見出し画像

「愛されない…」と言っている人が犯している根本的な間違いについて #虎note

こんにちは、虎( https://twitter.com/tiger_stlv )です。

この世の人の悩み、代表的なものがいくつかあると思います。

お金がない。
時間がない。
好かれているか不安。
間違っていないか不安。

誰もが何かしらの悩みを抱えながら生きていると思います。

その中で特に人間を頭をもたげ、時に縛り付ける悩み。

「愛されない…」

今日は、これについて書いていきます。

これから書く事は、愛されない人だけでなく、貧乏な人や好かれない人など、とにかく「欠乏している人」に関する共通点です。

欠乏している人には「ある共通点」があります。

今日は、この共通点と解決策について書いていきます。

世の中はこの欠乏に対して答えを持っている人が少ないように思います。

何故なら、この欠乏に対して、多くの人は同情や共感、もしくは慰め、責任転嫁を持って対応します。

愛されないと言えば、そんなことないよとか、つらいよねとか、貴方は悪くないよとか。
貧乏だと言えば、頑張ってるのになとか、俺だってそうだよとか、社会が悪いんだとか。

それら全てが大きな間違いです。


もう、口を噤めって思います。

今日は、無料の記事ではありますが、有料のセッションと同じような熱量、内容を貴方にお届けします。

ということは逆に言うと、人によってはキツい内容になる可能性があるということです。

特に、これまで書いた特徴に当てはまる人はほぼ確実に「ウッ」となる内容が含まれていると思います。

それでもいい人だけ、読み進めてください。




準備はできましたか?



それでは行きましょう。




初めの初めに

先にお伝えしておくことがあります。

このnoteは愛について書きますが、全て他の概念についても置き換えられます。お金もそうですし、友情もそうです。

ですので、お金がなくて悩んでいる人、人間関係で悩んでいる人も、このnoteで解決の糸口が見えるはずです。見えると思います。たぶん!

乞うご期待。

受動的な愛と能動的な愛

愛には受動的な愛と能動的な愛があります。
まず、それについて解説していきましょう。

受動的な愛とその弊害

まず、受動的な愛には「理由」「条件」が付きます。
「~をしてくれたから〇〇をしよう」
「この人は~~だから自分は〇〇をしよう」

この世の中の愛情と呼ばれるものの多くはこれではないでしょうか。

この人はかっこいいから好き。
この人は人気があるから好き。
この人はお金を持っているから好き。
この人は権威があるから好き。
この人は自分を守ってくれるから好き。

全部理由が付きます。

結論から言いましょう、これは愛ではないです。

これは愛ではなく下心であり、自分が得しようとする気持ち以外の何物でもありません。

つまり、これによって行動するということは下心を人に差し出すということになり、そうなったら返ってくるのは下心です。

つまり「自分の周囲には下心のある人しかいない…」と思うなら、それは自分がやっている行為がナチュラルに下心満載なのです。

本人は「~だから好き」を普通のことだと思っていると思いますが、それは普通のことではありませんよ。

そういう基準で人付き合いをしている人を私は「畜生」と呼んでいます。人間ではなく、獣です。

上か下か、損か得かで生きている。その原理で生きているのは、人間ではなくヒト科の獣以外の何物でもないでしょう。浅ましい。


自分の人生を作るもの

人は基本的に差し出したものが時差で帰ってきます。

自分の周囲の人々は自分が過去に何かを差し出した結果、寄ってきた人たちです。

貴方がどう思おうと、貴方が今幸せなら貴方は人を幸せにしてきました。
貴方が今不幸なら、貴方は人を幸せにしてきませんでした。

それだけの話です。

そして、さっき言ったように自分が当たり前、普通だと思っていたことが当たり前ではないことに気付いていないと、理想と現実のズレが発生します。

つまり、現実の不満は自分の行動の無自覚です。

ですのでまずは自分がどういう気持ちであれ、今の現実は自分がやってきたことの通知表だということを受け入れましょう。

そこからしか話は進みません。

不満がある、受け入れられない、理不尽だ。

今の現実に不満がある人はそういう思いもあるかも知れません。

貴方の気持ちはどうでもいいです。

ハッキリ言えば「自分のやったことにも気付かず」「自分勝手に不満を持っているから」「今の現実がある」ということに気付いていない自分が悪いんです。

不満の幼児性

人間は問題が見えてれば不満を持ちません。解決に向かいます。
責任感があれば解決策を探すように動きます。

つまり、不満を持ってそのままでいるっていうのは責任感がないんです。

自分の人生に不満を持ってそのままでいるってのは、自分の人生にも責任を持とうとしない子供の姿勢なんです。

愛されないと言う人は100%(言い切ります)、人のことを責任を持って愛していません。愛されることを待っています。

そして、愛してくれる人がたまたま現れたらちょっとお返しをします。お返しをしたら、また次の愛を待ちます。

ずーっとそうやって待ってます。

それって、働きもせずに金をくれ、金をくれたからちょっと働くよって話と何が違うんですか?

