和してくれていたのがお酒だ。

お酒には不思議な力がある。たった1度数時間一緒に酌み交わすだけで、次に会った時にはなぜかとてつもなく親しくなった気になり気安く言葉をかわせるようになる。しかも呑みの場では話すことがない時でもとりあえず呑んでれば空気が悪くなることもない。

お酒は非日常に日常を紛れ込ませるために私には必要で重要なツールだった。更にお酒の席だと他人と接しても全く疲れないのでとても重宝していた。

それが、一昨年逆流性食道炎+バレット食道の診断がついてから一変した。

年齢のせいもあるかもしれないが、お酒に限らず飲食物が喉を通らなくなった。
食べる量が以前の1/3程度に減った。それ以上食べようとすれば体が拒否するようになった。

ま、以前は他人の3倍は食べるとびっくりされていたので人並みになったとも言える←

お酒の量も以前の1/5程度まで減った。
今は日本酒3合程度で、それ以上飲もうとすると体が拒否する。

以前は毎日ビール3リットル+カクテル20杯+酎ハイ10杯+日本酒1升+ジン1本を空けていたのだから、まぁこれも人並みになっただけな気はする←

ただ、お酒が他人と会う時の緩衝材として使えなくなったのが地味に効いている。

他人と会う時に「とりあえずどっかで(お酒を)呑もうか」が言いにくくなったので、他人と会うこと自体が辛くなった。

非日常から日常に戻るときに最低ほろ酔い程度の酔いが残っていないと、そのギャップにおしつぶされそうになる。

非日常から日常に戻る時にはある程度感覚をマヒさせていないと受け止められないのだ、私は。

これは旅行先から帰ったときの感覚に似ている。旅行先では日常に縛られず楽しめるが帰った途端お金の不安や仕事のこと、家事などしなければならないことが脳を一気に覆い隠してしまい「疲れた、何も考えたくない」となってしまう、あの感覚。

私は「楽しかった~~~! また(行けるように)頑張ろ🔥」と思うタイプではないから特にそう感じるのかもしれない。
非日常が日常への活力にはなり得ないタイプなのだ。

話がそれたが、お酒の力を借りて誰でも彼でもとにかく会うという時期は終わったのだな、と思う。

お酒の量が呑めなくなり、厳選して呑むようになった。

それと同じでお酒抜きでも会いたいと思う人に会うというスタイルに移行するのだろうなと思う。

私はつくづく人の世を生きるのに向いていないのだ。


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