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「PITCH LEVEL 例えば攻撃がうまくいかないとき改善する方法」から学んだこと、感じたこと

文 菊地 駿斗

   サッカーはグレーゾーンが広く、よく正解のないスポーツと言われている。だからこそ、ピッチ内で、ピッチ外で、現象に対する原因と改善案を考え、チャレンジしてみる、映像や文章からサッカーの原理、原則を学び、判断基準を構築する、つまり、探求することがこのスポーツの醍醐味といえる。今から取り上げる、20個の考察はあくまで著者である岩政さんのサッカー感であって正解かどうかは分からない。ただ、岩政さんなりの探求心と探求方法でつくられたサッカー感で日本代表まで経験したことを踏まえると、たとえ正解でなくとも勉強する価値はあると思う。


考察5 試合の「流れ」はどのくらい結果に影響するのか

・いい流れの時と悪い流れの時でゴールが生まれる確率はあまり変わらない。特にトップレベルの選手との試合では。
・いい流れの時間帯と悪い流れの時間帯とは、注意しなければいけない点が変わるだけで、決して「いい流れだから得点しよう」、「悪い流れだから勝つのは難しい」と思う必要はない。
・いい流れの時は攻勢を強めながらも注意を怠らず、悪い流れの時間帯では我慢をしながら相手の隙をつく。
・いい流れをつくることはあくまで勝つための手段であって、目的ではない。

考察6 アントラーズの勝負強さはどこから生まれたのか

・まず大前提として優勝するためには相応の力が必要。
・勝負強さとは「勝負所を見極めること」ではなく「勝負所を決めないこと」。勝者のメンタリティを備えた選手は自分で勝手に試合に優劣をつけたりせず、どんな試合も勝つためにプレーできる。大事なのは日々の取組み。
・勝負強くあるためには、一つの試合に対する特別な準備が隠されているのではなく、そこに至るまでの日々に答えがある。
・勝負の神様は細部に宿る
・勝負の神様は日常にある

考察8 勝負強いチームにある「表の顔」と「裏の顔」

・当時の鹿島には伝統的な「4-4-2」で攻守において主導権を握るスタイルの一方で持ち合わせたスタイルがあった。それは、相手に一度主導権を渡しながら、徐々に勝ち筋を見つけていくスタイル。
(表と裏)
・相手に流れを取られるようなときは、自分たちの理想のスタイルに固執しない潔さがあった。
・いつものリズムを取れない試合のほうが多い。そうしたときに、一度スタイルを変えてでも我慢する、というプランを織り込んでおくことが必要になる。
・大事なのは戦い方に多様性を持っておくこと。
・勝負強くあるためには、自分たちの戦い方にプライドを持つことより、勝つことこそがプライドであることが大事。

考察12 セットプレーのポイントは「体格」だけではない

・正直に言えば、セットプレーでは体格の差がそのまま質の差を生み出す部分がある。
・それぞれが人任せにすることなく周りに注意を配り、かつ個人の責任から逃げず、集中力を持って最後まで相手に負けない意識で挑めば、そうそう失点するものではない。得点においても然りで、相手の集中力の上をいく飛び込みを見せなければ、そうそう得点などできない。
・セットプレーは注意と集中。それは疑いようのない事実。ただ、ではなぜ、W杯などのレベルの高い大会の重要な局面でセットプレーが勝敗を分けるのか?人生を賭けて戦っている局面で、集中や注意を欠くことがそんなにあるでしょうか。だから僕は、セットプレーは注意と集中だけではないとも思っている。僕にはもう一つ重要なファクターがあると思う。それは「想像力」だ。
・想像する。相手の特徴、心理、体の向き、表情から、あるいはそれまでの対戦やその試合のプレーから。
・密着してマークする選手、離れてマークする選手。その選手の身長や特徴と照らし合わせて、なぜその選手がそのマークの仕方をしたがるのかを想像する。そして、相手が嫌がりそうなことを想像して試してみる。次のセットプレーでは、相手選手の対応の仕方や表情などを見て、また同じことをするか、あるいは1回目で狙ったことを逆手にとって相手の逆を取るか考える。
・「フィジカル+メンタル」に心理戦を加えた戦いこそセットプレーの真実。
・得点が生まれるということに関して言えば、相手の前を取ることが非常に大切。