それがどれだけ愚かな話かわかりますよね。自分が「あげる側」だったらどう思います?そういうあげる側に立つ想像力がないあたりが幼稚なんです。幼稚な人は魅力的じゃないですよ。

根本的な解決に向かうために

余談ですが、この流れからすると夜の世界に愛は基本的にないのもわかりますよね?夜の世界にハマる人の多くは愛されていないということに悩み、そして更にこの流れによって愛されないという思いを強くします。

当然です、そこに流通してるのは愛ではなく金なので。

そこから目を背けたいが為に更にお金を使う…というような流れの人が殆どですが、それは麻薬の投与量を増やしてるだけで何の解決にもなりません。

でも、そういう人に限らず「そうするしかなかったからそこにいる」という人が殆どだと思います。

別に、夜の世界にハマってる人に限らず、お酒におぼれたり、宗教にハマったり、人の嫌味を言うことがやめられなかったり、ネットに依存したり、性的コンテンツをやめられなかったり…

どうしても満たされなくて、でもその痛みを忘れるためには、それをするしかなかった。

そういう人が殆どだと思います。

私は厳しいことを書きますが、そのことを裁いたり、悪いと思ったりする気持ちはありません。

それ自体は仕方ない、そうなるべくしてそうなったと、というように思います。ですが、それだけではもう人は新しく前に進むことはできない。

必ず、逃げてきた自分のこれまでに向き合い、自分が逃げながらやってしまった行いを精算しなければ、望む未来を手にすることができない時がきます。

きっと、これまでにも何度かあったはずです。

でも、意識的にか無意識的にか、逃げたはずです。

今日これを読んでいる人は、今日を向き合うきっかけの日にしてください。

これまで私のセッションを受けた人の中には、辛くて向き合えなくて泣いた人や、本当に怒り狂った人、しんどすぎて吐いた人もいます。

ですが、それを乗り越えた人は例外なく自身の本当の願いに気付き、幸せに生きる道を選んでいます。

今日は、彼らに伝えた内容と同等のものをお伝えしますから、わかるまで何度も繰り返し読んでみてください。

人によっては、脳が理解を拒否することも沢山あると思います。

それもそれで構いません。

ゆっくりでいいので、ここに書いてあることを「もしかしたらそうかもしれないな……」と思いながら丁寧に読み進めて、ご自身の人生に活かしてみてください。

1つ、約束して欲しいことがあります。

それは「これは絶対に間違っている!」という反応が出てきた時、それの衝動のままにブラウザを閉じる、Noteを読み進めることをやめることはしないでください。

それこそが貴方の人生を変えていない罠かも知れません。

ですから、強い拒絶感が出た時ほど、一度「自分が否定されている」という感覚を横において、私が何を言いたいかに耳を澄ますように、読んでください。

能動的な愛について伝える前に

それでは、能動的な愛についてお伝えします。

その前に、少し長いですが前置きをしますね。

モテる人や愛されている人は、能動的な愛を人に分け与えることに長けています。

能動的な愛とは、簡潔に言うと「自分がそうすると決めたからそうする」「見返りを求めない」という姿勢です。

受動的な愛の中に居る時、人はこの人に優しくしておけばいいことがあるかもとか、この人は上司だから言うことを聴こうとか、自分は嫌だけど皆がそういうから従っておこうとか、とにかく全部「must」の中で生きます。

純粋な行為やモチベーションではなく、理屈や理由、損得、利害など、とにかく一言で言えば「防御的に利己的な理由」で動きます。

そういう時、人間がどういう状態になるかというと、結果を想像して期待し、思い通りになればいいが、思い通りにならなかった時にかなり感情的になります。

やる瞬間から「こうなってほしい」という結果を予測するのです。

感情は結果が作っているのではなく自分が作っている

我々が思い通りにならなかった時に悲しくなったりムカついたりするのは、このやる瞬間に抱いている期待であって、引き起こった結果ではありません。

ですが、それを理解していないと人は結果に対して不満を持ったと勘違いします。

でも、想像してみてください。結果に対して本当に不満を持つなら、我々は嬉しくなることもないんです。

わかりやすいように、これから2つのケースについてお伝えします。

ケースA

例えばですが、明日国から10万円貰えるとします。何かの給付金です。明日の15時、貴方の銀行に着金します。貴方はその10万円を使って何をしようかな、と想像しました。おいしいご飯や欲しかった服が買えるかも知れません。小旅行に行けるかもしれません。貴方はワクワクしてその日は眠りにつきました。

そして朝起きて、仕事をしながらその時間を待ちます。ああしようかなこうしようかな、色々な思いが湧き出てきます。

そして10分前になった14:50、ネットニュースで速報が流れます。

「10万円分の給付金、急遽撤回に。」

と。

どう思いますか?

