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“愉快なオトナたちのリアル講義”〜CHABE〜✙

高校生によるオトナたちへのインタビュー第10講
様々なバンドを陰で支えつつ、自分の音楽で弾き語りからバンドまで魅せる”ミュージシャン”CHABEさんによるリアル講義
2002年日本アカデミー賞最優秀音楽書も受賞し、LEARNERSを率いる松田”CHABE”岳ニさんの思考を聴き解く今回のインタビューは〜CHABE〜。みんなに愛されるプロフェッショナルの思考法をここに書き留める。








1,パーカッション:atmosphere


1,パーカッション:atmosphere



ミュージシャンでDJやってて、キットギャラリーってスペースの運営やってます。LEARNERSってバンドして、ソロで弾き語りやって。サポートミュージシャンとしてBACK DROP BOMBでパーカションやったり、鍵盤をFRONTIER BACKYARDではやらせてもらったり。LEARNERSではバッキングギターなんだけど、頼まれたら僕は、ベースであっても鍵盤であっても楽器を持ってサポートにお邪魔しに行く。


いろいろ楽器やってる風だけど、全部独学でやってる。例えば、小学校入学して一時が経てば漢字が書けるようになるし、子供は生まれて数年で喋れるようになる。てなると、2,3年あれば大抵のことはできるようになるって、思ってるね。その先はもちろんあるんだけど、努力の領域が。

でも、自分の求められてる鍵盤の演奏はバンドのアンサンブルの中のものだから。このくらい弾けたらあとはセンス、みたいなイメージなんだよね。才能とセンスは別物なんだけど。

初めはパーカッションから入って、自分の中でパーカショニストって自由なイメージなの。バンドには通常で言うと、ギタリストがいてボーカルがいてベーシスト、ドラマーって。パーカショニストっていうのは、その最後に加わっていろんな要素を付け足す役割にあるんだ。色を足していくのに、変な話、ドラマーのいるバンドにパーカッションはあってもなくてもどっちでもいいじゃない?

で、それも楽器する人のいる意味の持たせようで。そういう脳みそでいられると鍵盤も、こういう音が今鳴ってたらいいな、なんて。
ギターでも鍵盤でもサポートでいるときはパーカッション目線というか、ちょっと引いたプロデューサー視点でバンドのことを見てあれこれ足してくんだよね。そんな大層なモノが弾けるわけじゃないけど、このレベルでもそこに加わらせてよって。途中からそういう考えになっいって、その眼は養われたんだと思う。

自分の演奏は、うまくはない。うまくないんだよ、鍵盤奏者とは絶対に名乗れないし。その場には、たまたまパーカショニストが鍵盤の音を入れさせてもらってます、みたいな感覚で入ってて。その楽器一筋の人たちなんかにはホントに申し訳ないとか、思っちゃうよね。

cupsだって子供の頃にやってた遊びのひとつで。アルプス一万尺みたいな手遊びは昔からみんなしてるから、あれの延長なんだよ。
どうしても、楽器が難しいって思っちゃうとハードル高いから。打楽器やパーカッションなんかは誰しもちびっこの時にタンバリンとか、やってたことで。その感覚でいたいよなっていう思いも込めてる。

上手い下手ではなく、ここにこうあればいいなって。
もちろん上手い人たちは尊敬してて、大好きなミュージシャンいっぱい上手い人ばかりだけど、でも自分がそうなる必要はないって。サポートとして加わりたいなって。

それを僕は、雰囲気を充てる。アトモスフィアを充てるってよく呼んでる。

有名人になるには2通りのセンスの磨き方がある。
自分が有名人となる器を磨くか、有名人となれる器を持つ人を見つける眼を磨くことだ。




2,History


2,History



中学の時はサッカーをずーっとやってて、その頃も音楽が好きだったの。流行りのものからいろんなの聴いてた。


高校生になってもみんなと聴いてた曲は似通ってて、パンクなんかは1,2年の時にブルーハーツが出てきて、うわこれすっごいカッコいいなって。周りもそれぞれで音楽聴いてたから、音楽とファッションにはずっと興味があったんだ。特に聴いてたのはパンクロックとかインディーズのものなんだけど。

