タイガー・ジェット・シンジ

サッカーと音楽と発酵を愛す。幼少期は初代タイガーマスクに憧れる→20代バンドでプロを目…

タイガー・ジェット・シンジ

サッカーと音楽と発酵を愛す。幼少期は初代タイガーマスクに憧れる→20代バンドでプロを目指すも挫折→海外・国内放浪→ 魯山人所縁の料亭で下足番10年修行→鬱病をゆる体操で克服→地元・愛知県の発酵文化を再発見→芯が見えるボール・ヒノマールの開発者(PCT国際特許出願中)AtoKA代表

最近の記事

摩訶不思議な出会い

ビーチにはお気に入りのレストランがあった。 茹ですぎたミートスパゲティとコッペパンのコンビが大好きだった。セルベッサ(ビール)は、コロナではなく、決まって太陽の絵柄のSolを注文した。 夜になるとこの場所は更に活気に満ち溢れた。 あの熱気溢れる空気感、温度、匂いは今でも鮮明に記憶に残っている。 ジュエリー商が市を開き様々なミュージシャン、アーティストそして大道芸人がパフォーマンスをした。 まるで、ドラクエの街に来たようだった。 アルゼンチンから来た姉妹はファイヤーダンス

    • 天国への楽園

      眩しい真っ白なビーチと二色の青い海が広がっていた。雲の隙間から光が差していた。風は強く吹いていた。 デジャブか⁉︎いや、ここは幼少期によく夢で見た場所だった。 砂浜に埋もれる足の感覚とあらゆる出来事がまるで同じだった。身体がそれを覚えていた。 この日から2週間、身体が刻々と変化をした。 ビーチからトゥルム遺跡までは歩いて2kmほど。買い出しを兼ねて何度も遺跡を訪れた。 遺跡へはビーチから続く石畳の階段を登り、ビーチへは石畳の階段を下りた。 石畳は真っ白な砂浜へと繋がってい

      • カリブの楽園

        トゥルム遺跡の観光後にはすぐに別の場所に移動する予定だっが、クエルナヴァカの語学学校で同じクラスだったイタリア人女性2人とばったり遭遇をして話が弾んでしまった。 そのために乗る予定だったバスは行ってしまった。 仕方がなく近くのホテルに泊まろうと尋ねるも満室だった。 バックパッカーが海岸沿いを歩いていくのを何度か目撃した。彼らの行く先が氣になったが、別の選択肢を模索した。 日が暮れそうなのでタクシーを捕まえて「とにかく一番安い宿に連れて行け」と頼んだ。 タクシーで5分ほど走り、

        • 過去の記憶!?

          トゥルム遺跡に到着した。 敷地に入り神殿を眺めた瞬間、衝撃が走った。 「あれ!?ここを知っている!」 私は今、生まれて初めてここに来ているはずなのに何故か、この景色の記憶があった。 実家よりも落ち着いた。 日は西に傾きかけていた。 中央神殿の背後には突き抜ける青いカリブの海が広がっている。 神殿に更に近づいてみた。 神殿に近づいた瞬間、 「ズドーン」と身体にもの凄い衝撃が走った。稲妻が身体を貫いたのか、何が起こったのか理解できなかった。 「何なんだ⁉︎」 混乱から落ち着

          緊張を脱ぎ捨てて

          1998年3月、1ヶ月間のキューバ滞在からメキシコ・ユカタン半島の先端・カンクンへと戻ってきた。 たった2時間のフライトで体内時計がリセットされ、西暦と目の前の現実とが一致をした。 アメリカ人観光客だらけのリゾート地・カンクンはバブリーな活気で満ち溢れ、モノや食べ物が街中に溢れていた。 キューバ滞在で蓄積された目に見えない緊張から心身が一気に解放された。 メキシコ一物価が高い超高級リゾートには全く興味がなく、バスターミナルに直行した。 バスで南へ1時間半、トゥルム遺跡を目指し

          ストロングスタイル

          キューバの強烈な思い出の一つは、鬼軍曹との出会いだ。ここに来た理由は、本場のサルサ・ラテン音楽に触れて、ラテンパーカッションを習うためだった。 子どもの頃からドラムは叩いていたけれど、ラテンパーカッションのコンガやボンゴは演奏した事はなかった。 首都ハバナの旧市街を散歩していると、そこらじゅうの家から大音量の音楽が鳴り響いていた。 生活の一部に音楽が溢れる世界だった。 キューバの家族の薦めで素晴らしい先生がいると紹介してもらった。先生は有名なパーカッションミュージッシャンだ

          革命の先には・・・

          キューバは全てが別世界だった。 1998年、アメリカとの国交は断絶したままの時代。 家庭の日々の食糧は配給の僅かな米、豆、キャッサバ芋、コッペパン、野菜は干からびたキャベツと甘くないトマトがあるくらい。有機農業国家と聞いていたが現実は全く違った。毎朝のエスプレッソコーヒーが唯一楽しみだった。 一般観光客は、国営レストランで、ひたすらモヒートとフライドチキンを喰わされた。 生活用品は限られ、商店のガラスケースには消しゴム、電池、歯磨き粉、石鹸が一個ずつ等間隔に並んで売られてい

          カリブの憂鬱

          キューバへ。南部の街オアハカで知り合った、キューバ人老夫婦の家を目指し、メキシコの旅行代理店で偽の宿泊証明書を発行してもらう。当時1998年のキューバは、外国人旅行者は国営の宿のみ宿泊が可能で入国にその証明書が必要だった。カンクンからキューバへは約2時間のフライト。 キューバに降りたつと、時代が30年ほど過去にタイムスリップしたかのようだった。 砂埃と車から発する不完全燃焼したガソリンの匂い。 全ては別世界だった。 22歳の誕生日、キューバ人家族が祝ってくれた。忘れられない