「は?」

ってなりませんか?俺のワクワクを返せ!ってなりますよね。実際起こったらどんな気持ちになるか、想像してみてください。

可能でしたらここでめちゃめちゃムカついてみて貰えるとよりよいです。

どういう気持ちになるかな?
どういう言語が心の中に流れる?
気持ちは?身体の感覚は?
その時、手足や顔、頭にどんな感覚があるでしょうか。
胸のあたりがカーっとしたりするかもしれません。

その感覚を覚えていてください。

そしてその30分後、またニュースが流れます。

「給付金撤回の速報は誤報、既に全口座に振り込み済み。」

どうですか?嬉しくなりますか?しっかりしろよとか、仕方ねぇなとか、ああちょっとはよかったなとか、そういう気持ちになるのではないでしょうか。純粋に喜ぶ気持ちは、果たしてそこにはあるのでしょうか?

1つ目のケースはこれで終わりです。

では次のケースに参ります。

ケースB

貴方は休日に外出しています。給料日前で、ちょっとお金がありません。こういう日に限って美味しそうなご飯や買いたかった服、電化製品などが目に入ります。なんだかちょっとやりきれない気持ちで、街中をブラブラします。ランチも家に帰って食べようか、コンビニで軽いものを買って済まそうか、色々悩みます。

美味しそうな飲食店の中には幸せそうなファミリーがご飯を食べていて、最近お金を理由に友達との飲みからも少し遠ざかっています。

せっかくの休みなのに、わびしさとやりきれなさが混在して、こんなことだったら家でYoutubeでも見てればよかったなぁ…そんな気持ちすら湧いてきます。その気持ちの流れでTwitterを開いたら、タイムラインが騒がしくなっています。みんな起こった出来事に動揺しているようです。

その中で友人がポストしていたあるニュース記事をクリックします。その記事はYahoo!トピックスで、なんとそのタイトルには「政府、急遽10万円分の給付を決定。既に国民の各口座に振り込み済み」と書いてあります。

またまた嘘だろ……と思って、貴方は普段使っている銀行口座の残高を確認しに、近くのコンビニに行きます。

そうしてATMを操作したら、確かに10万円、貴方の口座には額が増えています。



…さて、どんな気持ちになりますか?



嬉しいでしょうか?理解できないでしょうか?

どういうことだ?なんでだ?と思っている貴方でしたが、先ほどの自分の考えがよぎります。

こういう日に限って美味しそうなご飯や買いたかった服、電化製品などが目に入ります。なんだかちょっとやりきれない気持ちで、街中をブラブラします。ランチも家に帰って食べようか、コンビニで軽いものを買って済まそうか、色々悩みます。

美味しそうな飲食店の中には幸せそうなファミリーがご飯を食べていて、最近お金を理由に友達との飲みからも少し遠ざかっています。

さっきの貴方の気持ち

さて、貴方はどうするでしょうか。

Yahoo!のニュースなので、国が配布したのも確かなようで、なんと政府の公式Twitterなどにもその旨が書いてあります。

ランチ、どうしますか?

家に帰ってあり物を調理しますか?
コンビニで軽いもので済ませますか?

本当に……そうですか?

悪魔の囁き①

この空腹の時に、この10万円を敢えて貯めますか?

友達とも長らく会ってないってさっき思ってましたよね?

これがあれば…友達ともちょっと美味しい店で飲み会ができると思いませんか?

悪魔の囁き② ※唐突に入る小ネタは気にしないでください。

…………。


どうしますか?


さて、これで2つ目のケースも終わりです。

どうでしょうか。

1つ目と2つ目のケースで「10万円が振り込まれるという結末は一緒なのに、感情の動きは全く違った」のではないでしょうか?

これでお分かりになったと思います。

我々の感情を動かしているのは現実ではありません。

自分自身が抱いた期待です。

感情の責任者である

つまり全てのこういった感情は自分が生み出していると言っても過言ではありません。

いっつも、自分が勝手に嬉しくなって、勝手に失望してるんです。

これを他人にぶつけるのはどういうことかというと、自分が勝手にした期待や想像を他人に押し付けてるんです。

1つ目のケースで本当に国が悪いと思うような人は要注意です。だって国は別にお金を給付する義理なんてないのに、それに勝手に期待して、それが履行されなかった怒る、という、他人に対する依頼心が強い証拠です。

約束したじゃん!とか言ったじゃん!というのも関係ありません。他人がどう動こうがそれは他人の勝手です。

それを怒るなら、貴方は人生における約束を全て履行し、言ったことをやってきたのでしょうか?