高校では洋服とレコードが欲しくてサッカーを辞めて、3年間バイト漬けの日々。勉強も部活も全くしなかったし。
でも特定のものを聴き続けるというよりは、全部がカッコよく聴こえてたから。ビースティ・ボーイズも聴いてた。
だから、誰か好きなアーティストがいて、インタビュー記事を色々と読んでその人が好きな曲を聴き漁るって。ずっと学生の頃はそんな感じだったかな。

SNSは早く事実が無数に存在する。マスメディアは遅いが事実が数通りである。




3,Tokyo


3,Tokyo



18で東京に出てきて、とにかくDJがやりたくてレコードをたくさん買い漁った。そのレコード自体は東京に来てからちゃんと買い出して。高校の時も買ってはいたけど、レコード屋が段違いに東京にはあるからね。


高校生の時はよくある、ベースを学祭で弾いてよ!みたいな。誘われてやってみたけど、そこで自分はあんまり楽器向いてないんだなって思っちゃって。タブ譜見て弾いてって、ちょろっとって感じだったから楽器やってたうちに入らないとも思うし。
それもあってレコードを買って聴く方が好きになっちゃって。

それで、DJやりたいって、東京でDJのパーティーにそれこそたくさん行って。そんな時にソウルのバンドやってる人から、パーカッションして欲しいんだけど、ってなって。練習したのが最初になるかな。おかげさまで。

1990年代前半は、僕の印象では東京ではジャンル関係なく、音楽好きがクラブに集まってたりしてて、混然としてた。
その時にやってたヤツの中には、今はラッパーやってるのだっていて、90年代初めはいろんな人が東京で交わってたなって。

DJの一環で僕はレゲエも好きだったから、レゲエのクルーにも所属しててレゲエも歌ってたり。

それでも、一つの色だけが見えるイベントにはならないようなパーティーを当時からやってたと思ってて、今もね。ジャンルに囚われずに、いろんな音楽を一夜で聴くってことを意識して開くようにしてる。

僕ら世代は、ゴダイゴが国際児童連の影響もあってすごく刷り込まれてて。小学生の時好きだったんだよ。それが後々、大きいものになっていってる感じはするんだ。好きなものの凝縮って感じがすごいしてて。
POPなのが好きなのも、パンクが好きなのもだけど、メロディーのいいものが好きっていうことはそこが絶対あるかな。

逆に言うと、自分から出てくるものはそういうのしかなくて。LEARNERSでだって、難しいことはやらないっていうか、自分にはできないって思ってるから。やってみることが大切で、それでも向いてないことは、やらなくたっていいんじゃないかって思ってるな。

14の時に聞いた曲を人は一生聴き続ける。




4,分岐点


4,分岐点



分岐点。1番やっぱりこれは分岐点だったなっていうのは、やっぱり東京に出て来たことなんです。広島に残ってたらこうはなってなかったと思うし。広島でやることは自分にとっては当時なかったから。


始めは大阪に行こうと思ってたんだよ、友達もみんな行くって言ってたし。でもね、受かった大学の都合で東京に出ることになっちゃって。ひとりぼっちで出て行ったんだ。大阪の方が憧れも強かったよ。友達と離れたくないっていうのもあって。

出て来てから1,2年は友達がいないワケだし、すっごい広島に帰りたかて。いわゆるホームシックというか。
だから、イベントに1人でいつも遊び行ってたな。そこで友達もできて、徐々に東京の地が自分の中でメインになっていくんだけど。

とにかく、音楽が知りたかった。新しい音楽にたくさん触れたくて。
その時はDJになりたいって気持ちが大きかったから、DJのいるバーに行かなきゃって。それがもう、すっごいワクワクで楽しかったの。

