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「居る」から始めるコミュニケーション

このnoteの続き

会話の間を埋めたくなる

コミュニケーションを取る際、どうしても間(ま)を埋めたくなり、適当なことを発言してしまう。それはたぶん間が開くと、居る心地が悪いからだろう。だから居たたまれなくて「する(do)」この場合だと何でもイイから適当に発言してしまう。

自分にとっては日常茶飯事の話だし、これまであまり疑問に感じたことはなかった。だけど「不確実さや不思議さ、疑いのなかに、居続けられる力」であるネガティブ・ケイパビリティが高いひとは、どのようなコミュニケーションが生まれるんだろうか?

おそらくだけど
「たとえ間が空いたとしても、話したいことがない場合、発言しない」
ということが起こるんじゃないかと思っている。

話したいことがないか観察する

もちろんえ話したいことは、天から急に降ってくるわけではない。
話したいことは観察をして発見する

相手を観察して、聞きたいことがあるか探す。
自分の内側を観察して、共有したいことがあるか探す。

もちろん観察するのは目で観ることだけではない、オープンな質問を相手にしてみて、その反応や返答を聴くことも観察だ。

そういった観察を通して、話したいことを見つけていく。

「いる」から「する」へ

そう考えると、ネガティブ・ケイパビリティが高いひとのコミュニケーションに対する意識の流れは、一般的に考えられる流れと逆なのかもしれない。

一般的には、
① 相手が興味ありそうな話題を出し、盛り上げようとする
② 盛り上げて仲良くなり、「居心地の良い関係性」をつくろうとする
という意識をする。

ネガティブ・ケイパビリティが高いひとは、
① 相手と「居る心地の良い関係性」をつくろうとする(無理に合わせない)
② 相手と自分を観察し、話したいことを探そうとする
③ 相手と話したいことを話す
という流れなのではないだろうか。

このように整理してみると、会話に限らず、理想的な社会的生活(他者との関わり方)とは
① 居る心地を整える
② 観察して自分の内発性(興味)を探る
③ 内発的動機に基づき行動する
という、
「いる」から「する」へのコミュニケーションが理想的なんじゃなかろうか。

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