そうではないはずです。

ここで怒る人は依頼心が強い人、責任感がない人です。

つまり「約束したじゃん!」って言う人ほど約束を守らないものです。

人は自分自身の浅ましさを自分で見ることができない時ほど他人を批判しますが、これはその好例です。

人は鏡です。

ですから、先ほど言った期待そのものもそうですが、この期待の根源すらも自分の普段の行いの結果だと自覚しましょう。

他人に対して怒ることはもちろん、そもそも期待する時点で自分が責任を取っていないことがあるのだ、と。

このレベルまで自分に目を向けられるようになってください。

でなければ、貴方は能動的な愛を差し出しているつもりが、結局受動的な愛で、見返りを求めていて、そのことに気付かないまま他人に対して不満を抱く、ということを繰り返します。それは、これから私が書く事が貴方の人生にとって無意味になるということです。

明確にお伝えします。

怒ったり不満を持つのは貴方が期待したことが源です。
期待するのは貴方が責任を取っていないことが源です。
責任を取っていないことは貴方が自分の人生で自分の為にやっていないことが源です。

つまり、全ての現実の不満は貴方の怠慢です。

文句を言うのではなく、自分が何を怠けているかに目を向けなさい。

この言葉を受け入れられたら、次に進んでいきましょう。

嬉しさの前借りが失望を作る

つまり、これまでのことで何が言いたいかというと受動的な愛で生きている人はいつも人に期待をしていて、勝手に期待して嬉しくなって、それが叶わなかった時に失望することを繰り返しているということです。

誰にも何も言われていないのに、もしくは甘い言葉を信じて、先に嬉しくなっちゃう。勝手に前借りして、勝手に失望してるんです。

こういうこと書くと、たまに「だって約束したもん!」ってケースの話を出してきますが、それは前述してるのでそれを読んで欲しいのと、大前提として人は言ったからってやるかどうかは別の話ですからね。

なんで約束ってワードができたかって言うと、そもそも私達は言ったことを守らない生物なんですよ。約束を守る前提で物事を考えるのも、期待と失望を産むマインドセットの1つです。約束は守られたらラッキー、守られなくて当然と考えておきましょう。

話は戻ります。

勝手に期待して喜びを前借して、勝手に失望している時、我々はどうしているでしょうか?

知っていますか?

何もしていないんです。

あれやって欲しい、これやって欲しいって言うばかりで何かはしていない。

つまり、愛して欲しいって口で言うばっかりで何もしてないんです。せいぜいSNSで病んでるストーリー書くくらいじゃないでしょうか。

要は自分を幸せにする責任を自分で取っていない。

その期待をした自分がそもそもの誤りだったということに目を向けない。

そうして何度も同じことを繰り返しているのです。

期待が失望を作っている以上、貴方が人に期待する限りその失望は貴方の人生から消えません。

つまり、誰かに幸せにして貰おう、愛情を貰おうって考え方がそもそもの間違いなんです。

そもそも貴方は、貴方が望むように愛されるだけの何かをしましたか?

それなくして愛をよこせ!っていうのはおかしな話です。

愛っていうのはさっきで言う給付金みたいな話です。

愛されないってことに不満を持つ多くの人は「そもそも自分が愛されて当然」だと思っている。

人生に、勝手に期待してるんです。愛されることを。

誰も、何もしてない貴方を愛する筋合いなんてどこにもないのに。

つまり、給付金が貰える前提で生きている。だから貰えなくて騒ぐ。
それがどういう理由かは今回置いておきます。大体はちゃんと叱られて育ってないことが原因ですが。

愛されて当然だと思っているうちは人に何かを与えない。

与えないということはどういうことでしょう?