考察13 判断に必要なものは何か。_選択肢である

・ファジアーノ岡山の長澤監督は、練習のときよく「ジャッジすること」を選手に要求してきた。
→全ては「何をするか」ではなく「判断をしているか」が鍵を握っていると思うようになった。
・もともと僕は右を見たら右へ進むタイプだった。しかし、いつからか、反対を知らなければ、結局は知っていると思っていることも本当の意味で理解できていないのだと気付いた。
・サッカーにおいても同じことが言える。選手はプレーの幅を右にも左にも大きくする努力をしておいて、状況に応じて「判断」し、その幅を自由に行き来できるようにする。それが、「中途半端」と「バランス」の違い。

考察14 例えば攻撃がうまくいかないときに改善する方法

・僕はいつも自分が考えている問題点を違う視点から考え直す、という作業を意識してやっている。
・相反するように見えるものが処方箋になる。
 例えば、攻撃がうまくいかないとき、それを改善する薬は守備を直すこと。
 例えば、「なんとなく気持ちが乗らないな」とメンタルに問題があるとき、僕はフィジカルからアプローチするようにしている。
・違うところに並びあっているように見えるものは繋がっている。
 サッカーと勉強も同じ。サッカーをすることは勉強に、勉強をすることはサッカーに、それぞれが生かされて一緒に大きくなっていく。
・両立とは「好きなこと(サッカー)を思い切りやる」と「やらなければいけないこと(勉強)をしっかりとやる」ということだと私は思う。

考察18 「ラインの高低」でチームの状態は測れるのか

・ラインの高さというのは、チームの戦い方や前線の選手のプレッシャーのかけ具合とリンクして変えていくもの。
・「ラインが高い」状態というのは当然、自陣ゴール前に相手を近づけなくすることができる。同時に、高い位置で守備をしてボールを取ることが出来れば、相手ゴールに近い位置から攻撃することができ、得点の確率を上げることができる。ただ、ラインを高くすることは当然リスクもあり、守備のスタート位置を高くすることは、裏を突かれるリスクは高まり、もし裏を突かれた場合にはより長い距離をみんなが戻らなくてはいけなくなる。
→ラインの高さとは、展開のスタート位置に過ぎず、その後のチームのプランとセットで考えなくてはいけない。
・ラインを低く構えると、構造的な問題以上に問題となるのが、選手のメンタル。「守備に追われている」という感覚を持つと、ボールを奪ってからのプランが頭から抜け落ちてしまい、ボールを奪っても足が止まってしまう。
→守備時にいかに広大なスペースを見ておき、カウンターのイメージを持っておくことが大切。
・ラインの高さによって変わるのはそれぞれの役割や狙うポイント。

考察19 守備における緻密さ。欠けているのは「個」の能力なのか

・守備は「献身性」と「緻密さ」だと僕は思っている。
・チーム全員の献身性さえ保たれていれば、大きく崩れることはない。
・守備について(あるいはサッカーについて)できるだけ緻密に考え、突き詰めていくことが大事。
・海外サッカー界は、この強さは求めてはいるものの、だからといって、そこに組織がないとは一概には言えない。
・ビジョンがない時、守備は受け身となり、ビジョンがあればそれは自分たちの意図した方向に相手を誘導していることになる。
・常に頭を回しながら、ビジョンを持ってプレー出来ている選手は、
日本には増えてきていません。
・僕はシュートシーンを守備の目線で見る。ディフェンダーには最後の局面にもやるべきことがある。それは、ゴールキーパーと一緒に、シュートを打つ選手に対して、「2対1」の意識を持つこと。
日本の選手はまだまだ滑る必要のない場面でスライディングをしたり、消したコースがキーパーと重なっていたりする。

