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外国人に伝える日本の宗教あれこれ

こんにちは!通訳案内士のリサです。
京都を拠点に関西地方で外国から訪れる観光客のプライベートツアーガイドをしています。

今日は外国からのゲストに聞かれることの多い「日本の宗教」について。
このテーマはとても奥が深いのでいくつかの記事に分けて書こうと思いますが、
まずは代表的な「神道(しんとう)」と「仏教(ぶっきょう)」の事を、ゲストにどのようにお話ししているかについて書きたいと思います。

基本的な神道と仏教の違い 

「神道」は八百万(やおよろず)の神様を自然の中に見いだすという日本古来の信仰です。例えば、山の神、川の神、岩の神など、たくさんいるので八百万と表現されます。日本古来というところが一番の特徴なので、ここを強調します。

一方「仏教」はインドで生まれ、中国や韓国を経由して日本へ6世紀に輸入され、その後独自の発展をとげたものです。
日本古来の宗教である神道と対比して、一番の違いは海外からとり入れた宗教であるというところです。

ここで「神道」は「shrine (神社)」、「仏教」は「temple (お寺)」にまつられていると伝えると、ゲストの頭の中で二つの宗教が分けて理解されやすいと思います。

京都でガイドをしている私のゲストは、ほとんどの方が東京で数日を過ごしてから京都へ到着されます。
「東京でどこに行きましたか?」
と質問すると、たいていの方が
「浅草と、明治神宮に行った」
と答えます。
そこで、浅草で行った浅草寺が「仏教」で、明治神宮が「神道」だよ、という説明をしています。
もちろん東京でもその場でガイドさんが「神道」と「仏教」の違いを説明されたに違いないのですが、京都に着くまでにその説明を忘れてしまっている方もいらっしゃるので、おさらいしています。
中にはきっちり説明を覚えていて、「東京で神社と寺に行ったから、違いを知っているよ!」と言ってくれる方もいます。

二つの宗教が共存するというコンセプト

過去の歴史でも、現在でも、世界では異なる宗教間に衝突が起きることが多いため、
「神道」と「仏教」が共存するという日本独特のコンセプトは外国人にとってとても面白いテーマです。
独特ゆえ、理解されるのが難しい部分でもあります。
少しでもイメージが浮かぶよう、
「大晦日には除夜の鐘を聞くためにお寺に出向き、お正月には神社へ行き(ちなみに、お寺に行く人もたくさんいますね)、
結婚式は神社でやるけど、お葬式はお寺でやる。」
などと、日常の中に両方の宗教に関わる機会があるということを説明しています。

江口裕之氏の「新・英語で語る日本事情」という著書の中でふたつの宗教について、
Most Japanese (中略)alternate between religions depending on situation.
多くの日本人は状況によって宗教を使い分けている。

という記述があり、私はよくこの言葉を引用しています。
また、6世紀に仏教が輸入されてから19世紀に二つの宗教か完全に分離されるまでの間、二つの宗教はお互いに関わり合い、
さらには交じり合いながら相互補完していた、ということも必ず伝えています。

ここまでで、日本には「神道」と「仏教」という二つの宗教があることを伝えることができました。ここからはもう少し詳しく、それぞれの宗教について伝えてみましょう。

神道の説明に便利な稲荷神社

京都では、外国人観光客に人気の伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)。千本鳥居(せんぼんとりい)が有名です。
ここは「神道 (しんとう)」の説明にとても便利です。

「神道」は八百万(やおよろず)の神様を自然の中に見いだすという信仰でした。稲荷神社にまつられている神様は、何の神様かご存知ですか?

稲荷神とは、稲の神様です。

みなさんは、稲や田んぼを見て、神様の存在を想像できますか。私は、夏の日差しの下でぐんぐん伸びて実る稲穂に、昔の日本人が神秘的な存在を見出したこと、なんとなく理解できる気がします。

お米は日本人の主食で、人々の生活の中で重要かつ身近な存在であったため、稲の神様は全国的に支持されました。
このように説明すると、神道の「自然の中に神を見いだす」という概念が伝わりやすいと思います。

外国人ゲストに、「京都に到着するまでの間の新幹線や飛行機から田んぼを見ましたか?」と聞くと、「たくさん見たよ!」と答えてくれる人が多いです。田んぼの風景は、日本人にとっては見慣れたものですが、お米が主食ではない国から来た人からすると珍しいものです。いかにたくさんのお米が日本で食べられているかということを知るきっかけになります。