そういう人は無自覚に愛を人から奪うような行為をするということです。

例えば人の話題を奪うとか、食事を奢って貰って当然だと思ったりとか、仕事を手伝ってもらってお礼の1つも言わないとか……

「そんなの当たり前でしょ?」って言ってるから愛されない。

そして、そのことに無自覚。

これを幼稚さといいます。何かをして貰って当たり前なのはせいぜい親と子供の関係だけです。つまり、社会や他人にとって子供な態度を取っているのです。

だけど、何かしらの理由でそれが当たり前ではないということに気付かず、人に何かをされても感謝をしない。感謝をしないということは誰かにそれをやろうともしない。

そういう人を、クズと言います。

つまり、なんで貴方が愛されないかと言うと、貴方が自分の事しか考えていないクズだからです。

親が自分にしてくれたことと同じように他人に求める。

親はいいですよ。生物として遺伝子を残さなければいけないから、貴方が存分に生きて次の遺伝子を残すために色々なことをする。

でも、他人からしたら貴方は別に生存させる理由がないんです。

ましてや、奪ってばかりで返さない人間だったら、ただのゴクツブシなので排除した方がいいに決まってる。

それだけの話です。

「私は親にとても愛されて育ったから、同じだけ愛してくれる人が好き!」

って言う方を沢山見てきましたが、これまで書いた理屈からするとどれだけ馬鹿なことを言ってるかわかりますよね。

親にそれだけ愛されたと言うなら、同じだけ人を愛しなさい。


能動的な愛とは

さて、ここまで愛されないと言う人をけちょんけちょんに言いました。

愛されない、その原因が下心、期待、ひいてはその根源にある幼稚さだということをお伝えしました。

ではこれからどうしていけばいいかについてお伝えしていきます。

『先払いする』ということについての内容になりますが、その根底にあることは

リスクを取る

ということです。与えられるのを待っている時、つまり幼稚な在り方、精神状態のとき我々は自分を守ることしか考えていません。

つまり、自分を守ることではなく、リスクを取って危険を冒すことで、もっと言うとこれまで選択してこなかった、恐怖で選択肢から外れていたようなことを選んでいくことが大事だ、ということをお伝えしています。

能動的な愛にはリスクが伴います。

ですが、誰かが貴方にしてくれたように、貴方もそのことを誰かにしなければ、貴方は愛されません。

「私は親にとても愛されて育ったから、同じだけ愛してくれる人が好き!」

先ほどの一幕

逆に言えば、それだけ愛してくれた人のことは、貴方がそうであるように、自分も好きになるのではないでしょうか?

シンプルです。

貴方を愛してくれた人達は、これまで愛するという行動をとってくれたのではないでしょうか?

その人たちは貴方にどれくらいの時間をかけてくれましたか?
その人たちは貴方にどれほどのお金をかけてくれましたか?
その人たちは貴方にどれだけの気持ちをかけてくれましたか?

一見、ぶっきらぼうに見えたり、愛しているように見えない人もいるかもしれません。

ですが、行動では貴方を愛していることは確かです。

貴方がどういう現在地にいるのであれ、貴方がされたことは貴方ができることです。

つまり、貴方はされたことをし始めることでしか、能動的な愛を与え、リスクを取ることができません。

愛されたいというなら、まず愛する側の痛みを知ることです。

能動的な愛にはリスクがある

そう、愛することには痛みが生じるリスクがあるのです。

自分が好きになった相手にそれを伝えて嫌だと言われたら?
自分が親切にして、それが受け取られなかったら?
誰かのために生きて、それが報われなかったら?

傷付きますよね。

誰かを自ら愛するということは、我々にとって危険なのです。

危険だから、我々は閉じこもって防御するようになり、与えられるのを待つことになる。

愛されないという言葉をいう人は口を揃えて「そんなこと言って自分に見返りがなかったらどうするの!」と言います。

その結果が今です。

それでも、我々は危険を冒し続けなければならない。

沢山傷付いて、それでも人を愛し続けなければならない。

皆、危なくなったら引っ込んで、与えられるのを待ち始めます。

皆そうです。

だから、危なさを超えて愛し続けた人間が幸せを手にしているのです。

幸せそうにしている多くの人は、人に見えない裏側で色々な傷付きを体験しています。

先に愛することが怖い、見返りがないのが怖い、拒絶されるのが怖い、それを超えて、時に恐れたことを体験して傷付きながら前に進んでいます。

愛も金もそうなのですが、自分の努力で得たことのない物事全ては、得るまで怖いものです。我々は知らない物事を恐れます。

つまり、我々が恐怖することはどうしようもなく、そのことの獲得に成功するまで消えることはありません。

ですが、その恐怖を超えて獲得した経験が我々に自信をもたらします。

愛されて安定している人は、そうやってリスクの先払いをしています。まずはそのことを忘れてはなりません。

能動的な愛を与え続けること

では、そもそも能動的な愛とはなんでしょうか?
愛を先払いするということはなんでしょうか?

考えてみましょう。

付き合う前の男女においては、食事に誘うことかも知れません。
プレゼントをあげることかも知れません。
好意を伝えることかも知れません。
食事を何度もごちそうすることかも知れませんね。

付き合った初期においてはどうでしょうか?
こちらから記念日にプレゼント送ることでしょうか?
それともちょっと嫌だなってことを相手の為にハッキリ言うことでしょうか。
何気ない日にあえて豪華なデートをしてみること?
長く一緒に居たいから傷付いた時にそれを伝えることでしょうか?

