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真面目な人はバカを隠している #虎note

こんにちは、虎( https://twitter.com/tiger_stlv )です。

真面目。

日本人と言えば、この概念ではないでしょうか?

貴方は真面目ですか?
そんなことはないですか?

真面目を良いことだと思っていますか?
それとも悪いことだと思っていますか?

真面目という性格は、とかく美徳的に語られがちです。

なんだったら何がなくても真面目だったらいい、くらい言っている人もいます。

貴方も人生で一度は、職場や学校で「真面目に◯◯しなさい!」や「不真面目だな」などの言葉を言われたり、聞いたりしたことがあるのではないでしょうか。

何故、ここまで真面目という概念が一部の人の間でもてはやされるのでしょうか?

不思議に思ったことはないでしょうか。


『真面目』の罠

貴方は『真面目』と聞くとどのような人のイメージを持ちますか?

・礼儀正しい
・感謝をする
・謝罪ができる
・融通が利かない
・面白いことを言わない

など、良い面から悪い面まで様々な印象があると思います。

社会の常識では『真面目であること=良いこと』という認識が一般的でしょう。

ですが、誰がそう言ってるんでしょうか?

私はいつも一般的に褒められる概念があったとき、それを疑います。

何故なら、それは誰かの都合によってもてはやされているだけ、ということがよくあるからです。

「真面目でいいよね」と言っている人の立場を見てみましょう。

親、上司、教師、社会など、目上で、かつ自分のことを使役する側面が強い人がほとんどではありませんか?

つまり、真面目な人というのは本人にとっていいのではありません。

立場が強い側が、御しやすいから真面目な人がいいんです。

それをみんな美徳として信じてるだけで、真面目な人自身はそれで特をしているでしょうか。

真面目な人が理想や夢を叶えているでしょうか?
人生を楽しんでいるでしょうか?
皆に好かれて生きているでしょうか?

自分の人生の「とにかくただただ真面目だなぁ」と思う人を思い浮かべてみてください。


どうですか?


貴方はその人になりたいと思いますか?


真面目というのは使う側にとって都合がいいんです。
言われたことに従う、自分で考えない、つまらない奴がいいんです。


何故か?

それは、使う側も真面目なんです。

使う側も真面目で、人をマネジメントする能力が低いから、反抗されたら人に言うことを聴かせられないんです。

そうやって真面目でつまらない人間がどんどん再生産されて、つまらない人たちの集団ができるんです。


魅力的とは、真面目さとおふざけのギャップのことを言います。

この人はめっちゃ仕事もできる。けどプライベートはめっちゃいつもふざけてる。魅力的な人が想像できますよね。

では、逆にずっと真面目な人は?ずっとふざけてる人は?

ちょっと……って思いますよね。

つまり、真面目さは一面として持っている分には効果的なこともあるんですが、それだけではただふざけている人と同じくらい普通、平凡なんです。

そして、それはこれを読んでいる貴方もどこかで気付いているはず。

では、何故ここまで我々は真面目という言葉に振り回されて生きているのか?

今回は『真面目』という言葉の裏に我々が隠している『ある側面(もうタイトルに書いてる)』とその扱い方についてお伝えしていきます。

真面目さは根本的に自己保身

前述のように、世間的には『真面目=良い』とされています。

ですが、我々は真面目に振る舞うことで自分のある部分を周囲にバレないよう隠すことができます。


一体何を隠していると思いますか?
少し考えてみてください。


真面目は何を隠しているのか?
ふざけている自分?
はしゃぎたい自分?
いや、反抗的な自分だろうか?

立ち止まって考えて見てください。

考えましたか?

お伝えしますね。


真面目さは自分の「バカさ」を隠しています。
なんでタイトルに書いてるのにここまで引っ張った?


例えば、バカであることが周囲にバレてしまえば「あいつはバカだ」と攻撃される可能性があります。人は攻撃されるのが嫌だからルールに従い、真面目なフリをして隠れるのです。

真面目なフリをして生きていれば攻撃されませんよね?

むしろ褒められさえする。

つまり、真面目という振る舞いは安全なんです。

そして、最初は真面目なフリをしていただけなのに、いつしかそれが本物っぽくなって、真面目な自分から抜け出せなくなる。

しかも、どう見られるかが怖いから、その殻を破って何かすることもできない。

真面目な人ってこういう人が多いと思いますよ。
だからつまんないんだけど

たまに、やり過ぎなくらい礼儀正しかったり、多すぎるぐらいの感謝の言葉を口にしたり、何かあればすぐに謝罪をしてくる人っていませんか?