1人は寂しかったけど、それよりも勝る刺激だったりとか新しいものに触れられる喜びだったりとか。カッコいいなオシャレだなってそんな憧れでいっぱいだった。

行くとこに集まってる大人たちは、みんなキラキラして。どこで、あの古着売ってんだろとか思って。
東京はカッコいい大人たちばっかりで、1人でそこに飛び込むのが心地良かったね。ネットなんてないから何もわかんないまま行くしかないし。情報を見て、ドリンクチケット一枚で朝まで粘る、みたいな。

当時、カッコいい人はカッコいい曲聴いてて。

雑誌は2ヶ月前に編集されたものが世に出回ってるから。単純に広島にいると、雑誌・テレビ・ラジオが情報源になっちゃって、そこに知りたいものはなかったんだよ。東京にいるとその中心だから、どこ行っても、あ、コレじゃん!みたいな。音楽の一番カッコいい世界と、洋服の一番カッコいいを着てる人は一片にいて憧れで。

そんな人たちを見て、どうやったら自分も主催者になれるかって。1人で生意気な部分もあったけど、やりたくってしょうがなくて。

ずっと通い続けてると、誰もがよくみる顔になってくんだよね。それでお客さん同士として繋がっていく。そこから友達になった同年代の人たちと、イベントを企画し出したの。

そんなことをやらせてもらってて、今振り返ると大学の友達よりも外でできた友達の方が濃ゆかったんじゃないかって思うな。未だに、趣味は全然違うんだけど大学の友達で付き合いある人もいるんだけどね。

外に飛び込んでいくってマインド。僕の見てる景色は180度変わったから、じゃんじゃん飛び込んでみたのが良かったんだろうな。

無になって飛び込め!




5,好奇心


5,好奇心



DJやったり企画をやらせてもらってた20の時は、音楽やってく覚悟なんてなかった。イベンターにはなりたかったけど、バンドマンになろうなんて気はこれっぽちもなく。それまで楽器やってなかったのに、感覚の話で言うといつの間にかこの道に携わることになってたね。


だから僕の場合、楽しいことを寝る間も惜しんでし続けてたらなれた。だからね、好奇心があるうちは大丈夫だって思ってるよ。なんだろアレ、知りたいなって思い続ける好奇心。
それがイベントごとじゃなくても、家でできることでもなんでも、好奇心を発生させることに今は特に正解がないから。

好き!とかワクワク!とかあるといいよね。

そういうのに出会える確率を高めるために、僕は人や物に触れていって、楽しい人と飲んでる。
あとは、本を読んだり映画を観たりする。好きなものを探しにね。だから、人に勧められたものは、自分には合ってないんじゃないかって感じても大概観てみるんだ。まずはね。

発見があるかもしれない!まだ見ぬナニカと出会う時に考えてるのはそういうこと。

発見、冒険。ワクワク!




6,展望:10th


6,展望:10th



僕、1970年生まれ。


10歳で1980年、20歳は1990年。2000年代は丸々30代でぴったり節目、みたいな人生を送ってる。
2001年の9.11同時多発テロは、そんな僕の人生にとっても大きな事件だったわけ。このままフワフワ音楽やってても良くないな、勉強しよ!って。なんでこの世界がこうなってるのかを知ろうとしたキッカケになった。

最初は、近代ヨーロッパの歴史を読んだりってとこから始めてみた。

2011年の3.11東日本大震災で、今度はもっとアウトプットしなきゃってマインドが切り替わって。自分の中に吸収したいろんなものを教えていかなくちゃって感覚。

いや、教えるっていうと変かもしれない。伝えようって、メッセンジャーとして。
9.11から10年経って次は3.11。地震がキッカケとなって原発だったりの人との分断が起こってて、そこで僕らは何を学んだんだろうって。

今までインプットしてきたものがどう役に立つのか。ああ、この時のためだったのか!って、妙な納得はあったよ。

2010年代前半の5年はどうしようって、すっごい不安だった。そこでキットギャラリーを始めて。2011年のタイミングで弾き語りも始めた。
そして、2015年からLEARNERSを始動させてもらって。音楽以外のアート分野の活動も2010年、40歳から。