付き合った中期においては?
旅行に一緒に行くことをこちらから誘うことでしょうか?
一緒に生きていくにあたって価値観の違いをどうすり合わせていくか?
大事な友人たちを紹介することでしょうか?
もしくは、この人と付き合っていくのは難しいと思ったから別れを伝える?

結婚した後だとどうでしょう?
これまで一緒にいてくれた感謝を何かしらの形で伝え続けること?
一緒に居るときにちくっとくる言葉遣いについて伝えるか?
向こうの親御さんにプレゼントを送ること?
子供の為にならない躾をやめるように伝えること?

色々書いてみました。

明確なのは
・ドキドキする
・返ってこないかもしれない
・迷惑かもしれない
・嫌われるかもしれない
・怒られるかもしれない

そういった、自分にネガティブなフィードバックが来る可能性があるということです。

それらは我々にとってはすべからく危険であり、合理的な理由を探して「まぁ、これくらいいいか」と言ってやった方がいいことから我々は逃避します。

それは当然、仕方ないという響きがあり、どこかで諦めることに正当性があるように感じますが、それこそが罠なんです。

そうやってまぁいいやって言っているうちに「愛されない!」って言い始める怪物が出来上がるんです。

「愛されない!」って言っている人が貴方であれば、お聞きします。

「まぁいいや」ってやって、よかれと思ったことをやらなかったこと、過去に物凄い沢山思いつきますよね?

貴方の人生はそうやって「貴方のやらなかったことに復讐されている」んです。

つまり嫌われるかもしれない「よかれ」を誰にどれだけ何を言われようと、やり続けること。お節介、大きなお世話、余計なことだと言われたとしても、それを続けることです。

与えることがうまくなるまで「なんで親切にしてるのに…」って思うかもしれません。

ですが、それは与えることを上達するという自分の為です。

それがわかるまで、我々は与えると言う訓練をした方がいいでしょう。

能動的な愛は忘れた時に意味をなす

そうして、色々なことを人に先払いしていってみましょう。

誰かに気を利かせて、何かをやってみる。
仕事でも誰もめんどくさがってやらないことをやってみる。
好きな人に好意を伝えてみる。贈り物をしてみる。
街中で困っている人がいたら助けてあげてみる。
家族に贈り物を送ってみる。
恩師に久しぶりに連絡を取って感謝を伝えてみる。

最初は「やってあげたのに」という気持ちがあるかもしれません。
何か、拒絶されて傷付くこともあるかもしれません。
当然、今までの生き方によっては利用されることもあるでしょう。

ですが、それをずっと続けている時に気付くはずです。

「先払いしている自分の方がパフォーマンスが高い」ということに。

そのうち、職場や人間関係の中でも気付いていくでしょう。

ずっと文句や愚痴を言って「してくれない」と言っている人より「何が今できるか、してあげられるか」を考えている人の方が好かれていて、仕事もできることを。

「あれ、先払いするって自分の為じゃない?先払いしている状態の方が、自信も持てるし、人間関係も良好だし、人に期待しないし、いいこと沢山あるのでは?」

という心持ちになるでしょう。

先払いし始めてからここまでに至るまで、1年2年かかる人もいるかも知れません。

ですが、自分が先払いしていることを忘れ、先払いすることが自分の為だと気付いた時に、ある事に気付くでしょう。

「人に先払いすることが苦じゃない人たちがなんだか魅力的で、色んなことを自分のためだからって言って、仕事もできて人にも好かれていたのは、こういう世界だったのか」と。

我々は、あらゆる分野において先払いをして、そのことを忘れ、それが自分の為だと気付いた時に、それまでとは全く違うパフォーマンスを出すようになります。

これまで、色々な痛みを感じましたよね?
あの人はこんな気持ちだったんだってわかりましたよね?
親や過去の友人、恩師はこんな思いをして自分に伝えてくれたんだって少しはわかったのではないでしょうか。

人は先払いして、傷付くことで、想像力がつくんです。

これは与えられることを待っている子供の在り方のうちにはわかりません。なんであの人はあんなに色んな人の気持ちがわかるんだろうって人、人生にいますよね?その人は本当に沢山傷付いて、それを乗り越えてきたんです。

偉大な人に見えてきませんか?

