見出し画像

ロリィタだった。

チュールパニエを2枚重ね、大きく膨らませたスカート。
レースとフリルでこれでもかとデコレーションされ、細かいピンタックの入ったブラウス。
大きなリボンのついたカチューシャ。
パニエの下にはドロワーズをはいて、見えないところまで抜かりなく。
くるくると巻いたウイッグをつけ、厚底のころん、とした形のストラップシューズのベルトをぱちん、と留めて。
玄関を一歩出て、パゴダ型のパラソルを広げたならーー
わたしは無敵。もう怖いものなんて何もない。

今から10年ほど前まで、わたしはロリィタファッションに身を包んでお出かけを楽しんでいました。
17、8年前には大学にもロリィタで通っていたので、学内ではちょっとした有名人(悪い意味で)でした。

それでも、ロリィタであることは、わたしの矜持でした。
そして、ロリィタであったことは、わたしの矜持です。

わたしがロリィタファッションに出会ったのは、そこからさらに10年以上前。
札幌にATELIER BOZのショップがオープンし、ゴシックファッションやゴシックロリィタに心を一瞬で奪われました。
そこからやや遅れて、札幌ALTAがオープン。
最上階フロアにBABY,THE STARS SHINE BRIGHTやMetamorphose temps de fille、KERA SHOP Mariaが入っていました。
当時中学生や高校生だったわたしには高価で買えなかったけれど、フロアを見て歩くだけで、ときめきを感じました。

小さい頃、七五三の写真でドレスが着たかったけれど、祖母が買ってくれた着物があるから、と、わたしの希望は叶いませんでした。
グループレッスンのカリキュラムを修了し、小学校4年生から個人レッスンに移ったために、好きに衣装を選べるようになったピアノの発表会でも、ドレスを着たいと母にお願いしてみたけれど、「あれは幼稚園くらい小さい子か、コンクールに出るような上手な子が着るもの」と一蹴され、やはり希望は叶いませんでした。

ロリィタファッションは、ドレスを知らずに育ったわたしには、とても魅力的で、大人になっても日常的に着てもいいお姫様のお洋服があるんだ、と救いのような存在でした。
バイト禁止の高校で合法的にできるお金稼ぎ……つまり、新聞に投書・採用されて商品券をもらったり、高校生向けの文学賞に応募・入賞して賞金をもらったり、お小遣いをちまちま貯めたりして、少しずつお洋服を買い揃えてゆきました。

ですが、当時の世の中から見るとロリィタやゴシックは異端。
その頃、高校生とその彼氏の大学生が母親を刺すという事件があったのですが、犯人カップルがゴシックやロリィタを好んでいたということで、「ゴスロリ殺人」と面白おかしく取り上げられたり、退廃的なファッションを好む若者の心理、みたいなことを希死念慮や殺人願望などと結びつけて解説する人がテレビに出ていました。

ロリィタ当事者のわたしからすると「んなわけあるかいな」で済ませられることなのですが、ロリィタ部外者からは「何やら得体の知れない珍妙な服装の奴らがのさばっている」という認識だったのでしょう。
家族からも「そんな恥ずかしい格好で出歩かないで」「危ない人だと思われる」「恥ずかしい思いをするのはお前じゃなくてお母さんや兄弟だ」など、散々な言われようです。
お洋服を捨てられたこともあり、母親とは大喧嘩。ロクに口もきかなくなり、その後の親子関係に大きな影を落としました。

それでも、わたしは本当に好きなものは諦めたくない、理解しようともしない人に屈したくない、その一心で、27歳までロリィタファッションを着続けました。

自分の好きなものは、誰にも犯させないし、好きな気持ちは自分で守り抜く。

それを貫き通したことは、今でもわたしの誇りであり、行動原理となっています。
ロリィタであることで傷ついたこともあるけれど、それ以上にわたしの人生の指針や価値観を教えてくれた、大事なお洋服です。

それほど大好きだったロリィタファッションですが、卒業しよう、ということも、自分で選んで決めました。
この話は、また別の機会に。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


わたしのたわごとを、何だか良い感じで紹介してくださっています!
他の方の記事も、とても濃くてニヤニヤしちゃう。
「#なんのはなしですか」、めちゃくちゃ面白いタグですのでぜひ……


参加しています。19日め。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?