そうやって、0がつく節目の年に10年後までをちょっとイメージして、新しいことしてたんだけど、それがクセになるくらいに。2020年の僕が50歳ちょうどになっては、パンデミックで何にもできない状態になったじゃない。

全て3年ズレくらいになって、しょうがないけど、イヤだしどこか気持ち悪いって感覚がね。

今はようやくやりたいことがぼんやりとようやく出てきて、60歳になってのこともうっすらと描き始めた。でも、こんなことしたいってあるけど、今はまだ言葉にはしづらくて。
今言えるのは、自分が10年間キットギャラリーをしてたのを誰かに繋げたいってこと。自分のことよりもキットギャラリーとして、バンドとしてってことを考えてる感じかな。

この3年は自分を見失わないように見失わないようにって。バンドが存在すること自体の幸せを感じてた。売れようが売れまいが、このバンドを続けられて幸せだなって。
50歳だから、もう全部オマケって感じだよ。まだ続けられてるっていうのが。

キットギャラリーに関しては、デザイナーの人とシェアしてた原宿の、ちょっとした空間があったんだけど、その人が忙しくなって解散!ってなったから。2010年の夏に一回解約したの。でも楽器とかレコードの置く場所ないってなって、もうひとつの空間で今はキットギャラリーになったスペースに置くようになって。ただの白い箱なんだけど。完全にそこも、成り行き。

今でこそ、キットギャラリーみたいなのは全国で増えたけど、2010年ではほとんどなかったから。こんなの作るんだって言ったらみんながこぞって、え?!なんで?って言ってた。

やったら面白いから。って言って、ホントありがたいことに今がある。

自分がやりたいから、やったら面白いからは理由となり得る。




7,books


7,books



昭和の作家のエッセイが、読んできた本のジャンルの中では特に好きで。
山口瞳さん、向田邦子さん。向田邦子さんは神がかってるな、もの凄いな!ってくらいキレッキレで、自分の中でバイブルだってぐらい好き。基準のひとつになってる。


小説は結構、インプットをたくさんしてた時期に読んどいた方がイイものは読んできてたんだけど、名作とか。嗜み程度には。

それでも好きなのはエッセイになったね。時代のわかる、時代を切っていってるモノだったりするとこが痛烈で。

カートヴォガネットさんのは小説も随筆も好き。カッコいいっていうか、憧れる。哲学みたいなモノだと思ってる。

それが30歳ぐらいからで、20代は忙しくて。音楽も遊びも一生懸命にしてた。好きな音楽を聴いてると、本や映画にまで気が回んなかったの。時間なくて。バイトもあったし。

それから29歳にソロアルバムを作って、30代ではもう一枚作りたいって目標があったのね。でもその時の自分から出てくるモノって、音楽から得た世界観しかなくって、歌詞にはそこまで繋げられないなって。音楽はいっぱい出てきてたんだけど。

これはもうちょっと本を読んだほうがいいなって思って。漫画はずっと好きで読んでたから、その影響はずっと受けてたのかもしれないけど、30歳になってもう1回勉強し直そうって思って。

それでとにかく色々読みまくってたから、それから大きな影響を与えられてるね。本のブログも1日1冊つけるってこともしてて、結構な量読んでたと思うんだ。

その頃はもう活字中毒になって。レコードとか音楽に好きで触れてきてたけど、本からは新鮮な得られるものがあって、それに対する喜びみたいなのがあった。

本を読む時に音楽を聴きながら読んでるのって思われるかもしれないけど、僕はそれができなくて。特に好きな音楽を聴いてると本の内容が入ってこないし。逆に、読書に集中してたらなんの音楽が流れてきてても聴こえてなくって。人に呼ばれても気づかないから、ああ気づかなかったゴメン。みたいな。