何事もなさそうに笑っているその人は、沢山の傷付きを超えてきた人です。

そして、このころには貴方もわかっているでしょう。

過去にした傷付きは、全てこのためにあったのだと。

沢山傷付いて、人間不信になりそうで、嫌な気持ちになって、生きていたくないと思ったこともあったかもしれないが、それがあったおかげでこんなにも想像力ができ、人と信頼関係が作れ、仕事でも能力がついたのだと。

逆に言えば、傷付いた人であればあるほど、誰かに何かを与え続けることです。

それができるまで、貴方は自分の人生の呪いからは逃げられません。

何故なら、その呪いを生み出しているのは自分なのですから。

愛されないことの根本原因

少し話を戻します。

貴方が何故愛されないか?

それは恐怖と恐怖の無自覚です。
人は恐怖によって幼稚なままになります。

そのことで貴方の時間は止まってしまった。きっと、何か過去に辛いことや苦しいこと、諦めざるを得なかったことがあったのかもしれません。

ですが、その時間をもう一度動かす時が来ました。

これまで、リスクを取ること、先払いすることがどういうことかお伝えしてきました。

そして、その中でそれらが自分の為になるということもお伝えしました。

つまり、貴方の時間を動かし始めるには、貴方がリスクを取ること、先払いを始めることしかありません。

そうして貴方が自分の為だったと気付いた時に、全ての傷付いた過去が回収されます。

臆病者は愛されない

我々は傷付くと臆病になります。前述の通り、与えられるのを待つようになります。

こういう人は世の中ではテイカーと呼ばれますが、テイカーは臆病なんです。

自分が過去に傷つき、辛くなり、挑戦できないように心が折れてしまった。だからその場で何かを与えられることを待つようになった。何か、与えてくれそうな人が現れると、本当にその人が与えてくれるのか試すようになります。

ある意味では仕方ないことです。

ですが、それは他人には関係ないんです。

皆、例外なくこれまで傷付いてきたんです。
テイカーだったこともあったかもしれません。

それでも、これではまずい!と思って立ち上がったのです。

貴方と状況は何も変わりません。

世の中の殆どの人より、私の方が酷いですよ。

父親は20歳の頃に自殺して、親には虐待されて15年以上反抗期をして、兄に1億円騙されて。

「愛されない」ということを証明するのにこんな都合のいい人生はありますか?

でも、私は父親も母親も兄も全員許しました。

自分の為です。

これを私が「母親がこうで……父親がこうで……兄がこうで……」って言っていたらどうですか?

手がつけられなくないですか?

誰も解決できないですよね?この問題。

いじけるっていうのはそういうことですよ。

これを読んでいる貴方は、私よりまだマシな人生を生きてませんか?

だったら、貴方の方が簡単なんです。

さっさとリスクを取り始めて生きてください。

臆病者は人を試す

先述のように、人は怖い時に「本当かな?」と言って人を試します。

相手がご飯をごちそうしてくれるかどうか、あえて見定めてみたり、愛してくれてるのか不安で突き放したり。

そういうのが女性のモテテクで語られてますが、それは愛されないという結末に行く試し行為でしかありません。

それを何度も繰り返しやられた人の気持ちになったこと、ありますか?

もし、それが想像できないなら貴方は愛されない人の典型パターンです。先ほどのように、傷付きを乗り越えてもいないから人の気持ちがわからない。自分の考えでしか他人や世界を図れない。人のことを試して、自分が愛されてるか確認しなければ安心できない。

そういう人は疲れるんです。面倒くさいんです。

男のモテテクでどれだけ尽くしてくれるかみたいなのも同じですよ。

結局、人はそういう「試してくる人」のことを長く好きになることはないんです。

何故か?

自分が不安だから相手を試しますよね?

小出しにしかしませんよね?

そうしたら、相手も不安になるんです。

この人と一緒にいても…って思うんです。

そうして離れていくんです。

自分の気持ちの根源と、やったことが返ってくるんです。

得意げになって相手のことを試して悦に浸ってる人は、自分の恐怖に無自覚である心の弱さに目を向けなさい。

貴方が愛されないとすれば、そうやって人を試したり、確認せずにいられないのが自分の心の弱さだと言うことから目を背けて、全部を愛してくれない他人のせいにしているからです。

貴方が恐怖に負けているんです。

そのことを自覚しなさい。

欲しいものは全て先払いしなさい

これまで、全部愛情という軸で話を進めてきました。

これを例えば食べ物で考えてみましょう。
※お金は使えない設定にします。

例えば野菜。
それを育てるために、まずベースとなる種や株を見つけます。
その野菜が育つような土壌を作ります。
そして、水をやったり、肥料をやったりします。
時間と手間をかけますよね。
そうして大きくなったら収穫をします。
その中で、また種や株を育てて…の繰り返しですよね。

これが、自分が慣れてなかったらどうでしょう?何度も種や株は死ぬかも知れません。病気にかかるかもしれない。そうして何度も何度も失う体験をするかもしれない。

そういうのを繰り返して、我々は野菜を育てるのがうまくなって、豊かになっていきます。

これにはコストがかかってますよね?
種や株を見つけて仕入れ、土壌を耕した労力。
繰り返し同じことをして育てた思い出や気持ち。
何度も失敗した悔しさや悲しさ、期待の裏切り。
うまくいったときの喜びや達成感。

色々あって、大変ですよね。

野菜そのものを相手、野菜を育てるための備蓄をこれまで貰った愛情、水や肥料を愛情や手間と考えると、どうでしょうか?