稲の神様だった稲荷神は、後に、お米だけでなく農作物全体の豊作をつかさどる神様とされます。昔は農業が経済に大きな影響を及ぼしていましたが、農業が産業の中心ではなくなった現代社会でも、ビジネスの神様として解釈され、農業以外の産業の経営者たちからも大切にされている稲荷神です。

ちなみに、ここ伏見稲荷大社を総本宮(そうほんぐう)とする稲荷神社、全国に3万社もあるそうです。
あなたの地元にも稲荷神社がありますか?
稲荷神の使いとして信じられていたキツネがまつられている神社に見覚えがあれば、そこはきっと稲荷神社です。ぜひ立ち寄ってみてください。

自然そのものに手を合わせていた古来の神道

稲荷神社は千本鳥居が有名ですが、その鳥居の列を潜り抜けた節目に、しめ縄が張られた大きな岩がまつられているのをみることができます。
同じように、大木にしめ縄が張られているのは、日本人なら誰でも一度は目にしたことがありますよね。

外国人ゲストには見慣れないものなので、よく「あの紐にはどんな意味があるの?」と尋ねられます。しめ縄や鳥居は、「ここから先は神様の領域」ということを示す結界(けっかい)です。

「仏教」が輸入されるより前、「神道」では自然そのものが御神体(ごしんたい)でした。
大きな岩や大木にしめ縄をしたり、山の入り口に鳥居を置いたりし、神秘的な領域と俗世の領域を分けていました。そして、しめ縄を張った神秘的な存在、つまり自然そのものに対し、手を合わせて祈っていたと言います。

現代社会では神社に「本殿(ほんでん)」や「拝殿(はいでん)」などがあり、建物に対して手を合わせることが多いですよね。
実際は、神様はその中にいるのではなく、建物の裏側にある山全体が御神体(ごしんたい)、なんてこともよくあります。伏見稲荷大社でも、その後ろにある稲荷山(いなりやま・いなりさん)が古くから信仰の対象となってきました。
神道で建物に向かって手を合わせるようになったのは、6世紀に仏教を輸入し、その影響を受けたからだと考えられています。

ここまで、日本古来の宗教である神道について見てきました。では、日本古来の宗教に大きな影響を与えた外来の宗教、仏教とは、いったいどんな宗教なのでしょうか?


Zen(ゼン)イコール仏教ではありません!

前述の通り、仏教はインドから中国、韓国を経て日本へやってきた外来の宗教です。
6世紀に日本へやってきた後、日本独自の発展を遂げました。

ところで北米やヨーロッパからのゲストの中には、禅宗(ぜんしゅう)のことを仏教だと思っている方が結構いらっしゃいます。

これは、日常の中で「Zen(ゼン)」という言葉を使う方機会が多く、聞きなじみがあるためだと思います。
「それってZen(ゼン)だね。」なんていう風に使うのです。どんなシチュエーションで使うと思いますか?

例えば、瞑想やエクササイズなどをして、精神が豊かになった時に使われます。ヨガをして、リラックスした気分になった時などにも「Zen(ゼン)な気分だ」と気軽に言うのです。

欧米にZenがここまで広まった大きな要因のひとつは、2011年に亡くなったAppleの創業者スティーブ・ジョブズ氏です。彼が禅宗のお坊さんから指南を受け、禅の考えや瞑想を実生活に取り入れいていたことから、IT業界で様々な企業が禅を取り入れ始めます。やがて禅の行いは、「精神を豊かにする」という意味の「Mindfulness(マインドフルネス)」と表現され、スタイリッシュなトレンドなりました。そこで、精神を豊かにする行いをした時に、「これってZen(ゼン)だね!」なんて表現が使われるようになったのです。

Zenという言葉が広まりすぎて、その言葉の由来を知っている人がどれくらいいるかは不明ですが、
このためにゲストの中にはZenイコール仏教、と勘違いしている人も多いのです。

日本の仏教は禅宗をはじめさまざまな宗派で構成されているので、丁寧な説明が必要です。

あなたは「禅とは何か?」と聞かれたら、どのように答えますか? いろいろな仏教の違い、どのように説明できるでしょうか?