そういう”とりあえず”感謝や謝罪をする人というのは大体の場合、本人自身ですら何に感謝をしているか、何に謝っているかを分かっていなかったりもします。

なので、そういう人は感謝もしてなければ謝罪もしてません。

自分を守るためにそういうことをしてるんです。

そんないわゆる『真面目な人』というのは、自分のバカさを隠していると考えてみてください。

真面目なだけの人が大成しない理由

『真面目な人』は礼儀正しく、とりあえずの感謝や謝罪して、世間的に真面目と言われる振る舞いをすることで、自身のバカさを隠します。

今までの人生で出会った真面目な人を思い出してみて下さい。

「この人真面目だなあ」と思ったとしても、思い返してみれば多くの人は学がないか、もしくは学があったとしても頭が固く柔軟性を欠いた人ではありませんでしたか?

例えば、真面目な市役所の職員に、柔軟に考えれば分かることを「それは決まりなので出来ません」と言われたら「バカだな」と感じませんか?

バカだから考えることなくルールに従い、その振る舞いが結果的に周囲に真面目という印象を与えます。

言われたことに対し、何も考えず「はい。わかりました!」と言い、ルールに従っておけば安全ですからね。

「真面目である」ということは「いかにバカ(な自分)を否定されないか」という承認欲求からきています。

私は「真面目な人は、精神の世界で先に報酬を得ている」と考えています。

真面目で賢ぶる人は周囲に真面目な人という印象を与え、バカを隠します。

真面目であることに執着しているので、そうでない振る舞いを必死に隠します。

それを隠すことで満たされるのは承認欲求だけです。

こうして先に精神世界で報酬を貰ってしまうので、現実において高いパフォーマンスを出すことをしません。

だから、真面目な人は責任を取りません。

「言われたことはやる」という受動的な責任は取るけど、「このチームのパフォーマンスは自分が担っている」という能動的な責任を取りません。

つまり、真面目なだけの人は頼りになりません。

これこそが、真面目な人が大成しない理由です。

真面目さが得させてくれるもの

真面目な人でも、欲しいものがあると思います。

お金が欲しいとか、モテたいとか、注目されたいとか、今以上に承認されたいとか、隠している欲求が沢山あるはずです。

私は真面目な人は大体ムッツリスケベだと思っているので「違う!」という意見は認めません。

だいたいの真面目な人はエッチなお店に連れて行けば「ムホホ」という顔をするのを知っています。

はい。

例えばですが、モテるとか、仕事ができるように思われたくて、自己アピールをするとします。

飲み会に行ったとき、モテたくてレペゼン自分をするとします。

ですが、真面目で賢い人のような在り方のままで「僕はデキるんだ!」という態度を取ったところで、その評価を貰うことからは遠ざかるのが想像に難くないですよね。

それこそ「イタいよね」「アイツ、バカだよね」「話通じないよね」「一緒にいて楽しくない」と思われてしまうかもしれません。

我々は自分のことを守るために、他人から評価されるために、そして愛されるために、真面目なふりや賢そうなふりをして自分を取り繕うので、その防御的な姿勢が継続しているうちは、いくらイキろうとしてもイキれません。

それどころか、逆に無理してる感が出てしまって高いパフォーマンスすら出せなくなってしまう。

こんなに一生懸命ルールを守って、礼儀正しくして、手に入るのはそんな結果です。

こう考えると、周囲から真面目な人という風に見られるために真面目なふりをすることって非常に損だと思いませんか?

