「許す」ということ。

平日毎朝ひくオラクルカード、今朝のメッセージは「許す」。

「許す」といえば、最近こんなことがありました。

場所は小さなバスの中。
混雑具合はほどよくまばら。私はバス最後部のひとつ前の席に座っていました。私のすぐ後ろ、最後部の長掛け席にはお母さんと2人の子どもたち。お兄ちゃんは3歳くらい、妹ちゃんは2歳か、身体はもうちょい小さいくらいかな。その親子は「しりとり」の真っ最中。バス内では他には誰も話している人がいないので、3人のしりとりがとてもよく聞こえました。和やかなやりとりが微笑ましくて、つい耳を傾けていると、

お兄ちゃん「しゃと!」

お母さん「しゃと?そんな言葉ないよ?」

お兄ちゃん「(少しムッとしながら)え、あるよ?しゃとだよ!」

お母さん「うーん、しゃとぉ?」


「しゃと?」と私もつい一緒に考えてしまいます。

お兄ちゃん「おうち着いたら入れるんだよ」

入れる……ハッとしたとき、お母さんが

お母さん「あ、しゃこね‼︎  お兄ちゃんよくそんな言葉知ってるね、すごいー!」

おおぉ!
お兄ちゃん、ちびっ子ゆえに言葉には幼児らしい辿々しさがまだあるのにしっかりしてる!私も心の中でお母さんに賛同する中、しりとりは続き…

お兄ちゃん「した!」

「下」?「舌?」、どっちにしてもちびっ子なのに語彙多いな、よく知ってるなぁと思っていたら

妹ちゃん「カステラ!」

…と間髪いれずに答えて、それに対して

お兄ちゃん「ラッパ!」

…と何事もなくしりとりが進行していくので「お兄ちゃん、まさかカ行がタ行になっちゃうのね!可愛い!そして、妹ちゃんもなんかさすが!」と密かに盛り上がっておりました。

しばらくしりとりのラリーが続き。
誰かが降車ボタンを押して停留所でバスから降りていきました。

お兄ちゃん「ボタン、押したい!」

お母さん「まだ降りるところじゃないから待ってね。次の次だから」

…と、ちびっ子バスあるある「バスの降車ボタン押したい!問題」勃発・笑。

お兄ちゃんとお母さんはちょっと揉めてましたが、お母さんの説明にお兄ちゃん、何とか納得したようでした。

相変わらず、小さなバスの中はこの親子さんたちしか会話していないので、バスの他のお客さんたちは私も含めて「次の次にお兄ちゃん、ボタン押すのね…」と思っているのかな?

でも、この話を聞いてない大人がボタン押しちゃったら、コレどうなるのかな…どうかお兄ちゃん、無事にボタン押せるといいなと思っているうちに、バスは次のバス停を通過。

次のバス停で彼らは降りるので「お兄ちゃん、ボタンを押すなら今よ!」と思ったタイミングに

ブーー

降車ボタンが押されたので「よかった!」と思ったのも束の間。

お兄ちゃん「なんで押しちゃうんだよぉっ!押したたった‼︎」

お兄ちゃんの号泣が。そして

お母さん「なんであなたが押しちゃうの⁉︎ お兄ちゃんが押したがってたでしょ⁉︎

お母さんの声が。

まさかの妹ちゃんがお兄ちゃんが押す前に押してしまったのでした笑。

先ほど、お兄ちゃんがボタン押したい!押したい!とお母さんと揉めてる時に、一言も発さずにいた妹ちゃん。チャンスがきた瞬間、その一瞬を逃さずボタンを押した模様。

「お兄ちゃんが押すって話してるのを聞いていて押しちゃうのは意地悪よ」お母さんが妹ちゃんを諌めます。お兄ちゃんは泣いてます。バスの中、やおら不穏な空気です。

妹ちゃんが、しりとりの時の元気な声とは真反対の小さな声で弁明をしているのですが、よく聞こえず。お母さんはその弁明を聞き入れず「〇〇ちゃんがそんな意地悪な子だったなんて、お母さんイヤ!」妹ちゃんを許さない態度です。

すると妹ちゃんが泣いているお兄ちゃんに「ごめんなさぃ…」と蚊の鳴くような声で謝りました。お母さんには嫌われたくないのね、妹ちゃん。でも謝ったのは偉い偉い。でも、声が小さいから泣いてるお兄ちゃん、聞こえたかな?

妹ちゃんの謝罪に対し、泣くのをやめたお兄ちゃんは少しヒックヒックしながらも、ちょっと間をおいてから

お兄ちゃん「いいですよっ‼︎

…と、すごい大きな声で応えて、妹ちゃんを許していました。

「ごめんね」→「いいよっ」と応えるやりとりは、友人の子ども達が小さかった頃のやりとりの中でも何度か目撃してきたけれど、今どきは「いいですよっ」なんだ…。敬語なんだ笑。

それはともかく。

「ごめんね」→「いいよ」のやりとりをしたところで全然許す空気にはなっていないのは、いつの世も変わりなく。けれども、こうやって子どもたちはこのやりとりを通して「許し」を学んでいるのだなぁと感心。

そりゃあ全力で「いいですよっ」て言っても、その瞬間はまだ全然「いいですよ」ではなくて笑、当然許せてなくて。でもそれは当たり前だよな。でも無理矢理にでも「いいですよ」って言うことで“許せない”という感情を乗り越えていくんだなぁ。

それはつまり、相手に「いいですよ」と言って“許し”を与えるというよりも、自分自身が「いいですよっ」と言えるか否かというだけの問題で。

そこに実は“相手”は関係していなくて。

その「いいですよっ」が言えれば、その問題から「自分自身」が解放されるんだろうな。

だから、それが言えたら“相手”のことも、もはや「許せる」んだろうな。

今朝のカードでも「“許す”とは相手を“許す”ということではなく、“相手のとった行動で傷ついた自分を『許す』”ということ」と書いてあって、これが意外とわかりにくいのだけれども。

お兄ちゃんの「いいですよっ」で、おばちゃんお腹の底から理解できました。

お兄ちゃん、ありがとう。

そして「許す」って、やっぱり深い。

あと余談ですが。
お兄ちゃんのありったけの「いいですよっ‼︎」をきいて、優しいお兄ちゃんだなぁと思う一方、しれっとボタンを押しちゃう妹ちゃんも逞しくて可愛いなと思ったのでした。大物の予感…笑。

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