本を自分はたくさん読んできたけど、それはなんでもよかったのかもね、今思えば。写真集でも漫画でも。括りとしては紙でできたものから吸収して、1年間ブログにあげるって生活は楽しかったかな。

インプット&アウトプット




8,バンド:Backing Guitar


8,バンド:Backing Guitar



僕はギターでバッキングしかやってないんだよね。本当に高校レベルというか。
今の高校生の方が断然上手いと思ってるし。


バッキングしかやってないのも、例えばLEARNERSには素晴らしいベースとドラムがいて、Chieちゃんってギターだっていて。その間を埋める壁というか、フワーッっとした、自分だったらバッキングギターっていう存在がないとサラちゃんの歌が孤立しちゃうな、って勝手ながらに思ってて。全部のアンサンブルを考えてコレが最適だって、自分の中ではなってる。

あとは自分が前に出るってタイプでもなくて。弾き語りは仕方ないにしても。

バンドは一瞬一瞬で主役か変わっていくんだよ。決して、ヴォーカルがずっと主人公なわけでもなく。
このヴォーカルの裏で弾くギター超カッコいい〜って時、それを聴かせたいから自分の手を軽くしてあまりガシャガシャさせないようにしたり。ベースのソロだって、カッコいいなーって思って傍で聴き入ってるし。

それがLEARNERS以外のバンドでも同じ。
自分の歌う曲はオマケみたいなものだって思ってる。でも自分で歌うときは、この曲を好きでいてくれてる人がいて嬉しいなって。そんなお客さんに伝わってもらえればいいなって。

自分以外の4人が1人ずつ歌う曲を持ってて、カッコいいな・おもしろいなって、それがやりたかった。
あんまりこういうのやってる人いないよなってのをするのが自分の中で、ひとつの基準なんだよ。誰かがやってることはやりたくなかったから。
ロックンロールなんてやり尽くされてるけど、、こういうメンバーでこういう魅せ方のバンド、今までなかったでしょ?って。LEARNERSはそんなバンドにできたのかな。

バッキングギターに徹してるのも、実際問題ものすごいギターなんて弾けないし。Chieちゃんのようなすごいプレイヤーと一緒に音楽ができての喜びだってあるから、リードするギタリストにはなれないな。

結果として、自分はひとつのものだけを上手くなる人にはならなかったね。努力がただ嫌いなんだろうけど。だからこそできた、今があるっていうのはひしひしと感じてる。

ひとつをやり続ける人、複数を器用にこなす人。世の中には多種多様な人がいる。




9,座右の銘


9,座右の銘



座右の銘は『一期一会』。そしてキットギャラリーの『KEEP IN TOUCH』。連絡をとり続けようねって。


出会った縁を大事に。

それから、生きるうえでの指針・哲学は、人ではないな。自分の中にあるものを大事にして生きていきたいし。

色んな人に言ってるけど、自分は主役ではなくていいと思ってる。人生と弾き語りの主役はしょうがなく自分になっちゃうけど。小さい頃から利他的に生きようってのはあったよ。

それは、環境が教えてくれた。
困った人がいたら助けるなんて当たり前っしょって。


そう言うの自分がやってて楽しいの。気分も良いし。自分の誕生日会はやんなくていいよって言うけど、周りの人の誕生日会はホイホイ企画して。それが楽しいんだ。

だから、イージーだけど、楽しいことを続けてく努力ならどんだけでもやっていきたい。

イツモ、イツマデモ。連絡をとり続けよう。




10, 弾き語り:Japanese


10, 弾き語り:Japanese



TEENAGE KICKSとかも、本当はルール違反だと思うけど詞を書いてて想いがノッてきたんだよね。ハマった感覚というか。


東日本大震災から弾き語りを始めて、バンドのライブができなかったから。それまでは英語の歌詞でお客さんの前で歌ってたけど、英語の分、ちょっとメッセージとか想いが伝わってないのかもなって感じがして。日本語で歌いたいって思うようになって。

バンドだったらバンドの演奏で盛り上がれるけど、弾き語りだと、観客に伝わってないと盛り上がりきれないんじゃないかってジレンマもあって。
それで、どんどん自分で作ったオリジナルの英語の詞の曲も日本語にして。カバーは好きな曲でやりたい曲を勝手な日本語を充てちゃって。どんどん違うとこ行ってって感じかな。

TEENAGE KICKS never die.







