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相手の状況を想像する

自分が所属する会社もコミュニティも、オンラインでのコミュニケーションが主流となって早2年が経とうとしている。
3年目にして、やっと何が変化したのか少しずつ明文化できるようになってきた感覚があるので、記録として書いておく。

オンラインが主流になることでの変化

昔、日記で「オンライン主流になることで"道"がなくなった」と書いたことがある。別の言い方をすればグラデーションみたいなことだ。

それより最近感じている変化としては、他者への想像だ。
他者への想像とは、相手の状況に立ち「自分だったらどう思うのか、どう感じるのか」を捉え想像することである。
オンラインがコミュニケーションの主流になることで、この想像が難しくなったように感じるのだ。

考えてみれば当たり前かもしれない。
再三言われてきた話だが、同じ相手と、同じ時間、同じ内容を話すとしても、オンラインとリアルでは相手から取得する情報量が異なる。
圧倒的にリアルでのコミュニケーションの方が受信する情報量が多い。

情報が多い分、相手の置かれている状況への解像度も高くなる
状況の解像度が高ければ、感じる感情や考える思考の解像度も上がるのは至極当たり前の話だろう。

腰を据えて向き合う

ただ、別にぼくはリアル礼賛がしたいわけではない。
現実的に考えて、これからまたリアルでのコミュニケーションが主流になるとも思えない。

そうではなくオンラインコミュニケーションは、他者への想像が難しいという、ある種の特徴に対して、どのように向き合うかを考えたい。

交わされる情報量の問題であれば、コミュニケーションを増やすということがあり得ることだろう。
例えばリアルだったら1時間で伝わる状況が、オンラインだったら3時間かかるということがあり得るのだ。
であれば、短期での成果を期待せず、じっくり腰を据えて中長期で向き合うことが求められる。

オンラインでの限界を知る

時間をかければ、リアルでのコミュニケーションをオンラインで全て補完できるかと問われれば、僕はNoと答えるだろう。

将来的には分からないが、現在のオンラインコミュニケーションツールでは相手の首から上の情報しか知り得ない。体格や服装、血色、目線の動きなどまだまだ最後会って確かめられる部分がある。

だから、そのような特徴や限界を踏まえると、なるべくオンラインでのコミュニケーションで可能な限り相手の情報を把握した上で、最後実際に会って話してみることがイイんじゃないか。
そうすることで、いまの環境に合わせつつ、相手への想像を解像度高く行うことができるのではないだろうか。

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