          人生の楽園

          旅はメキシコシティを南下し、オアハカを超えて太平洋岸のビーチ、シポリテを目指した。 シポリテはヨーロッパ、北米、南米など世界中からバックパッカーが集うヌーディストビーチ。ガイドブックには「行くな危険」と書かれていた。 しかし行けば都。楽園とはここの場所のことを言うのだろう。 最高な仲間達と出逢い、1週間ほど滞在した。至福な時間だった。 人生に躓いたらいつでもこの場所に戻りリセットできる安全基地となった。 あの時に出逢った仲間達は元氣だろうか? イタリアとアルゼンチンの2人は

          メキシコ最強の男と会う

          伝染病からすっかり回復した2月、念願のルチャ・ドール(プロレスラー)、エル・カネックに会うことができた。彼は仮面にマヤの神々をあしらい、236kgのアンドレ・ザ・ジャイアントをボディスラムで叩きつけた伝説を持つメキシコ最強の男。 「俺が日本で初めて場外でタイガーマスクのプランチャーを受け止めた。確か蔵前国技館だ。」 初代タイガーマスクとの激闘を自慢気に語ってくれた。メキシコ最強の男は優しい男だった。 夢のような贅沢なひと時だった。 #ルチャ・リブレ #エル・カネック #タイ

          メキシコ最強の男と会う

          急死に一生

          1997年大晦日、太平洋岸リゾートのアカプルコにいた。海で泳ぎ、ビーチのレストランで焼魚のプレートを食べた。30分も立たない内に強烈な寒気、眼球が潰れるかの頭痛に襲われた。年明け、頭痛が収まると今度は胃が裂ける様な強烈な痛みが続いた。あまりの激痛で寝ることもできなかった。いよいよ命の危険を感じた。日本大使館にSOSを求めた。 日本大使館はメキシコシティにある日系の医師を紹介してくれた。検査結果は「大丈夫、薬で治るから」と楽観的。通院最終日「一番の薬は日本食だから」とレストラ

          いざ!憧れのメヒコへ・・・

          1984年、金曜夜TV生放送のプロレスが楽しみだった。初代タイガーマスクは最期、赤いタイツ姿だった。あの頃、中学校を卒業したらメキシコに行こうと本気で考えていた。「海外武者修行・凱旋帰国」という言葉に憧れた。 1997年音楽に挫折した21歳。念願のメキシコへ旅立った。黄金の虎と激闘を繰り広げたメキシコ最強の男に会いに行くために。 1997年9月11日、名古屋空港から念願のメキシコへ。英語が少し出来れば問題無いだろうと高を括っていたが、現実は違った。バスはスペイン語で降ります

          いざ!憧れのメヒコへ・・・

          ゲリラ豪雨とダイエット

          今年も、熱海や様々な地域で豪雨による甚大なる災害が発生した。 被害に見舞われた方々に心からご冥福をお祈りすると共に、年々被害を増す豪雨災害への根本的解決への道筋の為に、一眼となって知恵を絞り出す必要必然な時期なのだと肌で感じた。 長さ10キロ、高さ15キロにも成長するといわれる積乱雲が吐き出す『ゲリラ豪雨』。 その巨大な積乱雲が次々に列になって『線状降水帯』を形成し、広範囲の地域で大量の雨を降らせる。 昨今の梅雨は、まるで熱帯雨林のスコールの様だ。 熱海で土石流災害が発生

          ゲリラ豪雨とダイエット

          全てはベストのために・・・

          子どもの頃から鉄道が好きだった。 とりわけ、電気機関車が牽引する大迫力の貨物列車を見るのが大好きだった。 幼少期、いつも父に列車が見れる場所に連れていけとせがんでいた。 44歳になる今、まさか自分が機関車の気持ちになるとは思わなかった。 強制的に人生のレールの分岐点、ポイントが切り替わる。ガチャンと音を立てて、進む路が明確になる。 信号は青である。 幼少期に憧れた遊園地「ナガシマスパーランド」のコークスクリューを遥かにしのぐ、 まるでジェットコースターのように四方八方に

          全てはベストのために・・・

          逃げるという選択肢

          久々交わした親友とのコミュニケーションのお陰で沢山の気づきを得ることができた・・・ 逃げ続けてきた人生10数年来の僕を知る方々から、よくこんな言葉をいただける。 『かつらやまさん、よく諦めずにボールの開発を続けてきましたね。』と。 https://www.hinomarc.com/ ありがたい。 そのような温かい言葉で今まで全てが報われ、次へのエネルギーにチャージされる。 確かに、振り返えると スペイン語で『Poco a poco(少しずつ)』との言葉の通り、遠回りであ

          8月15日に感じるコト・・・

          我が家にはテレビがあるが、アンテナは接続していない。今年の2月に引っ越しをしてからテレビを全く観ない生活へとスムーズに以降した。 お陰で、このコロナ禍のネガティブな情報を一切シャットアウトできた。 人々が少しずつ希望を見出している中の 8/6、愛知県に再び緊急事態宣言が発令された。 愛知県全域に何か黒い霧の様なものが立ち込め愛知県全体のエネルギーが低下したように感じた。 直感を信じきるますますのコロナ禍の不安と憤り・・・ 僕らはどこへ向かって行けば良いのか? 何を信じたら

          8月15日に感じるコト・・・