ネットでの感情的な他者批判を抑制すべき理由

「情緒」「理性」は常に区別すべき。
当人的には「冷静な分析から導かれる、妥当な批評」のつもりでいても、その実、「悪感情を抑えきれず、論評を装ったただの悪口」になってるものはネットを漁れば山のようにある。

自分と異なる意見を持つ者にも敬意は持つべき

論理的批判を越えた嫌悪感情を表に出すのは、何処であっても止めるべきだ。

表現の自由は無制限じゃない

マスコミでもネットでも、他者への嫌悪表現に対して歯止めが利かない人が余りに多過ぎる。

個人的感情を内心抱くのは自由。
誰に止められる事も無いし、思うだけなら自由気ままにやれば良い。
ただ、それをネットに書くのは自由じゃない。

各種人権、自由は基本的に尊重される。
ただし、それは「公共の福祉に反しない限り」との制限が付いてる。
他者への悪感情を込めた表現は、他者の権利を侵害する可能性がある。
それ故、他者の権利を侵害する言説は「表現の自由」では守られない。

家族や友人との間で、誰かについてラインを越えた誹謗中傷を会話でしようが、それはあくまで小さな個人的関係の範疇の話だ。
多少のライン越え発言は内輪ノリの一部として、許容されるのはよくある話だ。
「お前、いまラインを越えたな」と突如警察が現れて、そのまましょっぴかれるような事は起きない。

ネットは自分のメモ帳じゃない

だが、SNSは”公共の場”だ。
SNSでの意見表明は、現実社会で言うなら公園に立て看板を立てて不特定多数にアピールするのと変わらない。
例え、自分のフォロワー、普段の閲覧数が少人数だからと言っても、何処の誰かも分からない人が閲覧する可能性がある場所に言葉を残している時点で、「不特定多数に対して情報発信した」事になる。

名誉毀損になるかどうかの要件に「公然性」がある。
「公然性」を噛み砕いて言うと「不特定多数に情報を拡散したかどうか?」と言う話だ。
自分の発言を聞いた人を全員特定出来る場合のみ「公然性」は満たさない。
仮に自身の発言に問題があったと司法判断された場合に、発言した相手全員を認識出来ているなら一人ひとりに訂正して回る事も可能だ。
つまり、名誉を毀損する問題発言があったとしても、それを聞いた全ての人に対して「あの発言は間違っていた」として撤回して回れるなら、名誉の回復を図る事が出来る。
そうなると名誉毀損の要件の一つ「名誉の毀損」が無くなり、名誉毀損では訴えられなくなる。
逆にこれが不可能な場合、何処までの人が自身の発言を聞いていたのか追えない状況になっているなら、名誉毀損の要件である「公然性」が満たされている事になる。

ネットでなら「公然性」はより簡単に満たしてしまう。
SNS投稿や掲示板の書き込みは、誰でも閲覧可能な状態する事が当たり前だろう。
仮に、鍵垢や自身の選んだごく少数にしか見えないように工夫しても、閲覧者の内の誰かがその内容を外部で拡散してしまうと「公然性」が満たされ、結局は発信元の自分が名誉毀損で訴えられかねない。
自分の発信内容がインフルエンサーに注目され、拡散されて炎上騒動までなれば、「公然性」を覆す事は絶対に不可能となる。

ネットでまだ燃えていないライン越え発言は、別に許容されている訳では無く、「たまたま注目されず見過ごされているだけ」の可燃物だ。
自分の立場の変化によってもくすぶる可能性を秘めているし、裏で自分の事を嫌っている人間が最適なタイミングを狙って炎上させる準備をしている最中かも知れない。
ある女性プロゲーマーが不適切発言で大炎上した際、同じチーム所属メンバーなどまで過去のSNS発言を浚われて追加で炎上したり、チームから追放処分を受けたりした。
これはネットでイキった事のある人全てにとって、他人事ではない話なのだ。

ネットにおいて”敢えて”行うライン越え発言は、自分の人生の行方を賭けたチキンゲームのようなもの。
自分だけでなく家族を巻き込む場合もあるし、友人関係、その他の人間関係を失う場合だってある。
そこまでのリスクを負う気が無いなら、ネットでイキるのは止めるべきだ。
ネットでの発言は慎重の上に慎重を重ねるくらいで丁度良い。

「正義に適う叩き」なんて無い

そして、越えてはならないラインについて、自分自身じゃよく分からないと言う人は、ネットでは他者批判を行わない方が安全だろう。
「安全な場所」から「叩いて良い人だけを叩いてる」ので大丈夫、との考え方は非常に危うい。

「ネットで匿名の書き込みをしてるだけ」と言っても、プロバイダ情報の開示請求が通れば自分か家族の身元は相手に伝わる。
ネットに「安全な場所」なんか最初から無い。

また、その時の世間的な空気に流されて「叩いて良い人」「ダメな人」を感覚的に選んでる人は越えてはいけない一線を自分で引けない可能性が高い。
こうなると「安全な場所」「叩いて良い人だけを叩いてる」も何の担保もされない自分の感覚だけの話と言う事になる。