そういうものだなって、受け入れられませんか?野菜に何か期待しますか?相手が育つのは自分の責任だなって思えませんか?

貴方が見てきた素敵な人は、そんなスタンスで相手と関わっていませんでしたか?

逆に、お腹が空いた!と言って近隣から食べ物を奪い、自然から株や種のままのものを無理やり食べていったらどうなるでしょうか。

自分の人生が荒野になりますよね?

愛を奪うとは、そういうことです。

つまり、愛情を育てていくということはコストがかかることであり、時間がかかることであり、時にうまくいかないことも沢山あります。

ですが、それによって相手を責めるでも自分を責めるでもなく、愛する能力を育み、相手との中に信頼関係を築いていくことが重要です。自分がそういう心持ちを続け、相手もそのように誠実であるか、求めることはしなくとも冷静に見ておく必要があります。

話は少しズレますが、自分がそれを行う時に相手を信じる必要はありません。自分が自分の為にしたことに対して、ちゃんとそれがどういう苦労を経由してなされたものか、想像しようとするか、何かそれに対して行動をしようとするか、ただそれを冷静に見ておけばいいでしょう。

わかる人は、それを『当たり前』だと受け取りません。

過去の自分がそうだったように、幼稚な人は何でも当たり前だと受け取ります。

もし、その人が大事な人ならばそれが当たり前じゃないことを伝えてあげましょう。

別に、そうでないならそのまま去ったらいいのです。

つまり、与えるということは自分が付き合うべきでない人を短期で見抜く非常に優れた手段でもあるのです。

これは、与えてもらうことを求めている側には絶対に見えない視点です。

過去に、こんなツイートをしました。

私からすると「食事代を払うだけで付き合うべき人かそうでないか判断できる」のです。そう考えている人は沢山いるでしょう。

愛するという側面においては、払う側が圧倒的に有利なのです。

リスクを取っている方が選択肢が多いのです。

幼稚な人はこれに気付かず「貰えた!」「貰えなかった!」ということに一喜一憂します。

これは、他人に喜びを牛耳られているということです。

そう考えると「愛されない!」ということにウジウジしているということがどれだけ弱く、不利なことかわかりますか?

人が詐欺や変な人に騙される主要因は無知、寂しさ、下心、性欲です。

先払いをする側になった方が、楽ですよ。

傷付くことを覚悟した人しか愛されるようにならない

最後の章になります。これまでも書いてきましたが、結論として言いたいことは

リスクを取る

ということです。

先払いして、失敗したり、傷付いたりして、悔しさを味わう中で、色々な成功体験を得る。先払いすること、与えることが何より自分の為と知る。自分の為と知って、パフォーマンスが高くなる中で豊かさを手にする。豊かになった中で、更に与えていくことで色々なことの質が高まる。

愛も、お金も、仕事も、人間関係も、全てこの繰り返しです。

程度が変わるだけで、どんなステージにいても、これをやり続けていれば進むし、しなければ停滞します。

そして、これをしていくことで、人は審美眼が身に着きます。

先ほど書いたように、最初はうまく行かないことも沢山あります。
これまでの環境が障壁となることもあるでしょう。

ですが、現状に不満があったり、何か向かいたい未来があるのであれば、今日のこのnoteを何度も読み返して、ご自身の人生に活かすことは、間違いなく貴方の役に立ちます。

今日から「~して貰えるから」「~して貰えないから」「~だから」という全ての状況、環境、理由を超え、自ら許し、先払いし、リスクを取る側として貴方が生きていくことを心から願っています。

最後に、この言葉を贈ります。

『あなたの中の最良のものを』
人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい
あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい
最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは、一度もなかったのです。

マザー・テレサ

今日から色んなことを実践する中で、うまく行かないことや、どうしても辛いことがあるかもしれません。

ですが、私のTwitterアカウントには多くの場合、そういった悩みに対する答えがあるかもしれません。私のアカウント内で今の悩みの関連ワードで検索してみてください。

きっと何かヒントになることがあるはずです。

公式LINE

こちら、ご登録をよろしくお願いいたします。

今後もお役に立つ情報をお送りいたします。

それでは、失礼いたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?