マガジンのカバー画像

家族の話

8
運営しているクリエイター

記事一覧

母についてのWriting therapy 2020.9.22

母と娘の境界線を引く久しぶりに号泣しました。

有料
300

月橘の色の記憶 2020.3.24

1月から途中になっていたゲッキツ染めを、再開した。 祖父の呼吸が止まったと、いとこからインスタのメッセージで連絡があったのは、1月17日、月橘で染めている最中だった。 前の晩に、いとことインスタでつながって(帰省したら会うけど、お互い連絡先とか知らなかった)、メッセージのやりとりを初めてした。 長女同士の私たちは初めて祖父の話をいろいろして、10日後に福岡に帰るから、一緒に祖父のお見舞いに行こうと話していたところだった。 いとこは看護師で、祖父が入院していたのはいと

愛は確かに存在していた 2020.1.27

元々祖父のお見舞いに行く予定だったこの日、予定通り福岡に帰省し、祖父のいない家へ。 祖父とお揃いの月橘染めのショールを、祖母の91歳のお誕生日プレゼントに。 祖父の棺の中に入れたショール。まだ染め途中で、色が薄かったので、宮古島に帰ってから何度か染め重ねた。 「明るい色が白髪に似合うね」と喜んでくれた。春になったら使ってね。 祖母は、誕生日の翌日が命日になったと言った。祖父が91歳で亡くなる前日、祖母は91歳になった。 2週間の入院から、退院して家に帰った途端に祖父

祈りと染めと 2020.1.17

祖父が朝10時頃、息を引き取りました。 91歳でした。 昨日は祖母の91歳の誕生日。 ふたりそろって91歳になるのを待っていたのかな。 祖母もここ2週間ぐらい、肺炎で入院していました。 今日が退院で、家に荷物を置いたら祖父のお見舞いに行こうと言っていたところで、間に合いませんでした。 初孫の私が生まれたとき、まだ50代前半だった祖父は、おじいちゃんと呼ばれたくないと言ってパパと呼ばせ、なぜかパパとおばあちゃん。 孫たちはそのままみんなパパと呼んでいました。91歳の今でも

愛の在り処 2020.1.1

「2019・10・24 ツルさん現る」 絵なんて描かない祖父が描いた絵です。 祖父が、祖父の母親のツルさんを見たそうです。まだその時は祖父は元気でした。家の車庫で煙草を吸っていたら、車庫の床にツルさんの顔が現れた。急いでそのへんにあったマジックでなぞったそうです。 そのコンクリの床に描かれた絵を、祖母の弟が人が歩いているうちに消えてしまうといけないからと、紙に移して飾ったそうです。 祖父の具合が悪くなったのが、10月の末。 不思議です・・・。 ツルさんの織った着物を持っ

幸せな大晦日 2019.12.31

無事、祖父に祖父のお母さんの手織りの半纏を渡せました。 祖父のお母さんは、ツルさんと言うそうです。やはり、この半纏はツルさんが蚕から育てて糸をひき、織ったものだということでした。祖母が教えてくれました。 そして、この着物は若いころ祖父が着ていたもの。祖父は仕事から帰ってくると、家では着物に着替えていたそうです。 そしてなんと、これを半纏に仕立てたのは、祖母のお母さん、私もよく可愛がってもらったひいおばあちゃんだそうです。これは初めて聞きました。本当に貴重なもの。一生大切

人生の終わりに誰を想う  2019.12.29

91歳の祖父の体調が思わしくないため、急きょ福岡に帰省することになりました。 初孫だった私を可愛がってくれ、初めての機織り機を買ってくれたのも祖父でした。 建築関係の会社を経営し、バリバリ自民党の保守の人ですから、自衛隊配備反対運動をする私が気に入らなかったり、家制度の「家長」を体現するような人なので、私の結婚(年の差婚、できちゃった婚)においていろいろギクシャクすることもありました。 でも、祖父が織物を応援してくれたのは、山口県の祖父の実家が蚕を飼っていて、糸をひき、

夫が記憶を失った夜 2019.2.9

アツママー(阿津真間)御嶽にお参りしてきました。夫が2日間だけだけど、入院していました。何事もなかったお礼と、マブイ(魂)を落としてないか不安だったので、行ってきました。 2月7日の夜7時前、夫が突然記憶を失いました。「記憶が飛んでる。やばいやばい、帰ってきて」と電話があり、帰ってみると、自分の名前と生年月日、私の名前は分かるものの、自分が働いている場所も分からない、子どもたちの誕生日も分からない、娘がいつ産まれたかも分からない、「あやちゃんは何ヶ月?」と聞くと、「2ヶ