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逃げるという選択肢

久々交わした親友とのコミュニケーションのお陰で沢山の気づきを得ることができた・・・

逃げ続けてきた人生

10数年来の僕を知る方々から、よくこんな言葉をいただける。
『かつらやまさん、よく諦めずにボールの開発を続けてきましたね。』と。
https://www.hinomarc.com/

ありがたい。
そのような温かい言葉で今まで全てが報われ、次へのエネルギーにチャージされる。

確かに、振り返えると
スペイン語で『Poco a poco(少しずつ)』との言葉の通り、遠回りであるが一歩づつ進んできた。
しかしながら、
実はその道程は恥ずかしながら、決して人に自慢できるものではない。

徹底的に人生から、そして『ヒノマール』から逃げ続けてきた道のりだったからだ・・・

逃げるも人生、挑むも人生

ここ最近ようやく『もう逃れられないなぁ』と自身の人生に観念をすることができた。
だから、ようやく次のステップのスタートを切ることができる。
こんなありがたいことはない。幸せである。

全ては必要必然
逃げる選択肢を選び続けてきた結果、逃れられなくなった。
選択肢は間違ってなかった。

現実逃避のバックパッカー時代

20代前半、失恋と挫折を繰り返しあらゆることが嫌になり日本を飛び出した。
荒治療。
旅を通して、人生の周りに張り付いていたオブラートが少しづつ剥がれ、まるでモザイクがかかっていた人生が少しずつクリアになっていった。

1998年3月 メキシコユカタン半島・トゥルム遺跡にて・・・

あれから地球を2周半・・・
ヒノマールのアイデアに辿りついた。

しかし、興奮が覚めた先には
『どうせ僕のアイデアなんて、既に誰かが閃いているに違いない。』
『きっと誰かが既に行動をしてるだろう。』
と、勝手に諦めの氣持ちが優位になった。

さらに旅を続けた・・・逃げ続けた。

3.11のインパクト

東日本大震災の経験が僕の遺伝子のスイッチを入れた。
『ヒノマールを子ども達に届けよう』と富士山に誓い開発を再スタートさせた。
山あり谷あり翌年2012年に発明特許や商標など取得することができ権利化する事ができた。

『どうせ僕のアイデアは・・・実は・・・70億分の1のアイデアだった。』

2011年3月22日、宮城県気仙沼へ向かう。東北自動車道・郡山IC付近にて撮影

量産化と販売化へ・・・

2018年8月から『ヒノマール』の販売がスタートした。しかしまだまだ、僕は逃げ続けてきた・・・『誰がが販売に関して担ってくれるだろう』と。逃げ続けた。

極上のリゾートにいるのに、いつも心はソワソワ、満たされず心はそこにはなかった。

2018年11月、沖縄北部ビーチとホテル・コスタビスタにて。

逃げれば逃げるほど、それが追っかけてくる。
何故ならばそれは、僕にとって必要必然だったからだ。
因縁。宿命。ミッション。

逃げ続けていった結果、とうとうクリアに鮮明となったビジョンから逃れられなくなった。

自分の頭の中にある画(ビジョン)は、自分が描かなくては誰も描いてはくれないと悟らされた。

『逃避力』のススメ

2020年。
自身の人生に観念をすることができ、
ようやく次のステップのスタートを切ることができる。

次へのステップは整った。
誰にも強制されていない、自分の底から湧き上がる行動に移せる幸せを噛み締めている。

共に『明日の神話を創る』それぞれ70億分の1の素晴らしいパートナー達にも恵まれた。

『Poco a popo』
一歩づつ前進あるのみ・・・

ありがとう。
逃げ続けてきた過去の自分があったから今の自分がいる・・・

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