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“愉快なオトナたちのリアル講義”〜Go Fuck Yourself〜前編

高校生によるオトナたちへのインタビュー第12講
ギラギラとオーラを解き放ち、人情に熱い”ヘルズ・エンジェルス”功刀(T.J.K)さんによるリアル講義
JAIL GUITAR DOORSのギターヴォーカル、そしてヘルズ・エンジェルスのメンバーとして人生を謳歌する功刀さんの思考を聴き解く今回のインタビューは〜Go Fuck Yourself〜。驚異的な英語力とコミュニケーション能力で、天才的に人間関係を構築するプロフェッショナルの思考法をここに書き留める。









1,古着:AmericaⅠ


1,古着:America Ⅰ



忙しいんだよ、オレの人生。西へ東へ。


アメリカに行ったのが22歳で、それから古着の卸ろしをやってた。初めは語学留学のビザ取って、古着が好きだったからアメリカの原宿みたいなとこ行ってさ。溜まり場でコーヒーとかビール飲んでて、「今何やってんの?」みたいなのがあって。「いずれ日本には帰るよ」って返したら「留学終わってから何すんの?」って言われたから、あんまり考えてないなって。そしたら、せっかくだし古着でバイトしないかって誘われたんだ。

日本語も英語も喋れる奴がいると会社のプラスになるっつって言われて、「おん。おんおんおん。」みたいにとりあえず日本に戻って身辺整理だけしてまたアメリカに帰って来て。当時、ビザが緩かったから。
古着のカウボーイブーツとレザー物の古着を扱ってる店の売り子して、ほんと原宿みたいだったよ。いかりや長さんみたいな有名人も買い物に来るとこで。

そっから知り合った奴らが、そんだけできるなら独立しないかって。最初はフリマで委託販売して。お得意さんを増やして自分らで仕入れて売るようになってから、日本のお客さんからもオーダー受けて、みたいな。

ギターウルフがアメリカのツアーに来る時も全部ケアしてあげたりしたな。窓口としてゴロッパチやEddieなんかのギターウルフが呼びたい奴らの口聞いてやったりな。おもしろかったよ。

もともとアメリカに語学留学って来たこと自体は、自分自身への言い訳だったんだけど。働きたくなくて、でも外国に行きたい想いだけは強くて。語学留学だったら3ヶ月もアメリカに入れるじゃんって。あ、マジ?と思ってじゃあ行こって。
そこで全てが始まったよな。

行けば現地の知恵があるじゃん。お金だけ払えば滞在できるよって、それでいて。ダメになってからは、3ヶ月経って日本に戻ってまた2週間してから3ヶ月アメリカに帰って。そんで2週間日本、3ヶ月アメリカの繰り返ししてたら、お前の生活どこにあんだよって、Japanって答えたら、違うだろって。次の入国は認めないって言われちゃって。

どうしよっかなってしてたけど、それでも半年後に入れて。でもなんかそれって面白くないじゃん。
限界までは楽しんだんだけど、イヤになっちゃって。

古着のゴールドラッシュも終わって、ビンテージの1枚何十万とするのを掘り当てるのから、ノルマみたいになってああこれはくだらんと思って。毎日のようにきな臭い埃っぽいライブハウス行って、大した値も張らんから100枚200枚とTシャツ買って、なんでオレアメリカいるんだろってなったね。
やりたいことがアメリカではなくなって、全てやんなっちゃった。

それでたまたま実家戻った時に親父と話して。「いつまでアメリカいんの?」って、わからん。「わからんかー、でもそろそろ日本に帰って来てもいいんじゃね」で確かにってなっちゃったから、今もうアメリカつまらんしって帰って来た。
帰ったら帰ったであとはピーしか言えないことばっかの人生になって、忙しいよな。でも楽しいよ。




2,AmericaⅡ


2,AmericaⅡ




今何やりたいの?ちゃんと考えた方がイイよ。アドバイスはちゃんとしてやるから。だってお前、すごい恵まれた環境じゃん。その環境は生かした方がイイぜ。


オレはヘルスエンジェルスに入って5年目で、毎年いろんな国に行くけどそれがいい。すごいね。
ハンガリーとかブータンとか、飯美味くねぇけどスープだけ美味いなとか。はずれた国はおもしれーよ。

スロバキアで毎日スーパー行ってたんだけど何買ってたと思う?ヨーグルトドリンクとフルーツだよ。それがうめえの。食うもんの合う合わないってのも面白いからな。

カリフォルニアには古着の卸で6年住んだけど、大好きだったな。イージー・ライダーじゃないけどバイク乗ってフリーダムって、自由が見えたな。今もうないと思うけど。
30までしかいなかったけどそこに自由があって、カッコよくいられたんだよな。

その頃ギターウルフがアメリカツアーに来てたからさ。デッド・ケネディーズのビアフラが「お前カッコよかったよ」って。ビリーなんか「こいつ誰。」なんて言うんだよ。ビアフラだよって言ったら、「ああそうなの。センキュセンキュ」ぐらいないい加減さで。でもギラギラに輝いてたね。最高に楽しかった。

音楽も古着も一番ゴールデンな時代で、古着はオレにとってはおまんま食うためのものだったけどね。学ぶことばっかだったよ。むこうのロカビリーの人間とも仲良くなれたし。

もともと古着を始めたのも、ロックと古着どっちもが好きで天秤にかけてみたの。どっちのが金になるかって。それでちょっくらアメリカ行くわっつって、古着で稼ぐことにしたわけ。