ここからは、私がツアー中に訪れる場所や、歴史や安置されている文化財などによって、どのように仏教の違いを説明しているのかをお話しします。

「苦しみから逃れる方法」を説いた仏教の起源

大阪・四天王寺(してんのうじ)の金堂(こんどう)内には、インドの王子だった釈迦(シャカ)が出家して悟りをひらき、亡くなるまでの様子が大きな壁画として描かれています。
仏教とはそもそも、釈迦(シャカ)が「この世の苦しみから逃れる方法」について説いたところから始まりました。
「この世の苦しみ」とは、例えば病気や死などのことです。
このように話して、仏教のなりたちについて説明することができます。

シャカが説いた教えはやがて日本へのやってきます。
6世紀に政治で力を持っていた聖徳太子(しょうとくたいし)によって仏教のお寺が日本に立ち始めます。
四天王寺(してんのうじ)や法隆寺(ほうりゅうじ)は、日本に仏教がやってきたころに出来たお寺なのです。
法隆寺では、仏教を日本に広めた聖徳太子自身が信仰の対象となっています。
このように伝えることで、特定の人物を神格化することがあることも、わかってもらえます。

仏教で国を平和に治めようとした

自然災害や伝染病の流行で国に災いが続いた8世紀、
仏教の力を借りて国に平和を取り戻そうとしました。
また、人々に仏教を広めることにより国を統一しようとする意図もありました。
誰の意図でしょうか?当時の権力者、聖武天皇(しょうむてんのう)です。
外国人のゲストには、天皇の細かい名前には言及せず、
the emperor at that time (その当時の天皇)とだけ伝えています。というのも、初耳の固有名詞が多くなると、説明が難しく感じるからです。
「その当時の天皇は、全国に仏教のお寺を建設して平和を願い、国を治めようとした。」など、なるべく普通名詞に置き換えて分かりやすく話しています。
天皇は全国に仏教のお寺を立てますが、それでも治らなかった伝染病の流行に対し、今度は巨大な大仏を建立します。奈良・東大寺(とうだいじ)の大仏です。大きい仏像を作ることで、より大きな仏さまの力を借りて国を守るように願いを込めました。
奈良に都があった時代のことなので、奈良をガイドする時は、
仏教が輸入された初期の話を強調しています。

平安京の入り口に建っていた東寺と西寺

8世紀末、政治の中心が奈良から京都に移り、平安京(へいあんきょう)という都ができました。
外国人ゲストも京都が日本の首都だったことをご存知の方は多いです。
当時、京のみやこの入り口には羅城門(らじょうもん)という大きな門が立っていました。
そして羅城門の両脇には、五重塔(ごじゅうのとう)がそびえ建っていました。
向かって左側の五重塔(ごじゅうのとう)が西寺(さいじ)、右側が東寺(とうじ)です。
現在は西寺はなくなっていますが、東寺は一度消失して再建された五重塔が今でもそびえ立っています。

平安京の入り口を任されるお寺って、どのようなお寺だったのでしょうか?
天皇や貴族から支持されていたに違いなさそうです。

それは、当時の「最先端の仏教」でした。新しいタイプの仏教を輸入したのです。どこから輸入したと思いますか?当時の最先端の国といえば、お隣の中国です。

8世紀、中国へある僧侶が留学し、持ち込んだのがその「最先端の仏教」でした。
仏教を宇宙的な視点から語るという革新的なアイデアです。

この世界はどのようにできているのか?という問いは、現代にも共通する普遍的な問いです。それを当時の仏教では、大日如来(だいにちにょらい)という仏さまを中心に世の中の森羅万象を司る存在があると解釈しました。
大日如来の周りには五大如来(にょらい)、五大菩薩(ぼさつ)、五大明王(みょうおう)や四天王(してんのう)たちががっちりとチームを組んで宇宙を形成している、そんな世界観です。今でも東寺の講堂に入れば、この大日如来を中心とする仏像群が安置されていて、実際に見ることができます。

ところで、前述のある僧侶とは空海(くうかい)の事。また、この仏教を密教(みっきょう)といいます。

天皇の名前に言及しないのと同様、外国人ゲストには空海や密教などの固有名詞はなるべく伝えないようにしています。それよりも大切なのは、「あるお坊さんが最先端の仏教を輸入したんだな」というように、全体の流れを理解してもらうことです。

詳しく知りたい外国人ゲストはどんどん質問してくれるので、その場合は固有名詞も伝え、説明をより深めます。

念仏を唱え、死後の世界で救われる

仏教の起源となった釈迦(シャカ)。11世紀は釈迦がこの世を去ってから1000年経過する頃で、「仏教の力が弱まり世界が混沌とする」と信じられていました。
この混沌とした状態を末法(まっぽう)と呼び、貴族を中心に世界が滅びてしまうという重い空気が広まります。

皆さんは、世界が滅びると予言されていたらどうしますか?現代なら、科学と知恵を使って、問題の原因を解決するよう、みんなで協力すると思います。

当時の人は、どうしたでしょうか?世界が滅びるなら、「この世」ではなく「あの世」で幸せになることに希望を託そうとする考えが流行します。「あの世」は「極楽浄土(ごくらくじょうど)」と呼ばれ、この考えを浄土信仰(じょうどしんこう)と言います。極楽浄土で私たちを救ってくれると信じられていたのは、阿弥陀如来(あみだにょらい)という仏様です。