考察20 ジャイアントキリングのなぜ。起こされる側の心理

・起こされる側の問題となるのはモチベーションではなく、戦い方への心の置き所だと思う。攻撃面ではミスを恥ずかしく思い、慎重になる。守備面ではなんとなくやられたくないとう心理から雑になる。本当に必要なのはその真逆で、攻撃時には思い切りよく、守備時には緻密にならなくてはいけない。
・僕は決勝戦や優勝が決まるような試合も、格下と呼ばれるようなチームとの試合も、同じ気持ちで挑むようにしている。だから、やるべきことはいつもと同じ気持ちで試合に臨むこと。

考察21 レフェリーと行うべきは「駆け引き」か。それとも……

・サッカーにおけるレフェリングには、「白か黒か」を判定するだけでなく、笛を吹いてプレーを止めるか、どこまでのプレーをファウルとするかといった、レフェリーの裁量によって決まるグレーな部分がある。
→サッカーにおけるレフェリーには、試合を公正平等に進めていくと同時に、できるだけその試合を円滑に進めていく役割があり、その点では、レフェリーと選手は裁く側、裁かれる側という関係だけでなく、共に試合を創っていく関係ともいえる。
・僕がレフェリーの方と話をする場合に気を付けていることは、レフェリーの方を尊重することは当然として、その上で、「レフェリーの方の見解を聞いた後は、未来のことを話す」ということ、「基準を揃えてもらうよう主張する」ということ。
・サッカーはディテールが勝負を分ける。それがレフェリングであることも当然ある。
→コミュニケーションを取り、未然に防ぐ努力をする。

考察26 怪我を防ぐ技術、付き合う技術

・まず、「怪我をしない」ためには、メンタルが健康であることが重要。張り詰めすぎてメンタルの糸が切れそうだなと思えば少し緩めてあげ、逆にメンタルが緩んで糸が弛んでいるようなら少し引っ張って上げる。
・僕は大怪我を回避するために身につけたことがある。それは「危ない!」と思った瞬間に決して踏ん張らず、力を抜いてフニャっと倒れること。
・シーズンオフ、長いオフのため、自主トレをスタートした時に、アキレス腱を痛めたことがあった。ふくらはぎの外側の筋肉が、長く休んだことで使えなくなっているのではないかと考え、走る前には必ず、ふくらはぎの外側の筋肉に刺激を入れるようにした。
→復帰する際は、復帰日を定め、徐々に徐々にフィジカルを戻していく。焦らず、丁寧に。違うところを怪我してしまっては元も子もない。
・怪我をしている状態でプレーするかの判断は自分の責任。誰のせいにすることもなく、どんな結果も自分が責任を負うのだと考えていた。(若かりし頃の岩政さん)

考察28 大学サッカーから得たもの。「そこにあるもの」を探す

・学芸大の2つ上の先輩、堀之内さんが「4年間は長い。本当に自分が課題に取り組んでいけば、4年間でかなり変われる」とおっしゃっていた。僕はこれがまず一つ目の大学サッカーのメリットだと思う。
・大学4年生の時の1年間は、貴重な経験だった。チーム全体、あるいは部全体を見渡さなくてはいけないから。これがサッカーに打ち込む上で邪魔になる「回り道」だと思われるかもしれないが、それは違う。なぜなら、こうした全体をまとめていく経験こそが、高校からプロに入った選手たちにはできない経験だから。
・プロに入りさまざまなキャリアの選手を見ながら、僕が思うことはどこに行っても「そこに行ったからこそできること」を習得した選手が伸びていくということ。
・そこにないものを探すのではなく、そこにあるものを探し、自分のものにしていく。

