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わたしの声があなたに届いたなら

「下手くそ。お前、恥ずかしいから歌うなや。下手くそ」

そんな言葉を母親に投げつけられたのは、高校生の頃。
Coccoの『風化風葬』を口ずさんでいたとき、不意にその苛立ちを含んだ声が降ってきました。

「あまりにも音痴だから、いじめられないようにって音楽教室に通わせてやったのに、何も身に付いてないんだな。無駄金。がっかりだわ」

わたしの母は、彼女の夫、つまりわたしの父親やその両親から受けるストレスを、わたしに唐突に暴言を吐くことで発散している節がありました。

あぁ、またいつものやつ。

そのときはそうとしか思わなかった。
でも、その言葉はわたしの心に巣食い、じわじわと広がっていきました。
友達と放課後のカラオケに行っても、歌えなくなったのです。

歌は好きだったはず。
なのに、声を出すこと、伴奏に合わせて自分の喉で、体で音を奏でること、そうしたことに躊躇いや恐怖を感じる。
小学校で働きはじめ、音楽の授業を担当するようになっても、歌おうとすると喉が詰まったようで思うように声が出ません。
声楽をやっている同僚に範唱をお願いしたり、CDでしのいだりして、なんとかこなしてきました。

転機が訪れたのは、ほんの3年前。
コロナを機に、自宅近くのピアノ教室に移ったのですが、そこの先生が「音感いいね!」とほめてくれたことがきっかけでした。
先生は、リズムが取りにくいところを口ずさませるという方法をよくとるのですが、わたしの蚊の鳴くような声をキャッチしてかけてくれたその言葉。

「わたし、音痴だと思うんですけど……」
「え、何で?  声もいいし、音しっかり取れてるよ?」
「母親に音痴だって言われてて……」
「えぇー?!  お母さん!!  ちょっと!!!」

そんな会話を、曲を変えて何度か繰り返し、わたしは少しずつ自分の歌に自身をもつことができるようになりました。

そして、今。
ボイトレにも通い、ますます音楽が、歌が楽しくなっています。
歌をほめられることも増え、喉の奥が詰まることもなくなりました。
声に芯が通って、ちょっとやそっとのことでは揺るがなくもなった。
 
さあ、今年度の音楽の授業がはじまりました。
この春から一緒に学ぶようになった子は、音楽の授業は苦手だ、といって不安そうに授業に臨んでいたけれど。
わたしの範唱を聞いて、顔を上げ、目を見開き、口元をおさえ、たちまち瞳に光が宿る。
その瞬間、わたしは自分の声が、彼女の耳ではなく、心に届いたことを確信しました。

「じゃあみんなで一緒に歌おう!」

そんなわたしの投げかけに、彼女は笑顔で応えて、大きく息を吸う。
最初の声が出る。歌が紡がれてゆく。
全員の声が絡み合い、今年度の、わたしの学級の歌が編まれてゆく。
誰も声を張り上げていない、それでもしっかりと聞こえるのは、ひとりひとりが響きをつくることができているから。
豊かに広がり、空間を満たしてゆく。


ねぇ、お母さん、知ってる?  
今のわたしは、学級の子達にいい顔で、いい声で歌おうって意識を育てることができるんだよ。
わたしはただ、歌うだけ。
わたしの声を届けるだけ。

わたしの声が、いつかあなたに届いたなら。
ただ一言だけ、言ってほしい。

「上手になったね」って。


参加しています。27日目。

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