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写真を撮る事は仕事の半分だ。

徹底的なタイミングや場所でシャッターを押すことだけが、
写真家の仕事であるとは思わない。

写真を選ぶこと、魅せ方や写真を表す順番があって、
そこではじめて写真家としての仕事は完結に向かうのではないか。
今回はその中でも写真を選ぶことについて書き綴りたいと思います。

砂利の中から金を取り出すこと。

写真の選び方で写真家の個性が現れると僕は思う。
写真の選択はとても大切で、もしかすると一番重要な作業かもしれない。

写真の選択であなたの個性を表すことも、隠すこともできる。
選択によって自分の本心、意図、気分やアーティストとしての成長(あるいはその成長の無さ)が現れる。

見せる写真の並び方でストーリーを作ることも出来れば、ドラマ(物語性)を殺すことも出来る。並びでリズム作ることも、ノイズを作ることも可能。
写真の並び方を通してキャッチボール(コミュニケーションをとること)もできれば、見てる側を困惑させることも出来る。

多くの場合、写真家の成長はライティングの理解力や機材の使い方の中にあるのではなく、写真の選び方のプロセスの中に隠されている。

僕が写真の選ぶ行為の重要さに向き合ったのはまだ学生の頃だった。
写真の特別講座で優れた先生が、ある期間で撮った全ての写真を並ばさせることを要求された。好き嫌い、良い悪いを問わず全て写真を床に並べ、自分の散らばった意識に向き合う。花、空、同級生のポートレート、街のスナップ、ボケた、ブレた写真が目の前に広がっていた。当時、自分が撮った電線の写真を気に入っていた、でも先生がその写真に目をすら向けなかった。それより、先生がホースに巻かれた同級生の半分ふざけて撮った写真に目をむけた。不自然な状況の中で被写体である同級生の姿がどこかとても自然だった。この方向性でもっと写真を撮って欲しいと言われた。僕の他の写真はどう思うと聞いたら、先生が写真を撮ることに恋していることを表しているに違いないが、僕の写真ではないと指摘された。何のことかさっぱり理解出来なかったが、今思うと僕のポートレート写真家としての誕生でした。

「真実は金と同じく、砂利から取り出すことで得られる」トルストイ

先生が僕の写真を観て、僕を見透かしていた。僕の好みではなく、僕自身を表している写真へ注目していた。未熟な自分は選ぶことが出来なかった目もくれない気にも留めてなかった写真へと僕を導いてくれた。

当時は、無論なんとも思わなかった(言われた通り、しばらくその同級生を撮り続けたが)、だが時が経ってから気づいた。あのホースに巻かれた写真は僕の中の無意識下に深く刻まれていたある写真から誕生していたのだと。
そう、いつか見た細江英公さんの三島由紀夫の写真を無自覚で再現していたのだ。
そしてその時は思いもよらなかったが、その後意識的に細江英公さんへオマージュするポートレートを撮ることになった。

忘れられがちだけどとても重要なポイントが一つある。

多くのケースでは、自分が一番良いと思う写真がナレーション(作るストーリー)に合わないことがあり、そのせいで世に出ることが無くなる時もある。

逆に良くない、好みではない写真が(例:ブレた写真、ピント合ってない写真、狙ってない写真、等)自分が作るストーリーの一番大切な一部になることもあり得る(写真を撮る一つの素晴らしさであると僕は認識している)。
それらの写真たちは、写真の選び方について深く考えていないと永遠に気づかれないことがある。
写真を選ぶ、並べるプロセスの重要さは見落とされがちなせいか、多くの写真家は仕事や他の写真活動で自分の声を見失うことがある。写真の選び方について解説している本や記事をほとんど見かけないことがそのなによりの証拠だ。

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ストーリーを編集すること、レイアウトを組むことについて。

僕が強く信じるのは、写真の選択とレイアウトの仕方は、写真家としての一番大切な作業であるということ。写真で作るストーリーの編集の仕方を本来であれば一番力を入れなければならないのではないか。
世の中では、ライティングが得意ではない、あるいは機材に詳しくないが、
写真のレイアウトや魅せ方に優れている写真家も少なくはない。案外その写真家達が写真業界やアート業界では評価されていたりする。