そもそも、特定の個人を批評・論評するのではなく、強烈に叩く行為自体が許されるものじゃない。
相手が本気を出して法的対抗を試みた瞬間、自分自身がその発言の責任を問われる可能性があるのだ。

多くの人がこれでもかと誰か、何かを叩いてる様子を見て、自分も一緒に叩きたくなる気持ちは分からないでもない。
多くの人と同じ事に対して憤り、強い言葉で批判し、それが共感を以て迎えられると気持ち良くなってしまう。
これは人間の持つ性(さが)だ。
共感する事、される事を求める心理は人間の自然な欲求の一つで、無くす事は出来ない。

だが、その為に特定個人の名誉感情を傷付けて良い訳じゃない。
ネットで強烈な批判に晒される対象は、大抵、その人・団体側にもそれなりの原因がある事がほとんどで、それ故に「叩かれる方に問題がある」との理屈付けで叩く行為を肯定する論調に流されやすくなる。
しかし、妥当性を越えた非難・批判は司法の場に持ち込まれれば、賠償命令を受ける可能性を秘めている。
仮に、裁判で悪質性の程度や発信頻度の観点で損害賠償が認められずに終わった場合でも、裁判への対応で時間的・金銭的に無傷ではいられない。
相手が見過ごせないと思い、法的対抗を決意した時点で、法廷闘争は始まってしまうのだ。

相手を強烈に非難しなければ、同じ対象を批判している人達との一体感は得られないだろう。
だが、そこまでして得られた一体感の代償として、多くの時間とお金を払うつもりでいる人など、普通はいない。
だとすれば、ネットでの炎上騒ぎに乗っかって、批判的言説を書き込む事も止めるべきだ。
裁判で争うとなった際、裁判所が「これは良い叩き」などとプラス評価してくれる事は絶対無い。
その「叩き」について表現の自由などの許容範囲内か、もしくは社会的に容認されないものか、の観点だけで判定を受ける。
つまりゼロマイナスかの勝負でしかないのだ。
そして時間的・金銭的には訴えられた時点でマイナスが発生している。
つまり、裁判を通じて負けのサイズを争うだけだ。
不毛な事、この上ない。

この記事を書いた理由

ここ最近、特にネット上のバトルをよく目にする。
中心となる発信者同士が対立し、激しく議論(になってない事も多いが)を交わしている。
そして、それぞれの発信者を支持する人達が、それぞれのコミュニティ内で相手方を口を極めて批判する様子もよく見掛ける。
仲間同士が集まり、相手方を強烈に批判する所までが一種のエンタメのような状態だ。

そのバトルを一歩引いた所から眺め、楽しむ分には何の問題も無い。
問題なのは、熱くなって仲間同士のノリそのままにネットに強烈な悪口を当然のように書きまくる人達がいる事だ。
ライン越えなんて全く考えていない様子で、危なっかしくて仕方ない。

中心的発信者が、仮に相手方から訴えられた場合に受けて立つつもりでいる場合、第三者的には止めようもない。
自身の言論の正当性を審理の中で主張し、それが認められるはずだと確信しているなら、周りが無理やり口を塞ぐ真似も出来ないだろう。
名誉毀損に該当するか、名誉毀損阻却事由を満たし問題無しとされるか、それは裁判で争ってみなければ分からない事だ。

かと言って、中心的発信者と同じ覚悟をしていれば、他の人も中心的発信者と同じ強度で誰かを批判して良い事にはならない。中心的発信者と同じ情報を共有し、相手方の問題点を同じだけ理解していなければ、自身の強烈な批判の正当性、妥当性を示せないからだ。
名誉毀損阻却事由を満たしている事を自分で証明できない人は、ライン越えに慎重になるべきだ。
同じ陣営に居ると言っても、各人が持つ情報量には自ずと差があるはずだ。
そして、その差が法的にライン越えとなるかどうかに直結する。
ここを正しく理解出来てない人は、ラインを自分で見極められない可能性が高い。
このような人がもし訴えられた場合、苦しい戦いを強いられる事になるだろう。

基本的に中心的発信者となってるような人は、ある程度の法律知識を持ってる事も多く、「相手方を批判する場合でも、節度を以て」と注意掛けを行ったり、「訴えられた場合に困る人は、最初からそういう書き込みはしないように」と警告を発したりしている。
その言葉が正しく受け取れる人ばかりなら問題無いのだけれど、やっぱり十分には理解出来ない人は少なからずいる。
そうして案の定、法的対抗を取られてしまい、事ここに至って自分が危険な行為を行っていた事実を思い知るのだ。

まぁ、啓発活動ってのは、ここで終わりと言う所が無い。
我が事にならない限り、気付けないのはどんな界隈にあってもあるあるの話だろう。
私の長文をわざわざ最後まで読むような人なら、そもそもここでの注意なんて必要ないだろうなぁとは思いつつ、たまたま辿り着いて、何となく最後まで読んでしまったネットリテラシー初心者が、学びを得てくれる事を期待して、終わりとしたい。

<了>

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