考察29 岡崎慎司と内田篤人から見るプロ選手としての成長論

・岡崎選手の最も優れている点といえば、僕はバランス感覚だと思う。今、自分にできること、できないこと。今自分がやるべきことと、やらないでおくべきこと。そのバランスをその時々の自分と向き合いながら、常に調整しているように見える。
・プロに入るまでの「成長」が、「自分が持っているものを増やしていくこと」だったのに対し、プロに入ってからの「成長」とは、「自分が持っているものを試合の中で表現できるようになること」に変わる。詳しく言えば、「今できることの整理」と「具体的に出来ることを増やすこと」になる。
・内田選手の凄さは、自分の中で理解はしていても今できないと判断したことはしないこと。自分のリズムを崩さない程度に僕のアドバイスなどを少しずつ取り入れているように見えた。
・プロになってからの差とは、自分にできることの表現の仕方を知り、出来ないことの隠し方を知っているかどうか。

考察30 「2年目のジンクス」の理由。待つことの重要性

・結論から言うと、僕は「2年目のジンクス」とは、2年目に「結果が出なくなること」ではなく、「変化がおこならくなること」ではないかと考えている。2年目は、小さくない変化が起こったとしても、1年目に比べれば、些細なことに映るから。
・僕自身も2年目を迎える頃には、どんなトレーニングも変化らしい変化を感じなくなった。ただ、僕はトレーニングをやめなかった。新しい知識を入れることをやめなかった。そして、今だから思う。ターニングポイントは2年目にあったと。
→「変化を感じずともやり続けよう」と思うか「変化がおこなら位なら意味がない」と思うか。勝負はここにある。
・変化が起こらない時期を乗り越えた先に訪れる、繋がる感覚。キャリアにおいてその感覚を味わえたことは、タイトルの味を味わえたことと並んで、僕のサッカー選手としての一番の宝だと思う。(=待つことの重要性)

考察31 経験は成長をもたらすのか

・僕は「何を経験するか」ではなく、「その経験をどのように生かすか」が大切だと言い聞かせてきた。
・経験とは「サンプル集め」。サッカーは似たような場面ばかり起こる。サンプルが多ければ多いほど、動じることは少なくなる。
→同じような場面を見ても見方によって捉え方は様々。
→同じような場面を経験したとしても、そこから何を考えるかによって選手像は大きく変わってくる。
・大きな経験を得る機会がなかった僕が大事にしていたのが「毎日の練習」という小さな経験。練習後のロッカールームやシャワールームで小笠原選手などの魔法のようなプレーをする選手たちのレベルに追い付くには何をすればいいか、そのために自分の守備における「ビジョン」を確立していくために何十分も悩んでいた。
・経験とは、断片的に見ていたものを複合的に見られるようになること。
→一つの出来事をあらゆる角度から考えてみることが大切。失敗も繰り返しながら、そのあらゆる角度が自分の中で一つにつながる感覚を持てたとき、経験は意味を持つ。

考察32 セカンドキャリアの考え方

・サッカー選手における考察で、ときに、「サッカー選手でいるうちに他のことをすべきか否か」という議論を目にする。「サッカー選手でいるうちは選手に集中すればいい」という意見も、「いや、サッカー選手は時間があるのだから何かすべきだ」という意見もある。僕はもともとは前者で、途中から後者になった。その経験から思うのは、大事なことは「どちらが正解か」ではなく、自分でどちらの選択肢も持った上で「判断しているか」だと思う。結局は今の自分と向き合えるかどうかだと思う。「今を生きる」という感覚を持つことができるなら、それが正解だと思う。

