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音楽やダンスのコミュニケーション(英国王のスピーチとパルの旅を経て)

コミュニケーションって言葉だけじゃなくて色々なツールがあるな
ってのは夏の始まりに感じたことでした。
それが、夏の終わりの旅行を経て再び感じたことがあったので記します。

“音楽やダンスは国境を越える”って言葉の体感

最近プロジェクトのため10日ほどインドネシアのパルに行ってました。
そして道中、機内で映画“英国王のスピーチ”を観てました。

僕の旅は、素晴らしく楽しいものでした。インドネシア語と少しの英語しか喋れない現地の方々と、日本語と少しの英語しか喋れない僕でもコミュニケーションをとることができて、現地の友達がたくさんできた。帰りの飛行機ではちょっぴり泣いちゃったし、帰国後もメッセージを送りあってる。
でも一つだけ悔しいところがあります。それは、歌えなかったことです。

夜にみんなで駄弁っている時に一人が「カラオケしようよ」と、Bluetoothで音楽を流せて且つマイクにもなるものを持ってきて、カラオケ大会が始まりました。

僕は元々、人前で歌うのもカラオケも嫌いです。まあそれは自分が音痴だからってのとカラオケの空気感(カラオケの密室でのあの感じ)が嫌いって理由で。
日本ではカラオケに行かなくてもなんの支障もないし、他のコミュニケーションツールがたくさんあるから交友を深めるのにも苦労してなかったのですが。

現地のみんなが「日本の歌を聴いてみたい」「一緒に何か歌いたい」と言って色々と曲を探してくれて、有名な海外の曲や日本の曲(恋するフォーチュンクッキーとかONE OK ROCKとか)を流して歌ったり、勧めてくれました。

でもなにせ、歌えなかった。それがとても悔しい。

まずもって自分が歌うつもりで曲を聴いてないから、聴いたことある曲とか知ってる曲とかも歌詞がわかるのはサビだけやし、歌詞を知ってる曲はみんなが知らないようなアニソンしか浮かばなかった。でもそれは言い訳で、知ってても歌いたくないという感情が大きくて、そんな感情が恥ずかしいなと思った。

なんなんやろうこの惨めなプライドは。
今年の初めに、Be beginnerとか言っといてなんなんやこのザマはと。

そして一方で英国王のスピーチは、吃音の国王が羞恥心を捨てて市民のドクターに教えてもらい克服していく、そしてその姿勢によってドクターと親友になる、といった内容です。

自分も、習うなり練習するなりして克服したいな、と思った。
実は、パルの友達と「次会うときには一緒にHey Judeを歌おう」って別れた。
カラオケで活躍したいわけじゃなくて、歌をすごいと言われたいわけじゃなくて、一緒に歌うことで楽しい時間を過ごしたい、そのために練習したい。

カラオケが好きな人にとってはなんでもないことかも知れへんけど、僕にとってはハードルの高いことで、挑戦してできるようになりたいこと。