十円玉の裏側に描かれているの平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)は、京都の宇治市にあります。このお寺は浄土信仰(じょうどしんこう)を反映したもので、お堂内の壁画には人が亡くなる瞬間に阿弥陀如来(あみだにょらい)が「あの世(=浄土)」へ導いてくれる様子が描かれています。


極楽浄土(ごくらくじょうど)は誰でも簡単にいけるところではありませんでした。主に二つの方法がありました。ひとつは生きている間に厳しい修行を行い、仏に近づくこと。もうひとつは、多額の献金をすることでした。

でもこれってなんだかモヤっとしませんか?厳しい修行は、まあ仕方ないとして、お金で解決できるのは不公平感があります。それに、庶民には僧侶になって山で修行する経済的余裕すらありません。毎日田んぼや畑を耕す生活です。

では、庶民には仏の救いは手に入らないのでしょうか? 同じようにモヤッとしたお坊さんがいて、庶民に救いの手をさしのべます。

そのお坊さんは、修行が無理でも、献金が無理でも、これさえすれば極楽浄土(ごくらくじょうど)に行けるよ!という新しい仏教をおこしました。何をすれば、浄土に行けるようになったと思いますか?

それは「念仏を唱える」ことです。「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という念仏を、皆さんも聞いたことがありますよね。この念仏を唱えるだけで、高度な修行や多額の献金をしなくても、「あの世(=浄土)」で幸せになれるということで、大人気になります。

京都の東山に、国宝や重要文化財の建物が多く残る知恩院(ちおんいん)という寺があります。念仏を唱えて、阿弥陀如来(あみだにょらい)に救いを求める浄土信仰の総本山(そうほんざん)のひとつです。入り口には17世紀に建設された巨大な三門(さんもん)があり、ただならぬ雰囲気です。


JR京都駅近くのヨドバシカメラのすぐ横にも、ひときわ目を引く見事なお門があります。東本願寺(ひがしほんがんじ)です。そのすぐ西側にも、世界遺産に登録されている西本願寺(にしほんがんじ)があり、どちらも浄土信仰にルーツを持つ宗派の総本山(そうほんざん)です。

ところで、「あの世(=浄土)」を外国人ゲストにどのように説明するかですが、浄土は英語でPure Land(ピュア・ランド)と訳されます。
でも、その英単語を知らないゲストも多いので、heaven(ヘブン、天国)のようなものだと付け加えて説明しています。

サムライに支持され広まった禅宗

さて、ここまで禅宗以外の様々な仏教があることを説明できました。では外国人ゲストの多くに知られている禅宗はどんな仏教なのでしょうか?

「苦しみから逃れる方法を探す」という意味では、禅宗もその他の仏教と同じです。
禅宗が他の仏教と違うところは、座禅(ざぜん)を重んじ、自分自身への問いかけを大切にしていることです。座り、瞑想し、自分の内側に「苦しみから逃れる方法」を見出すという考え方です。

阿弥陀如来(あみだにょらい)によって極楽浄土で救われるほことを願う、「仏頼み」な浄土信仰に対し、
自分自身への深い問いかけを軸とする禅宗は、実力主義の侍(さむらい)の世界で支持されました。

侍が政治に影響を与え始めた12世から14世紀にかけて、
侍の勢力拡大とともに禅寺(ぜんでら)もたくさん建設されます。
たくさん増えた禅寺の中にわかりやすい順位を与えるため、トップの禅寺としたものが、鎌倉五山(かまくらござん)京都五山(きょうとござん)です。そのさらに上に別格で南禅寺(なんぜんじ)があります。

南禅寺(なんぜんじ)をガイドする時は、多くある禅寺(ぜんでら)の中でも特に格が高いお寺に来ているんだよ、ということを説明しています。

ところで、京都に旅行で来られる外国人ゲストで、「Samurai(サムライ)」という言葉を知らない人はほとんどいません。
多くの人が何かしらの想像や憧れとともに自分なりの「Samurai(サムライ)」像を持っているので、話題に出るとテンションの上がるトピックでもあります。

「Zen(ゼン)」の語源となった禅宗について「Samurai(サムライ)」と併せて覚えてもらうことで、ゲストの思い出に残る学びになると思います。

いかがでしたか?日本の代表的な宗教である神道と仏教の違いについて、そして様々な仏教の種類についてざっくりと説明しました。外国人に伝える時、役に立ったら嬉しいです!

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