考察33 夢は持つべきものなのか

・人によって、山の登り方は二通りあると思う。一つは頂上を見据え、その景色を見るために上を向いて歩いていく方法。もう一つは足元を見て、目の前の斜面を前に、ただ次の一歩をどのように歩いて行こうかと考えて登る方法。
僕は後者だった。頂上が明確ではないため、方位磁針(判断基準)が必要。僕の場合は3つの観点で定めていた。一つ目は「自分だからこそできること」、「今だからこそできること」、「ある出来事が起こったからこそできること」など、「~だからこそできること」を選ぶこと。二つ目は「めんどくさいことを選ぶこと」。「めんどくさい」と思ったことは、自分を大きくしてくれる。三つ目は「人のためになること」を選ぶこと。特に行動に移す時のスタート地点では意識している。
・夢を持つことは素晴らしい。それに向かって頑張ることは素晴らしいことです。しかし、夢を明確に描けなくても構わない。夢を持つことは、日々を少しでも頑張る自分になるための手段であり、目的ではない。だから、僕は子供達には「夢を持とう」という代わりに「好きなことを思い切り頑張ろう。嫌いなことも一生懸命頑張ろう」と話すようにしている。

考察34 「当たり前」にある2つの捉え方

・「サッカーにおいて常識(当たり前)と言われることはピッチの中の常識(当たり前)とイコールではない」
・「当たり前」という言葉を使った2つの大事なこと。
一つは「当たり前を当たり前のように出来ること」の大切さ。才能がないならやれることはそう多くない。当たり前のことを当たり前にやる事。それを続けることで差を生み出そうと考えた。(Ex 常にいいポジションを取り続けること、足を最後まで動かすこと、最後まで諦めない事、いつも同じ気持ちで試合に臨むこと etc.)
もう一つは、「当たり前を疑うこと、壊すこと」
・リーダーは「当たり前を当たり前のようにできること」と「当たり前を疑うこと」をバランスよく、こなさなければいけない。「当たり前を当たり前にすること」をチームの常識にしながら、時にはそのチームの常識を大きく上方修正するような常識はずれなことも必要。それも、それを自然体で豪語できるような自身への自身の裏付けも持ち合わせなくてはならない。

考察37 タイが教えてくれた人生において大切なこと

・「決して怒ったり、叱ったりしてはいけない」
最初はそれを「適応」というのかもしれないと思っていた。タイは「微笑みの国」と言われる国ですから、それがタイのやり方ならそれに合わせてやるべきだろうと思っていた。しかし、1週間もしないうちに僕はそれを改めた。改めたというより、我慢ならなくなっただけかもしれない。それまで自分がやってきたように、勝つために必要とあれば、叱咤したり、激励したりするようにした。そして、決してチームに漂う緩さに合わせることなく、孤高の存在になったとしても自分のトレーニングへの姿勢は崩さずにいよう、と決めた。同時に「タイのサッカーを変えてやる!」なんて思っていた自分の考えも改めた。変わるとすれば、僕が「変える」のではなく、彼らが「変わる」のだと思ったから。

考察38 日本代表という存在を考える

・日本代表は特別な舞台。それはいつの時代も変わらない。しかし、プロになり、クラブのために日々を過ごしていると、夢だったはずの日本代表について、どこか目標とすることに違和感を抱くようになる。
・結局、どの監督もおっしゃることですが、サッカーにおける日本代表とは、決して日本で一番サッカーがうまいから選手から順番に選ばれるものではないと思う。いくつかの矛盾を孕んでいるように見えることは仕方のないこと。
・「代表監督の趣向と、所属クラブの監督の趣向は当然違うもの。Jリーグで所属クラブのために一生懸命、試合を戦いながら日本代表を目指すというのは、誰に向かってサッカーをするのかという点で、どこか誠実さに欠ける気がして、器用ではない僕には何か違う気がする」と初代表があまりに悔しい思い出で終わったので、言い訳をしていた自分と向き合い、覚悟を決めた。「1分でも日本代表のピッチに立つまで、言い訳なしに、日本代表を目指そう」と。ただそれを、以前代表を意識していた時と違い、日本代表が求めるタイプに合わせるのではなく、「選ばざるを得ない結果を出し続けることで叶えてやろう」と。
・きっと僕たちは試されているのだと思う。監督にではなく、自分自身に、あるいはサッカーに。結果から目を背けない覚悟があるか。矛盾も葛藤も全てひっくるめて、「続ける」ことができるのかを。

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