獅牛
獅牛 伊万里市史
後朱雀天皇の時代、大川野と若木の間にある眉山のあたりに住んでいたという怪獣。
里に出て人畜を襲ったので村人たちは地頭に訴えた。
地頭であった渡辺源太夫久は一族のものや、村の若者を集め退治に出た。
鉦太鼓を鳴らし向かうと、獅牛はそれにたいして猛然と襲い掛かった。戦いは熾烈を極め、じょじょに源太たちは劣勢になっていた。
もはやこれまでと思ったとき、どこから矢が飛来し、怪獣の脳天に突き刺さった。
そうして怪獣は打倒された。
この功績をたてたものは探したが射手はおらず、矢の来たほうに向かうと諏訪大明神の戸が開いていた。
そこで、諏訪大明神の横に、怪獣の頭を埋め、埋牛塚と呼ばれた。
それから疫病が流行り、不吉な事が続いたので、牛の日に祭りが行われるようになった。
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