古着も当時流行ってたから。アメカジって言葉が出てくる時代で、渋谷の渋カジって呼ばれてる当時の奴らなんてみんな知り合いだよ。

だから、ロックで食うことはそこで諦めてた。ロックやったキッカケだってそりゃ、女にモテるためでしょ。学園祭でギター弾いたりの延長じゃん。ルースターズやモッズが青春だったからよ。イライラは全部音楽でかき消してたね。
山梨で最初のサイコビリーバンドも2年くらいやってたし。ウッドベースもちょっとやってたんだけどよ、ギターに変えて一筋だな。

だから、意外と浮気してないな。もちろん私生活も浮気してないんだよ。そしてギターもずっと続けられてんよ。




3,信用Lv.3


3,信用Lv.3




なるべく、オレは人に対して求めないようにしてる。
なんつーか、10人仲間がいて、10のコトを10人全員に求めてもうち1人はできないコトがあるしさ。



中にはオレに唾吐いて裏切ったヤツだっているよ。いるけど、コイツは3の人間だから裏切ったんだ。でもオレは、3の人間だししょうがねぇなって思えるから、そんなんでも付き合えんだよ。
みんながみんなには求めちゃいないから付き合える。


レベル10を求めるからダメなの。全員信用もちろんするんだけど、3信用する人には3だけ求めるの。4信用したら裏切りで傷つくじゃん。そんな世の中、10の人間なんてそうそういないから。

場面によって数字も変わるけど、人によって振るレベルを変えればいいの。そしたらなんのストレスもないよ。
テキトーテキトー。期待しすぎると損するから。

自分で動きなよ。相手に合わせる必要なんてない。

期待以上の損も予想以上の裏切りも、そうしたらなくなるよ。なんでも人に話せるようになる。隠す必要なんてなくなる。5のやつには5の話すりゃいいし。

3のヤツが4をしたいって言ったら、4を教えてやりゃあいい。なれるかどうかは知らんけどね。見してみろよってハナシ。できなかったら、だからお前3だよなって。納得できるよね。それのが楽だよ。




4,AmericaⅢ


4,AmericaⅢ



古着のネットワークは簡単にできたんだ。当時買い付けに来る人なんてたくさんいたんだから。
オレたちもお店で居て、「今どう言うの欲しいんですか?〇〇ですね。じゃあ今度仕入れたら連絡します」って伝えて、「え、この値段んでいいの?」って。全然いいですよ、みたいな毎日だった。今でもね、革ジャンのネットワークなんかは残ってるよ。



アメリカは当時物騒で自由で楽しかったからよ、むこうはチャカ持ってんだけど俺たちは車の中にバット入れてさ。バットのがカッコいいじゃん。

それで向こうがガン飛ばしてきたら、なんだこのやろー!ってバット持って走ってって。2000年より前かな、なめんじゃねぇよ!って。

たぶんね、本気でやってたら死んでたね。うん。カッコだけだぜオレたち。でも、絶対に引かねえよってプライドとして持ってた。そしたら自然と仲間になってくの。そしたらさ、周りのヤツらのが多くなってって、輪の小さい中で絶対曲げないでやろーねって。それがまかり通る時代で、それがアメリカだったね。だから今でも違う形でカッコよくあろうってやってるね。




5,人を使う


5,人を使う




バンドでメシ食ってないし古着もやめちゃったから、今は広告会社のオーナーだね。優秀な部下がいるから、もし明日オレがいなくなっても会社のこと全部回してもらえんの。
社員は4人いてみんな音楽の人間。俺が音楽やってくのに必要な人間、それからツッパってくためのツレね。仕事に困ってて、そういった履歴書を持ってきて入ったヤツらじゃないな。勉強できるできないみたいな履歴なんて一切俺ん中じゃ関係ないしさ。



そいつらは俺のバックボーンを支えてくれる大事な人たちだから。それってすごい楽じゃね?

でもお前、作れるぜ。その環境を。
使えばいいんだよ、人を。甘えるとこは甘えとけ。

そんで音楽やるならイギリスかな、やっぱ。掘った音楽ならアフリカで、セネガルなんか面白いぜ。
イギリスなら人紹介してやれるよ。なんだったらポール・シムノンでも紹介してやるよ。

東南アジアなんかも面白いよな。けど、発信塔として自分でリーダー切ってやるなら、まずは洋楽の中での自分のポジションを作って。そこから日本の、アジアの音楽はこうだ!って方が楽しくね?
主導権取って発信できるしよ。

ギャスみたいに、一番古いロンドンのクラブでDJ回してるとこのスタンスの奴らと知り合って。グローバルなミュージックのヤツらと仲間になってさ。発信する立場になりゃいいじゃん。

“人を使う”って言葉も、”人に頼る”って言い換えれば自分のための環境が作りやすいかな。人に頼れ。
人を使う、頼む、頼る、背中を預ける…。言葉の使い様よな。実際は人を使ってるとも言えるんだから。

そういう言葉の言い換えみたいな、オレは好きだな。ペン1本で詞を書くシンガーソングライターだから。
人を使うには使うけど、思いを託すし。信じてるからやってくれるはずだし。だから俺にお前は必要なんだ!って。それで十分じゃね?

日本語は生きてんだよ。そう生きてる。言霊だよ。






いざ功刀さんへのインタビューを始めようってところで、主導権は功刀さんに握られちゃってたから、いきなり僕自身の進路相談から始まっちゃって。本当に参ったね。インタビュー中もちょくちょく、「で、何したいの?」とか進路相談が挟まってきて、インタビュー記事内でもそれが反映されてます。でも進路相談みたいな感じになったからこそ、本気でやろうと思えた。勉強もこのnoteも。それが伝わっていただけると嬉しい限りです。

明日中編!今回は3部作になっております。震えて待たれよ!!


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