さて、哲学はここまでにして、僕の経験から具体的なアドバイスに移りましょう。

アドバイスその1:写真を消すな。

今良いと思うものは時とともに変わるはず。僕の場合は当時思っていた良いポートレートが大きく変わった。昔目に入らなかった写真を今選び直すことが多い。だけど、時によって本当に下手な写真は下手である、大量に撮った写真の中に一枚無い時は今でもある。その時は迷わずに消すことだ。(笑)

アドバイスその2:写真の表面的な美しさはセレクトの中で二番目に。
写真を撮る意図、ストーリーを一番に。

大抵僕らは概念の美しさや良さに惑わされがち。そして良い写真とは何かという固定概念にも惑わされがち。僕のアドバイスは一早くその固定概念を捨てることである。誰かの意見や基準を捨てて、一早く写真の中で自分の「言葉」を見つけなさい。その言葉は完璧でなくとも、他者の言葉より自分の言葉が良い。

もちろん、なんらかの基準は最初に必要。なので、まず自分の素直さや正直さを奪う概念を捨てなさい。撮る被写体、ものはブレて、ピンが合ってないことも ー でもその写真達が時間と共に、またはレイアウトによって、作るストーリーに力を与えることもあり得る。

アドバイスその3:時間をかけること。

個人的にはまず撮った写真をセレクトし、そしてその写真達から自分を離す。
時間とともに熟す写真もある。特に、自分の魂の種を抱えた仕事がーその種に命を吹かし、育てる時間が必要である。

もちろん、自分が目指している目標による。時として写真に執着心を持つことも重要であって、時に客観的に自分の写真を見つめることも必要である。
コンセプトを中心に選ぶか、感覚重視するかはあなた次第です。

アドバイスその4:迷ったら印刷しなさい。

インデックスシートは昔も今も写真のとても優れた選び方である。
(ルーペを使って写真を覗くことも、まるで再びファインダーを覗いているかのような行為でもある。)
あるいは、全ての写真を印刷して、適当に並べてみることだ。
思わぬ組み合わせ、思わぬ別の写真のコネクションが生まれることもある。

または誰か側にいさせて、その人に選ぶ写真の意図を説明する。人に話すことによって、自分を発見し、知ることも多い。ただ、他者の意見を聞くことに走るな ー 余計に迷ってしまうことも多い。

アドバイスその5:違う表現の力を借りる。

僕はついこの間写真集を完成させた。写真を撮ってから一年以上たって、はじめて写真に手をつけた。ちょっと時間を置きすぎた。勿論撮った当時の想いや感情が薄れ、そもそも何をしたかったのかはっきりしなくなった。当時聴いていた音楽に力を借りた。撮った頃に聴いていた音楽をもう一度耳にしたら全てが蘇り、第一のセレクションが完了した。だが、その後音楽が心の中に流れる音楽に邪魔しはじめて、聴くのをやめた。今度はようやく掴めたコンセプトに合った音楽を聴きはじめた、その音楽で見落としていたことが再び目に入り、最終的なレイアウトができた。

アドバイスその6:師匠達から学べ。
もしかするとこのアドバイスが一番重要である。

自分が師匠と思える人やアーティストを見つけ、その人達の選ぶ基準や選ぶプロセスから学ぶこと。その上に師匠達の選ぶ基準に影響与えたモノを勉強しよう。写真集を視て、考察して、展示会へ行き、インタビューやエッセイを読み漁り、直接弟子入りしたりと、色んな学ぶ方法がある。

師匠の師匠をみつけ出し勉強することだ。自分が探しているものは時によってもっと深く隠されていることがある。好きな写真家の写真の中には本当に好きだったりするのは違う写真家・アーティストの存在だったりする、もしかするとそこで自分が探していたヒントが隠されている。

僕自身もまだまだ写真のレイアウトや選び方を学び、その基準を磨いていくでしょう。あなたはどう写真を選ぶのでしょう?よかったら意見を聞かせてください。

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