11,thinking


11,thinking



自分では曲を作るのに、作り出す前の方がかかってる時間が長いって感覚があるんだ。


移動で自転車に乗るんだけど、自転車に乗ってヘッドホンとか、危なくてできないじゃんね。
だからぼんやりと自転車に乗ってて、音楽や曲のことを考えてるんだよ。その積み重ねが生み出す時に出てくる感じかも。

移動中に、なんかあんなカンジの曲あるといいなってずっと考えてる。それを家帰ってすぐに、忘れないようにパソコンに記録してるよ。まずはね。あとから差し替えたっていいわけだし。

雨が降って電車で移動する時には音楽が聴けるから、何聴こっかなって楽しみにしたり本を読んだり。自転車ではアタマで考えて。

人と話してる時には、気づくことがあって。自分で言って、ああそうだよな、ずっと思ってて引っかかってたけどやっと言語化できた。忘れないようにしよって。

しゃべってる時に考えてたことが口から出てきてハッとするんだよ。確信がようやく持てたなって。自分の芯の核心にも近づいて。

ずっと考えてて、ずっと人と喋ってる。考えてることは頑張ったら大抵ができることだから。

そりゃもちろん、できないことはあるよ。今から僕が総理大臣にはなれないし。でも、考えることはいいことなんじゃないかな。あとは喜んでもらうってこと。
自分の弾き語りなんて、わざわざ聴いていただいて申し訳ないって思うところもあるからさ。工夫して、考えて変えたり。喜んでもらおうっていつも頑張らせてもらってる。

If you can dream it, you can do it.   byウォルト・ディズニー



12,作曲:works


12,作曲:works



弾き語りをする時は1人。僕の上手でもない弾き語りを聴いてくれる物好きなお客さんがいてくれて嬉しいなって、毎回歌ってる。


だから、弾き語りだけは上手くなりたいの。個のぶつかりあいで、自分らしさを出せたらなって。
もともと練習はほとんどしない方だけど、弾き語りだけは時間をかけて練習してるね。元は作曲した設計図が、みんなが加わる土台になって。そこから弾き語るものに枝分かれして。

じゃあ、練習してないけど普段なにしてんのって。人と飲むことに時間を割いてるかな。やんなきゃいけない仕事はしたうえで。
音楽の仕事はホントたまにやって。30代は基本CM音楽を作ってたんだけどね。今はそんなにやってないから。

夜は誰かとお酒を飲んで話して。クラブだったりライブだったりで音楽を聴いて。

昔だったら酔っ払って帰って、作曲したり仕事したりしてた。でも今はしてないよ。
作るときは作る。飲むときは飲む。

3日前くらいに曲を作る日を決めて、この日にやろーって。ぼんやりとスケジュール立てて。

パソコンさえあればどこでも家でもできるし。リミックスだって、鍵盤とパソコンを持ってリビングでもできる。それこそ、ヘッドホン持ってって飲み屋でもできるから。例えばだけど。

僕にとっては、飲みの場が自分をチューニングできる一番の場。面白いことを探すのも含めて、この仕事どうだったーとか、愚痴なんかを聞いたりも悪くないなって思う。今はそこに楽しさを感じての日常だね。

飲みと出会い。一期一会。







優しくて大好きなオトナ。それが僕にとってのCHABEさんです。
今回のインタビューもほんとに濃い時間を過ごさせてもらって、すごいCHABEさんは物腰が柔らかくて。最高でした。

これからもインタビューをアップしていきますので、フォローやコメントなどいただけると励みになります。お願いします!




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