そう。

生きていく上で、真面目は損なんです。

真面目っていうのは、得しなくて、つまらなくて、モテなくて、好かれないんです。

そういう生き方で、いいんでしょうか。

自分の恥部をさらけ出せ

さて、だいぶ真面目なことについて否定してきました。こうなるとそろそろ

「真面目に頑張ってきたのに…じゃあどうしたらいいんですか!」
「真面目にやったほうが評価されるんじゃないんですか!取り返しがつきませんよ今更!」

という声が聞こえてきそうなので、そういう声にもお答えしていこうと思います。

まずですね。

人生、真面目に振る舞ってバカを隠すよりも、賢ぶらずにバカのままでいた方が好ましいことが起きるんですよ。

バカと天才は紙一重などと言いますが、利発な人ほど可愛い部分やおバカな部分を持っていて、多少おバカな一面のある人間の方が頭がいい場合は多いです。

高田純次さんや所ジョージさんなどを想像していただけるとわかりやすいのではないでしょうか。

彼らの楽しそうに振る舞っている姿は「少しおバカだな」と感じさせますが、たくさんの番組を持たれていたり、ハッと考えさせられるような一言を残したりしていますよね。

バカさを隠さず、「俺バカなんだよね」と言って素直に学ぶことができれば、少なくとも愛されたり、成長したり、何かしらの現実的な報酬が手に入ります。

いわば、愛されることの基本条件は「バカさ」なのです。

例えば、あなたの好きな犬や猫が、バカさがまったくなく、物凄く真面目で賢く、抜け目のない振る舞いをしてきたらどうでしょうか。

散歩をしても喜ばない、餌をあげても仏頂面、呼んでも嬉しそうに走ってこない、遊んでもずっと冷静なテンション、いくら一緒に過ごしてもなついてこない。

可愛げがだいぶなくなってますよね?

犬や猫を可愛いと思うのは、バカでマヌケだからです。

先にバカをやってくれているから、安心して愛し、可愛がることができます。

つまり、バカさを先に与えてくれるから愛せるんです。

反対になぜ、バカを隠したら愛されないのでしょうか?
それは相手もバカを隠しているからです。

自分のバカを隠せば、相手も同時にバカを隠します。
どちらも相手に与えることをせずバカの隠し合戦を真顔でやっているようなものです。

これをバカバカしいって言うんだよ!!!このバカ!!!

バカさであれなんであれ、相手に先に与えるから愛される。

だからバカを隠すと愛されないわけです。

開き直ることとは異なりますが、バカをさらけ出せる人というのは、側から見れば本当に楽しそうに見えるものであり、実際に本人も楽しいものです。

もし、あなたが人生を楽しみたいのであれば、愛されたいのであれば、真面目さを捨て、バカを隠さないことが必要なのかもしれません。

我々はおバカなぐらいがちょうどいいのです。

「バカな自分を晒すのが怖いんです」って言う人もいそうですが、安心してください。

真面目でつまらない時点で頭が悪いのなんてバレてますよ。

だって、バカだから真面目になったんでしょ?

皆、貴方より頭いいからそんなことに気付いてますよ。

さっさと時と場合とわきまえて、自分の恥部を晒して生きなさい!

チ〇コが小さいとか、数学のテストが7点だったとか、
小学校の時授業中に「ブリュブリュウウウ!!!」って屁をこいたとか、
窓開けてオ〇ニーしてたら窓清掃業者さんに見られたとか、
振られた女のことを忘れられなくて自転車で1時間かけて毎日会いにいったとか、
なんかそういう頭の悪いエピソードあるだろう!!!
※全部俺の話じゃねぇか

そういう、自分のバカさゆえに恥ずかしい思いをしたことを沢山話せる人間が、人にも好かれるし、大成もするのです。

世の中、見ててわかるでしょ?

最後に

私は日頃から、愛情やお金や時間などなど、あらゆることを「先に貰うな」と言っています。

その理由はここまででお伝えした通りで、先に貰ってしまえば現実世界で高いパフォーマンスを出せず、その上愛されないからにほかなりません。

真面目というのは『誰かから何かを奪っている在り方』かも知れないとみてみてください。先述の、市役所の融通の利かない職員はコミュニケーションや気持ちを他人から奪ってないでしょうか?決まりだから、とほかのところでもリスクを取らないで生きているのが見えますよね?

それって結局真面目なフリして、自分を守るためにやりたいようにやってるだけでしょう。

自分を守り、貰いたいものを貰うことだけを考える人生では、あなたが本当に欲しいもの、人間関係、人生は手に入りません。

人に評価され、愛され、パフォーマンスを高い人生を生きたいと思うなら。
勇気を出して真面目さを捨てましょう。

バカを隠さず、バカさを相手に与える。

不真面目に生きろってことじゃなくて、バカさを晒すリスクを取って生きろってことです。

そのギブから始めてみてください。

今までどんなに真面目に頑張っても手に入らなかった本当に欲しいものは、そこから手に入るかもしれません。

以上!

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